刑事司法の病理現象「冤罪」に関する「日本特有の問題」…日本は「冤罪防止」のためのシステムや取り組みが欠如しているという「恐ろしい現実」

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「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視…

なぜ日本人は「法」を尊重しないのか?

講談社現代新書の新刊『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。

本記事では、〈日本人の死刑に関する考え方は、先進諸国の中では「特異なもの」だという「意外な事実」〉にひきつづき、「刑事司法における明らかな病理現象」である冤罪について、刑事司法関係者の法意識を中心にみていきます。

※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです。

冤罪に関する日本特有の問題

冤罪は、いわば刑事司法の病理現象、宿痾(しゅくあ)であり、どこの国にでも存在する。

しかし、日本特有の問題もある。それは、日本の刑事司法システムが冤罪を生みやすい構造的な問題を抱えていること、また、社会防衛に重点を置く反面被疑者や被告人の権利にはきわめて関心の薄い刑事司法関係者の法意識、そして、それを許している人々の法意識、という問題である。日本の刑事司法システムは、為政者や法執行者の論理が貫徹している反面、被疑者・被告人となりうる国民、市民の側に立って上記のような国家の論理をチェックする姿勢や取り組みは非常に弱いのである。

刑事司法システムの問題からみてゆこう。

まず、身柄拘束による精神的圧迫を利用して自白を得る「人質司法」と呼ばれるシステムが挙げられる。勾留期間20日間に逮捕から勾留までの期間を加えると最大23日間もの被疑者身柄拘束が常態的に行われている。また、否認したまま起訴されると、自白まで、あるいは検察側証人の証言が終わるまで保釈が許されず、身柄拘束が続くことがままある。第一回公判期日までは弁護人以外の者(家族等)との接見が禁止される決定がなされることも多い。

「人質司法」は、日本の刑事司法の非常に目立った特徴であり、明らかに冤罪の温床となっている。しかし、これについては、近時ようやく一般社会の注目が集まるようになってきたという段階であり、改革は、ほとんど手つかずのままである。

検察官の権限が非常に大きく、たとえば英米法系諸国における大陪審や予備審問のように起訴のためにほかの機関による承認やチェックを必要とする仕組みがないことも、大きな問題である。起訴権を独占する一枚岩の組織体としての検察の権力は、無制約に強大なものとなる。

そして、江戸時代以来連綿と続いている「自白重視、自白偏重」の伝統が、以上の問題に拍車をかけている。こうした伝統の下では、捜査官も検察も、いきおい自白を得ることに固執しがちになるからだ。

冤罪防止のためのシステムや取り組みの欠如

冤罪の頻度、また、これを防止するためのシステムの整備という点からみても、日本の状況には、大きな問題がある。

まず、冤罪が実際にはどのくらいあるのかすら全くわからない。表に出てくる情報もほとんどない。キャリアを通じて真摯(しんし)に刑事裁判に取り組み、約30件の無罪判決を確定させた裁判官(木谷明氏。公証人、法政大学法科大学院教授を経て現在は弁護士)がいる一方、刑事系裁判官の多数はごくわずかしか無罪判決を出しておらず、「ゼロ」という裁判官さえ一定の割合で存在する。特定の裁判官にだけ無罪事案が集中するのはきわめてありにくいことだから、たとえば刑事系裁判官が控えめにみて一人当たり十の冤罪を作っている可能性があると考えてみると、日本における冤罪が、いかにありふれたものでありうるかがわかるだろう。

たとえばアメリカでは、ロースクール、公設弁護士事務所等を中核とするイノセンス・ネットワーク、その中核となっているイノセンス・プロジェクト(非営利活動機関)が、刑事司法改革に取り組み、冤罪に関する調査を行い、冤罪の可能性のある事件についてDNA鑑定等を利用して再審理を求め、イノセンス・プロジェクトだけでも300件以上の有罪判決をくつがえしている。

そして、こうした活動には連邦や州も協力している(なお、イノセンス・ネットワークは、アメリカ以外の国々にも展開されている)。さらに、多くのロースクールには、冤罪を含む刑事司法の問題について中心的に研究しかつ教えている教授がいるので、そうした事柄に関する平均的な弁護士、裁判官のリテラシーについても、一定水準のものは確保されるようになっている。日本の法学教育、法曹教育においても、冤罪とその防止に関する最低限の教育くらいは行われるべきであろう。

アメリカの刑事司法も決してバラ色ではなく、警官の問題行動は非常に多い。また、法域(連邦、州以外にも種々の法域がある)がともかく細かく分かれているため、警察、検察、裁判所とも、法域、地域による質のムラが大きい。しかしながら、少なくとも、「冤罪という問題」の存在を「直視」し、そのような「不正義」から被害者を「救済」するための充実した「取り組み」があり、連邦や州等の「公的セクション」も、その必要性と意味を認めて「協力」している(一例を挙げれば、冤罪事件を含め、貧困者、死刑囚、受刑者等のための弁護活動を専門に行う弁護士事務所に補助金を出すなど)のであり、こうした点は、日本とは全く異なる(なお、日本でも、海外における取り組みを参考にして、イノセンス・プロジェクト・ジャパンが2016年に設立された。未だその歴史は浅いが、今後の活動の展開に期待したい)。

また、刑事訴訟、特に再審請求手続における検察官手持ち証拠の開示、再審等に備えての証拠の保管(特に重要なのが、前記のDNA鑑定資料)といった冤罪防止、刑事訴訟手続全般の適正化のための基盤となる制度についても、日本は、明らかに国際標準に後れつつある(たとえば、李怡修(リーイシュウ)「刑事手続における証拠閲覧・開示と保管──日本・台湾・カリフォルニア州の再審請求段階から考察する」〔一橋大学機関リポジトリ〈ウェブ〉掲載〕によると、日本の制度は、アメリカのみならず、台湾にも後れをとっているように思われる)。

さらに【つづき】〈日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」〉では、検察官の「法意識」」などについてくわしくみていきます。

日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」