郄木三四郎インタビュー 後編

(中編:「都電プロレス」炎上の真相と、ササダンゴ・マシンとの「カオス」なワンマッチ>>)

 DDTの現役レスラーとして活躍しながら、株式会社CyberFight(サイバーファイト)代表取締役社長を務めてきた郄木三四郎。「大社長」の愛称で親しまれてきたが、今年6月1日より副社長となり、7月21日、DDT両国国技館大会を最後に無期限休養に入った。

 引退ロードならぬ「無期限休養ロード」について聞くインタビュー後編では、無期限休養ロードFINALと、プロレス人生におけるベストバウトについて語ってもらった。


「無期限休養ロード」を振り返った 郄木三四郎 photo by 林ユバ

■両国国技館大会で「無期限休養ロードFINAL」

――7月21日、両国国技館大会で「無期限休養ロードFINAL」を迎えました。最後の対戦相手に男色ディーノ選手を指名した理由は?

郄木:ドラマティックドリームを体現できるのは、男色ディーノしかいないと思っているんです。彼がDDTに参戦したのは2002年くらいからで、歴史の大半を担っている人間なんですよ。アダルトな方向性にいきがちではあるんですけど、プロレスをクリエイトする能力がものすごくある。プロレスに対する信条は僕に近いものがあって、エンターテイナーとしての領域がプロレスには必要不可欠だと思っているんですよね。男色ディーノとだったらDDTを体現する何かを作り出せるんじゃないかなと思いました。

――試合形式は「ウェポンランブル」。両選手が用意した凶器が時間差で登場するというものでした。

郄木:男色ディーノが"ウェポン"として用意した東京女子プロレスは、自分が甲田哲也さん(東京女子プロレス代表)と一緒に旗揚げした団体で、山下実優、瑞希、上福ゆき、伊藤麻希は、僕がスカウトした思い入れのある選手です。そのあと登場した飯伏(幸太)もDDTに欠かせない存在ですし、ほかにもMIKAMIとポイズン澤田さんが来てくれたりとか、ドラマティックドリーム号(自転車)も含めて自分の歴史を表現できました。

 僕のなかで、スーパー・ササダンゴ・マシン、男色ディーノ、飯伏幸太、ケニー・オメガは、DDTが生み出したスーパースターなんですよ。ケニーは(憩室炎の影響で)まだ体調がよくないのであの場にはいなかったんですけど、中澤マイケルもいたし、あのメンバーが揃ったことはすごく感慨深いものがありました。

――男色ディーノ選手が最後の相手でよかったですね。

郄木:ほかにもスーパー・ササダンゴ・マシンとか、他団体だったら棚橋弘至選手とも試合したいと思ったんですけど、棚橋さんとはALL TOGETHERでわりとあっさり組めたので。

――5月6日に日本武道館で開催されたALL TOGETHERもすばらしい大会でした。郄木さんは棚橋選手、丸藤正道選手と組み、高橋裕二郎&成田蓮&"キング・オブ・ダークネス"EVIL組と対戦されました。

郄木:棚橋さんに関しては、僕も今さら「横一線」発言(※2015年、HARASHIMA戦のあと「全団体を横一列で見てもらったら困る」と発言)を蒸し返すつもりもないし、あそこで棚橋さん、丸藤さんと組めたのは、無期限休養ロードのひとつの大きなトピックだったと思います。

 相手がHOUSE OF TORTURE(新日本プロレスのヒールユニット)というのもよかった。武道館をドラマティックドリーム号で滑走してEVILたちを轢くというのは、やっぱり痛快でしたよね。よその団体だとわりと好き勝手できる(笑)。しかも第1試合というのがよかったです。

――第1試合は重要ですか?

郄木:掴みの試合ってすごく大事で、僕のなかではメインイベントの次に大事なのは第1試合なんですよ。オープニングで掴めなかったら、興行が終わっちゃうんです。だからとにかく派手に入場したかったし、派手なことをやりたかった。棚橋さんがやる前にスリングブレイド(棚橋の得意技)をやりたかった(笑)。

 昨年末、棚橋さんが新日本プロレスの新社長になるという発表があったじゃないですか。個人的に「棚橋さん、すごいな」とも思いましたし、「負けていられない」という気持ちも当然ありました。昨年末から今年の頭にかけて、本当に体調もよくなかったし、メンタルもかなりダウンしてたんですけど、棚橋さんの社長就任を受けて鼓舞されましたし、救われましたね。

――棚橋選手の「横一線」発言もあり、新日本プロレスとDDTはあまり関係がよくないのかと思っていました。

郄木:新日本プロレスには業界No.1というプライドがあると思いますが、僕らにも底辺から這い上がって今のDDTを築き上げたというプライドがある。「いつか一番になってやる」という気持ちは常に持っています。だけど、わだかまりとかは一切ないですね。団体経営者で集まって、プロレス界の未来について語り合いたいくらいです。市場が広がれば、各団体に恩恵があると思っているんですよ。

■竹下幸之介のポテンシャル、武知海青の類まれなる才能

――竹下幸之介選手も、今年G1 CLIMAXで大活躍でしたね。竹下選手のすごさとは?

郄木:ひとつはポテンシャルです。日本人のレスラーで、185cm以上の人って今はそんなにいないじゃないですか。彼は187cmで、体重も114kgある。彼はあの体格でトぺ・コンヒーロもノータッチ・トペもやりますからね。ジュニアの選手しかやらないようなことをスーパーヘビー級の彼がやったのが単純にウケたのと、AEWでも日本人レスラーとして頑張っている。それが自信につながっているんじゃないでしょうか。竹下が日本のプロレス界を掻き回す存在になれば、もっと面白くなると思います。

――ポテンシャルの高さといえば、2月25日にデビューした武知海青さん(THE RAMPAGE)もすごかったですね。

郄木:『覆面D』というドラマで大石(真翔)くんがプロレスを教えたんですけど、「武知海青さんは天才です。何をやらせてもすぐにできちゃう」と言っていて。その時は「ああ、そうなんだ」と思ってたんですけど、初めて武知さんが動いているのを見た時に衝撃を受けたんですよ。ちょうど藤田晋さん(サイバーエージェント代表取締役社長)もいて、「彼みたいな人がプロレスラーになったら、プロレスの歴史も変わりますね」と言われたのがきっかけですね。彼はスーパースターになると思いました。

――武知さんのどういうところがすごいと思われますか?

郄木:最初から「プロレスラーでしょ」というくらい動けていたし、なによりプロレスに対してひたむきで、愛してくれている。デビュー前に記者会見をやった時、「こんなに所作が美しいスポーツはない」って表現してくれたんですよ。それがすごく嬉しかったですね。

――9月29日、7カ月ぶりに試合をされますが、デビュー戦から間が空いたので試合勘はどうなのかなと。

郄木:「天才」という言葉でひと括りにするのも乱暴なんですけど、彼は類まれなる才能を持っている。プロレスって、ただ単に技ができるだけでもダメだし、強いだけでもダメなんですよ。所作がいかに美しく見えるかが大きなポイントで、武知さんの技とか表情とか、技を受けているところとか、全部美しいんです。そういう表現者としての才能を持っている人って、なかなかいないんですよね。生まれ持ったものだと思います。

■「新幹線プロレス以上のことはできない」

――プロレス人生を振り返って、ベストバウトは?

郄木:それを聞くって、完全に引退するみたいな感じじゃないですか!(笑) ベストバウトはこれから先にあるかもしれないですよ。

――とりあえず、今の段階で......。

郄木:めちゃくちゃ引退っぽいけどな......(笑)。ベストは毎回、塗り替えられているんですよ。2005年にディック東郷さんとやった試合もそうだし、2009年に飯伏とやったワンマッチ興行もそうだし、去年3月に竹下とやった試合もそうだし、今年3月に大家(健)とやった試合もそうだし......都電プロレスも実家プロレスも、この間の両国の試合もそうですね。

 まだまだ塗り替えるつもりでいるのでベストバウトは決められないんですけど、現時点で郄木三四郎史上、「これ以上のことはできないだろうな」というのは、やっぱり新幹線プロレスです。これ以上のことは本当にできない。

――世界中で話題になり、一躍時の人となりましたね。

郄木:世界130カ国くらいでトップニュース扱いだったんですよ。日本でも、地上波の全局で3日間くらい、朝、昼、夕方、晩のトップニュースで取り上げられた。これ以上のことはたぶんできないし、日本のプロレス史のなかで、これだけ世界中に広まった試合はないと思います。(アントニオ)猪木さんや、武藤(敬司)さんの引退も、世界ではあそこまで報道されていない。本当に鈴木みのるさんのお陰であり、アイディアの勝利だったと思っています。

――飛行機プロレスをやったら、また話題になるのでは?

郄木:飛行機はたぶん、そんなにバズらないと思います。新幹線は、世界中で知られる世界初の高速鉄道ですからね。だからこそ世界中の人が「『ブレットトレイン』(新幹線を題材にしたブラット・ピット主演の映画)だ!」と話題にしてくれた。プロレスの新たな可能性を示せたと思うし、それを塗り替えられるとしたら、渋谷のスクランブル交差点でのプロレスしかないかな。でも現段階では、どうやっても許可が下りないらしいんですよね。

――休養を決断したのは、新幹線プロレスでやりきった、という思いもあったのでしょうか。

郄木:正直、ありますね。きっかけにはなりました。

――新幹線プロレスで「引退します」とおっしゃった時、すぐに撤回されましたが、本心なのかなと思ったんですよね。

郄木:すごい達成感があったのは事実です。あとは、さっきも言った渋谷のスクランブル交差点か、ディズニーランドくらいかな......。でも、許可は下りないでしょう。だから新幹線プロレスは奇跡なんです。

――最後に、DDTの今後についてお聞かせください。

郄木:若い選手がやりたいこと、広めていきたいことを僕はサポートしつつも、興行団体として作り上げていきたいですね。

――もっとDDTを世間に届けたい?

郄木:DDTというよりは、「プロレスを」ですね。プロレスのメディア露出度は、1980年代などに比べると確実に下がっている。もちろんメディアの変遷もあるので、なんでもかんでも地上波というわけにはいかないんですけど。アメリカでは、WWEがコンテンツとして何千億という値段で放映権料が払われるという事実もあります。その点は日本だけちょっと遅れていますから、大きなコンテンツにしたいなと思っていますよ。プロレスというジャンルをね。

【プロフィール】
■郄木三四郎(たかぎ・さんしろう)

1970年1月13日、大阪府豊中市生まれ。1997年にDDTプロレスリングの旗揚げに参加。2006年1月、DDTの社長に就任。2017年にサイバーエージェントグループに参画。2020年9月、サイバーファイトの代表取締役社長に就任。2024年6月1日、同社副社長に就任。「大社長」の愛称で現役レスラーとしても活躍してきたが、2024年7月21日の両国国技館大会を最後に無期限休養に入った。175cm、105kg。X(旧Twitter)@t346fire