年間約3万人の人が孤独死すると言われている。その8割が生前から、ゴミ屋敷や不摂生の中で暮らす“セルフネグレクト”状態に陥っているという。誰にも助けを求めることなく、そのまま死に至ってしまう人々の行為は、まるで緩やかな自殺のようにも感じられる。

【写真】この記事の写真を見る(2枚)

 ノンフィクション作家の菅野久美子さんは、そんな孤立した人たちに共感を示す。どんな「生きづらさ」がそこにあったのか。

 ここでは菅野さんの『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日文庫)より一部を抜粋して、20年ぶりに再会した兄が別人のようになっていたという、加藤裕子さん(仮名・50歳)の事例を紹介する。(全4回の1回目/続きを読む)


※画像はイメージ ©mapo/イメージマート

◆◆◆

20年ぶりに会った兄は別人だった

 孤独死する人には、「生きづらさ」を抱えた人が多いと感じる。人生で躓いたまま立ち上がれなくなって、そのままになった人たちだ。

 特殊清掃人は、時折、現場に残された遺留品から「その躓き」に気づいてしまい、故人が味わったと思われる苦しみが透けて見えることがある。そして、私自身それが感情の琴線に触れて心が動かされることも少なくない。

 加藤裕子が関東某所に住む兄、吉川大介(仮名・55歳)と久々に会おうと思い立ったのは、2018年4月初旬の桜の季節だった。2人は、出身地である鹿児島に住む姉の結婚式以来、20年間一度も会っていない。数カ月おきに、電話で話す程度だった。

 兄はいつも仕事で忙しそうにしていた。そのため、裕子は観光などで関東を訪れた際も、直接会うことにはためらいがあった。兄が鹿児島の国立大学を卒業後、東京の上場企業に勤めていることは知っていた。仕事が忙しいのだから連絡を取っては悪いだろうとも自分に言い聞かせてきた。

 裕子にとって、大介はいつだって自慢の兄だった。子供の頃から、すらっとした体形で背が高く、英語が堪能だったこともあり、女子学生から絶大な人気があった。大学時代に地元で塾講師のアルバイトをしていた頃は、教え子の中学生から、キャーキャー言われていることを兄が明かしてくれたこともあったし、兄と同じ大学のサークルに所属する同級生からは、「お兄さんって、優しいね」と言われたものだった。そのたびに裕子は嬉しくて、顔がほころんだ。

 しかし、そんな兄とも、結婚後は、お互い日々の生活に追われて会えずに、気がつけばあっという間に20年の月日が流れていた。

「時が経つのはなんて早いんだろう。そういえば、兄ちゃんは元気かな」

 裕子は、地元鹿児島を離れ、兵庫県で結婚し、一人息子に恵まれていた。現在は、企業の社員食堂の調理員としてフルタイムで勤務し、日々の仕事と家事に追われていた。

 自らも50歳になり、一人息子は成人してようやく手が離れた。

 ちょうど、タイミングよく、東京に住む鹿児島時代の同級生たちが共に花見をするという話が持ち上がっていた。

 兄も私ももうお互い歳だし、兄は独身の一人暮らしで、何かと不便なこともあるのではないか。この際に、一度くらいは顔を合わせておきたい。いい機会だと思い、兄の携帯に電話した。

「ねぇ、今度、地元の同級生に会いに、東京に行くんだ。兄ちゃんとも、だいぶ会わないでブランクが長かったじゃん。今度こそ、絶対会おうよ」

「そうか。それなら久々に会うか」

 大介がすんなりと同意してくれたので、裕子は嬉しかった。

 当日は、花見の前に、東京駅の改札で、待ち合わせることにした。

 しかし、当日約束の時間になっても、どこにも兄らしい人物は見当たらなかった。

「待ち合わせ場所、間違ってないもんね。どこにいる? いないやん?」

 人ごみの中を、携帯電話を片手にキョロキョロと見回すが、兄の姿はどこにもなかった。ただ、改札の外に、初老と思われる白髪交じりの男性が「自分の今いる場所はここだ」と言いながら、携帯電話を片手に辺りを見回していた。裕子の視界には入ってはいたものの、ずっと知らないおじいさんだと思っていた。しかし、その人物こそが、まさに兄であった。

 兄の外見は、20年前とは全く別人で、実年齢から想像していた姿よりはるかに老けて見えた。体形はやや小太りで、足取りはヨタヨタと頼りなかった。歩くのも苦しそうだった。裕子は、そのあまりの変貌ぶりにショックを受け、思わず目尻から涙が落ちそうになるのを必死にこらえた。

 兄ちゃん、この20年で何があったの――。

 心の中で、そう叫ばずにはいられなかった。しかし、そんな感情は露ほども見せず平静を装った。

この20年間で、ただならぬことが起きていた

「実はさぁ、事情があってここ15年ほど無職なんだよね」

 ポツリと兄が切り出した。兄がこうなってしまった訳に、裕子は愕然とした。

 兄は、裕子の心中の動揺など全く感じていない様子で、「お互い老けたなぁ」と懐かしそうな笑みを浮かべている。よく見ると、兄の歯は、上も下も1本残らずすべてなくなっていた。

 しかし、その声とはにかんだ笑顔に、裕子はかすかながら、かつての兄の面影を感じた。「やっぱり兄ちゃんだ」と裕子は少しホッとした。それと同時に兄の身に、この20年間で、ただならぬことが起きていたことを確信した。

 裕子はショックを何とか隠して、大きな荷物を置くため、まずは宿泊先のホテルに向かった。大介はホテルに向かう途中、道路脇にあったベンチに「ちょっと休憩」と言って腰を下ろした。その様子から、裕子は兄の体力がだいぶ落ちていることを察した。2人でホテルの部屋に入ると、大介はまずいすに腰かけた。いすに座る時、大介は重い体を下ろすのが大変そうに、「よっこらしょ」と声を上げていた。

 兄と向かい合って座ると、どこからか、鼻をつくようなすえた臭いが辺りに漂っているのに気がついた。どうやらそれは、大介の身体から漂っているものらしかった。

 窓から差し込む日差しの下でよく見ると、着ているチェックのカジュアルシャツとカーディガンはすすけた感じで、何日も洗濯していないようで所々黄ばんでいた。

 裕子は、まずは大介に食欲があるのかが心配だった。そこで、裕子の提案で、気分転換に近くの定食屋に食事に出かけた。

「ここは、私がお金出すから、好きなもの、何でも食べてね」

 そう促すと、大介は、唐揚げ定食を注文した。

 ちゃんと、食べれるんやと裕子は驚いた。歯が全部抜けているので、柔らかい物やそばやうどんなどの麺類を頼むのかと思った。しかし、大介は、揚げたてで来た唐揚げをとても美味しそうにほおばり、歯茎で上手にかみ砕いた。そして、ご飯と味噌汁をお代わりした。外食するのも15年ぶりらしく美味しそうに食べているのが印象的だった。

 きっと兄は、私にも話したくないことがいっぱいあるんだろう。今は、何も話さなくていい、会ってくれただけでいい。兄の体調を心配していた裕子は、兄の食べっぷりにひとまず安心して自分の息子のことや、夫のことなど近況を伝えた。

「これまでどうやって生活していたの?」

 大介は食事が落ち着くと、少し安堵の表情を浮かべて、自らの過去を話し始めた。

 聞けば大介は、大学卒業後、就職した都心の先物取引会社で、流暢な英語能力を活かして華々しく活躍していた。

 27歳の時に1年間研修のため、アメリカのシカゴへ出向の辞令を受ける。帰国後も、国際部に異動となり、めまぐるしく働いていたらしい。

 しかし、ある日、仕事上のミスから、会社に大きな損失を出しそうになった。その後、何とか修正できて大損は免れたが、何かにつけて上司が言いがかりをつけるパワハラが始まった。その度に、大介は反論して、何度も言い争った。さらに、直属の部下がミスをしてしまったことも重なり、上司はいつしかアメリカ帰りの優秀な大介のことを目の敵にするようになっていった。

 最終的に土下座しろと言われ、あまりの屈辱に耐えきれずに辞表を提出し、会社を飛び出してしまったらしい。

 裕子は、そんな兄の告白にただ黙って耳を傾けていた。

「会社を辞めた時には、失業保険も出たんじゃないの?」

「そうかもしれないけど、辞めて落ち込んで何もする気が起きなかった」

「これまでどうやって生活していたの?」

「退職金と貯金だよ」

 そのうち失業保険も失効してしまったらしい。

 強烈な無力感に襲われ、脱力してしまった大介は、マンションに引きこもるようになっていく。

 食事は、スーパーの総菜などで済ませて質素に暮らしていた。そのせいで、何とか貯金で食いつなぐことができた。しかし、歯が抜けたのは栄養失調で、偏った食生活が影響していたに違いなかった。

 思えば、大介は、元々内向的な性格だった。そのため、妬みや嫉妬といった人間関係の軋轢が耐えられなかったのだろうと、裕子は感じていた。

 心おきなくしゃべれる友人がいたら、何らかのはけ口になったかもしれない。しかし、大介は打ち解け合えるかつての同僚に、自分のほうから食事に誘うなどの連絡を取ることをしなかった。

 打ちのめされた大介は、たった1人社会から弾き出され、外部との接点を見失って孤立していく。

 マンションから少し歩けば、国道沿いに大介の大好きな本やCDが並ぶブックオフや、大手スーパーがある。たまに自宅で、株の取り引きもしていた。しかし、そのほとんどはヤマが外れ、大損してしまっていた。昼夜逆転の生活をして、家で読書や音楽鑑賞に没頭するようになっていく。

家族にも忙しいと嘘をつき、仕事を辞めたことを隠していた

 大介にとって、仕事を辞めたことは恥で、それは決して誰にも知られてはいけないことだった。思えば、大介はいつも忙しいと言っていた。

 家族旅行で東京観光に行くから会いたいと言っても、「そっちが行きたいところを回って楽しんだらいいんじゃないの。俺はいいわ」と、はぐらかされてしまう。

 冬は毎年スキーに行くからと、正月も実家には寄りつこうとしなかったし、「お盆、年末年始の休暇取得は家族持ちが優先だし、会社の休みを取るには、3カ月前から申請しないといけないので、会えない」とごまかしていた。

 それだけ忙しそうにしているのなら、逆にしつこく連絡をするのも悪いと裕子はずっと思っていた。しかし、これは、無職であることを取り繕うための大介の嘘だった。

 わざと忙しいふりをして会うのを避けていたんだと、裕子は驚きを隠せなかった。

 ただ、家族の中で唯一、ずっと慕ってきてくれた裕子にだけは、もう観念する時がきたと感じたのかもしれない。

 もっと早く気づいていればよかった――。そうしたら、もっと早く手を差し伸べてあげられたのかもしれないのに。そう思うと、悔しくて仕方なかった。

「私がついていくから、まずは役所関係の手続きから、立て直していこうな」

 別れ際に駅の改札で裕子が言うと、「そうやな」と大介は静かに頷いた。

 兄の現状を知った裕子は、帰りの新幹線の中で、どうしたら兄の生活が立て直せるだろうかと頭を巡らせていた。体はあちこち悪いはずなのに、病院にすらかかっていなかった。なんでもっと早くこの現状に私は気がつかなかったのだろうか。兄のことを思うと、心が痛み、悔しくて、涙がにじんできた。しかし、少しでも前に進んでいくには、肉親の自分しか力になれる人はいないはずだと、裕子は自らを奮い立たせた。

「ひょっとして、俺の身体、臭うかな?」家はゴミ屋敷、15年間ずっと無職の兄(55)の生活を立て直したい…20年ぶりに再会した妹の“決心”〉へ続く

(菅野 久美子/Webオリジナル(外部転載))