保護者会で謝罪した取手市教育委員会の幹部たち

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構造的な欠陥

 遺族やマスコミに責め立てられ、いつしか担任教師はいじめ自殺の元凶とされていた。調査委員会もそれに追従する。なぜ事実ではないことがまかり通ってしまったのか。それは、一見、公平で正しそうに見える「調査委員会」に構造的な欠陥が内在するからなのだ。【福田ますみ/ノンフィクション作家】

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 2015年11月、茨城県取手市で中学3年の女子生徒が自殺した。学校や市の教育委員会の調査では出てこなかったが、両親の独自調査でいじめの存在が浮かび上がり、それを誘発・助長したとして担任教師が激しく指弾されるに至った。県の調査委員会もその落ち度を認め、担任には重い処分が下された。だが今年1月、水戸地裁は担任の責任を否定する判決を出したのだった。

保護者会で謝罪した取手市教育委員会の幹部たち

 前編【取手市「中3いじめ自殺」10年目の真実に迫る なぜ調査報告書はでっちあげられたのか】では、調査報告書がでっち上げられた経緯についてレポートした。後編では、その女性教師自身の告白を紹介する。

「生徒の自死に関することですから、うれしいという感情が湧くことはない」

「個人が、県という行政機関を相手に訴訟を起こして勝つことがどんなに難しいか理解していましたから、知らせを聞いて、本当に勝ったのだという実感をかみしめました。ただ生徒の自死に関することですから、うれしいという感情が湧くことはありませんでした」

 と、梶原雅子(仮名)教諭は語り始めた。

「(川村)美恵子さん(仮名)のご遺族に対して、お子さんを突然亡くされた悲しみを少しでも共有できたらと思い、精いっぱい誠実に対応したいと考えていました。月命日には、何人かの職員たちと1年以上、ご遺族宅に足を運びました。ところがご遺族は私たちに対して訪問の度に、『うそをついている』『本当のことを話してほしい』と、時には他の親子といっしょになって、怒りをぶつけてきました。

 私たちは真実を一生懸命に伝えましたが、聞き入れてもらえずつらい訪問が続きました。市教委による調査委員会が設置され、そこでの調査が進めば、私たちが伝えてきたことにうそがないことが分かってもらえるだろうと期待しました。ところが2017年5月、ご遺族が文部科学省に申し入れをした結果、取手市の調査委員会は解散しました。

 市教委がご遺族に謝罪する姿はテレビで繰り返し放映され、マスコミからの攻撃の的になりました」

家の外に出られなくなり……

「この時からすべてが百八十度変わったように感じました。大きな力が働いて、真実か否かに関係なく、学校や担任、いじめをしたと決めつけられた3人の生徒が加害者で、ご遺族が被害者という図式が出来上がってしまいました。

 3人の生徒については、慎重に調査した上での真実は受け止めますが、真実でないことで彼らを傷つけるようなことはあってはならないと思っています。

 テレビやネットの情報をうのみにした人たちが、私や私の勤務する中学校をバッシングするようになり、さらに、私の名前と顔写真がネットに流出したため、恐怖を感じた私は家から外に出られなくなり、ご遺族宅を訪問することもできなくなりました」

そもそもいじめ自殺と断定できるのか

 そもそもこの事件、いじめ自殺と断定していいのかどうかも疑問である。あえて言うが、「くさや」「耳打ち」「バスケットボールでの仲間外れ」「個別アルバムでの悪口、悪ふざけ」といったことだけが、自殺の原因と判断できるだろうか? 

 いじめっ子とされた3人の生徒は、いじめをしたという自覚は全くなく、美恵子さんを仲の良い友達だと思っていた。だから、自分たちがいじめの加害者とされたことに驚き、調査委員会による事情聴取に対して必死にいじめを否定したが、聞き入れられなかった。

 梶原教諭も、調査委員会には、知っていることを包み隠さず話し、資料も提出したが、報告書では自分が話したことと異なる説明がされており、正確さを欠いていると訴えたが、やはり無視された。要は、この「いじめ」だけでは弱いので、そこに教諭の不適切な指導が加わって自殺したというストーリーを作り上げたかったのではないか。

欠席することを事前に連絡していたにもかかわらず……

 そんな折、さらなるバッシングが梶原教諭を襲った。保護者会を突如欠席したと、強く指弾されたのだ。

「2018年3月24日に行われた保護者会について、私は欠席することを市教委に事前に連絡していました。

 私は、市教委による執拗(しつよう)な尋問を受けた後うつ病になり、主治医からも『無理をしてはいけない』と言われ、診断書もすでに市教委に提出してありました。

 ところが市教委は、当日の保護者会開会直前に、急に私がドタキャンしたかのように保護者たちに説明したため、美恵子さんの父親が、『這ってでも来いよ!』と激高。他の保護者たちも、『今すぐ連れて来い』『迎えに行ってください』などと、私を無理やりにでも連れてくることを要求し、大騒ぎになったそうです。さらにこの“ドタキャン”がマスコミで大きく報じられ、私は世間から誤解を受け、ネットで攻撃されました」

 茨城県教育委員会が2019年7月25日、梶原教諭に停職1カ月の処分を言い渡した時、同時に、校長、教頭ら、教諭の当時の上司5人も減給10分の1(12カ月〜3カ月)や戒告処分にしたが、教諭の処分はそれらと比較してかなり重い。

「絶望的な気持ちでした。なぜ事実でないことが処分理由になるのか全く納得できませんでした。それまで教員として誠実に職務をこなしてきた自負があります。それらがすべて否定されたように感じました」(梶原教諭)

六つの違反行為

 処分の理由としては具体的に以下の(1)〜(6)が非違行為(違反行為)とされた。

〈(1)当該生徒が第3学年進級後に交友関係が変化し、多くの教員や生徒たちは違和感を抱いていたが、対応せず、「いじめの関係性を固定化」させてしまったこと。

(2)生活アンケート結果で、「いじめなどを心配しないで安心して生活している」というアンケート項目について「あまりそう思わない」「そう思わない」と回答した生徒が3人いたが、具体的にどのような事実に基づいて回答したのか聴き取るなどの対応をしなかったこと。

(3)当該女子生徒の個別アルバムへの書き込みについて、書き込まれた内容を確認していなかったことなど、担任としていじめを認知しうる状況にありながら、適切な対応を怠った。また、学級経営や生徒指導での当該生徒への言動が、クラス内の生徒の関係性に変化をもたらし、当該女子生徒へのいじめを誘発、助長したこと。

(4)進路指導の際、当該女子生徒に誤った情報を伝えるなどしたこと。

(5)他の女子生徒と行動を共にすることで授業に不本意に遅れた当該女子生徒を叱責し、進学に向けての不安感、焦燥感を与えたこと。

(6)特に、当該生徒が自殺を図った日に起きたガラス破損事件につき、自殺の引き金になる不適切な指導を行ったこと。〉

知事も関与

 実はこの処分には、大井川和彦茨城県知事が関わっている。処分直後、知事は毎日新聞の記者の質問に答えて、「最初は担任の先生も減給ということだったのですが、今のいじめに対する市民感覚も変わってきているということ、さらには、報告書に書かれている生徒と担任の先生のやりとりの経緯、そういうところを踏まえて、もうちょっと再考した方がいいのではないかということで、今回、こういう処分の内容に変更してきております」と発言し、処分を重くするよう指示したことを認めている。

 梶原教諭は言う。

「私は停職処分を受けるような間違った行為や指導をしたのか、何度も何度も自問自答し、処分理由を何度も何度も読み返しました。しかし、事実と食い違う部分が多く、とうてい納得できず、受け入れることはできません」

 教諭側は同年10月16日、茨城県人事委員会に対し、この処分の取り消しを求める審査請求(行政不服審査法に基づく不服申し立て)を起こしたが、2021年9月7日、請求は却下された。ただし、教諭が行ったとされる非違行為6件のうち3件は、「調査報告書の記載内容よりさらに踏み込んだ評価について、処分者(県)から具体的な根拠は示されていない」という理由で否定されている。

結論ありきだった?

 梶原教諭が、懲戒停職処分は違法であるとして、取り消しを求めて水戸地方裁判所に提訴したのは、2022年3月3日である。

 その後、当事者双方の主張と証拠の応酬が行われたが、裁判所が、調査報告書の認定の根拠となる証拠(事情聴取記録等)の提出を茨城県に再三求めたのに対し、県は調査報告書の原資料等の提出を検討するとしながら回答を引き延ばし、結局、証拠をほとんど出さなかった。

 なお、女子生徒3人による「いじめ」については裁判では検討せず、あくまで県が教諭に下した処分の妥当性に絞って審理された。

 2023年9月には証人尋問、本人尋問が行われたが、県側の証人は当時の教務主任ただ1人。対して教諭側は、梶原教諭の当時の同僚2人が出廷し、当時の教諭の指導、言動が他の教員たちと比較しても特に対応を誤ったものではなかった旨を証言した。同僚2人は、梶原教諭をことさら悪者にした調査委員会の報告書に強い違和感を抱き、最初から結論ありきだったと主張している。

 また、この同僚の証言で、自殺直後、両親が学校側に、「(娘に)言い過ぎた。あまり広めないでほしい。自殺したとは言ってほしくない」と話していたことも分かった。

全面勝訴に

 今年1月12日の判決は、教諭が行ったとされた6件の非違行為のすべてを否定した全面勝訴だった。

 判決内容の一部を要約して紹介しよう。例えば、美恵子さんが第3学年進級後に交友関係が変化し、多くの教員や生徒たちは違和感を抱いていたが、対応せず、「いじめの関係性を固定化」させてしまったとされたことについては、

「この中学校では、第3学年進級時にクラス替えが行われているから、本件生徒の交友関係に変化があったのは不自然なことではない。また、本件生徒の交友関係の変化がそれほど重大なら、違和感を抱いた他の教員が、担任である原告に注意を払うように助言をしたり、教員間で情報交換がされるはずだが、そのようなことはなかった。それはつまり、本件生徒の交友関係の変化は、原告がいじめを疑い特別に対応しなくてはならないほど重大なものだったとは認められないことを示している」

独自に証拠調べすら行わず

 自殺の引き金とされたガラス破損事件については、

「本件調査報告書中には、原告はガラスの破損は3名の連帯責任であると考えていたため、3名に対し、弁償については各生徒の保護者に確認すると伝えたとの記載部分がある。しかし、原告はこの事実を否認している。確かに、ガラスを割った女子生徒Aが弁償すると申し出たにもかかわらず、原告が3名の生徒全員に対して、弁償についてはそれぞれの保護者に確認すると伝えるべき理由はなく、記載部分は不自然である。また、本件調査委員会が、記載部分につき、いかなる資料を根拠に認定したのかは明らかではなく、記載部分を裏付ける証拠はない。原告は、時間を守って行動するよう指導をしたと考えられ、このような遅刻指導自体が不適切であったということはできない」

「本件調査委員会が〜記載部分を裏付ける証拠はない」との一文は、判決文の他の箇所でも同様の記述が見られる。つまり裁判所は、調査委員会の調査結果そのものを疑問視し、県教委がこのずさんな調査報告書に依拠し、独自に証拠調べすら行っていないことを問題にしているのである。

「誰かの責任にするためだけの調査報告書」

 梶原教諭の代理人の鈴木一弁護士はこう話す。

「裁判で県は原資料、証拠を出してこなかった。これはある意味敵失といっていい勝利でした。そして判決によって、調査委員会の報告書のお粗末さが露呈しました」

 もう一人の代理人で、教職から弁護士に転じた有川保弁護士は、学校トラブルを巡る第三者委員会の調査に詳しい立場から、こう手厳しく批判する。

「あの調査報告書は、人のせいにするため、誰かの責任にするためだけのものです。判決では、教諭を処分する理由がないとまで言われた。そもそも調査委員会に司法のような調査権限はなく、裁判所並みの立証責任もない。分からないことは分からないと言えばいいのにそれができない」

 任意の事情聴取をもとに事実認定を行うため、報告の信頼性には限界があるということだ。つまり、第三者委員会の調査そのものの信ぴょう性に大きな疑問があるのである。

「担任教諭がスケープゴートにされた感が極めて濃厚」

 裁判は、一審判決の直後県側が控訴し、控訴審がスタートしたが、2024年7月25日の第2回口頭弁論で早くも結審した。

 教育法規の専門家で大阪大学名誉教授の小野田正利氏はこの控訴審において、教諭側に立って意見書を提出しているが、事件について、「生徒の自殺という重大事態の責任を取らせるために、担任教諭がスケープゴートとして措定された感が極めて濃厚である」と痛烈に批判。

 例えば、「生活アンケート結果で、『いじめなどを心配しないで安心して生活している』というアンケート項目に対し、否定的な回答をした生徒がクラスに3人いたが、その3人に聴き取ることを怠った」との非違行為について小野田名誉教授は、「このアンケートは正しくは、『学校評価アンケート』であり、学校教育法によれば、そもそも学校への満足度を測定するためのもので、いじめ発見や通報を目的としたものではない。従って、否定的評価をした生徒がいたからといって、逐一その生徒から聴き取りを行わなかったと原告教師を非難することは、まったく不当な理由付けである」。

いまも教職に復帰できず

 さらに、「当該女子生徒の個別アルバムに、他の生徒から誹謗中傷が書き込まれていたことにつき、その内容を確認していなかった」という非違行為についても、「この個別アルバムは通常の卒業アルバムとは異なり、生徒1人に1冊ずつ配布されたアルバムに、学校生活の思い出を書き込んだり写真を貼ったり、友人同士、互いのアルバムに書き込んだりするもの。寄せ書きとは違う。この中学校にとっては初めての試みで、扱いについて一定のルールはなく、生徒の自主性と自主管理に委ねられていた。担任教師として、クラス全員の個別アルバムの内容をすべて精査すべきだったとする茨城県の主張は無理難題、暴論としか言いようがない」。

 そして、調査委員会の報告書については、「あまりにも無理な推論と理由付けを行っている」「一種の『でっちあげ』に相当する」と一蹴する。この報告書はいまも、茨城県教委のホームページに掲載されている。

 梶原教諭は、一審の勝訴判決が出た後も教職に復帰できていない。

復帰の条件

「5年前に始まった研修がいまだに続いています。ある時、ご遺族が求めているからと市教委は私に謝罪を要求してきました。考えた末、私は謝罪文を書きましたが、市教委は、謝罪の気持ちが十分ではないと判断しました。事実でないこともすべて丸のみにして謝ることが、茨城県の教育行政の考える復帰の条件なのだと思います」

 控訴審の判決は今日言い渡される。

 前編【取手市「中3いじめ自殺」10年目の真実に迫る なぜ調査報告書はでっちあげられたのか】では、調査報告書がでっち上げられた経緯についてレポートしている。

福田ますみ(ふくだ・ますみ)
ノンフィクション作家。1956年横浜市生まれ。立教大学社会学部卒。専門誌、編集プロダクション勤務を経て、フリーに。2007年『でっちあげ』で第6回新潮ドキュメント賞。他に『暗殺国家ロシア』『モンスターマザー』などの著作がある。

「週刊新潮」2024年10月31日号 掲載