新総理・石破茂は鳥取からなぜ単身で慶應高校へ? 落ち込んで東京駅のホームに向かった少年期が凄い《保守政治家》

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新総理・石破茂氏が、総裁選出馬のタイミングで出版した最新刊「保守政治家 わが政策、わが天命」(講談社刊)が面白い。政策はもちろんのこと、明かされてこなかった自らの来歴を、赤裸々に明かしているのだ。同書から抜粋して紹介しよう。

鳥取県知事だった父の考え

1972年、私は慶應義塾高校に進学します。

実は、父としては、自分が卒業した鳥取一中(今の鳥取西高)に進ませ、東大に入れて役人にしたかったらしいです。ただ、母親はそれに賛成ではなかった。そうでなくても秀才とは言えない息子は、鳥取西高はなんとか受かるかもしれないが、東大に行けと無理やり勉強させるのがいいのかどうか、と思ったようです。

政治家の子どもというのは、言うことを聞くいい子になるか、グレるかどっちかだというのが相場のようですが、この子はあまり強制するとグレるかもしれないと。

もう一つ、知事の息子が県立高に行くのはあまりよくない、という思いが母にはあったらしい。彼女自身が知事の娘として県立高に行き、教師からも友人からも特別視され、嫌な思いをしたんだそうです。だから、自分の子には同じ目には遭わせたくないと思ったのでしょう。

私も当時田舎の中学生ですから、灘だの麻布だのはよくわからない。過去問集を見ると難しそうだし、そういうところに行こうとは全く思わなかった。東京教育大(現・筑波大)附属駒場高校とか学芸大附属みたいなところを受けようかなと思ったら、当時は親が首都圏にいないと受けさせてもらえなかった。

それで結局消去法で慶應くらいしか残らなかったんです。父はすごくがっかりしたようですが、まあ母の意見が通って15歳で東京に一人で出てくることになりました。

壮絶なカルチャーショック

そこから一応一人暮らしが始まるわけですが、上の姉が近くに住んでいたので、その近くにアパートを借りてね。食事その他は上の姉が面倒を見てくれました。

東京に出てきてみて、カルチャーショックが凄かったですね。慶應をやめて鳥取西高校を受け直そうと何度思ったことか。いじめはなかったですが、みんなよく勉強ができるし、格好いいしね。

そうやって落ち込んだ時は、必ず帰りに東京駅に寄って、夜行列車が出るホームに行きました。東京駅から山陰方面に行く夜行特急「出雲」というのがあって、乗るのは東京の人が半分くらい、島根の人が4分の1くらい、そして鳥取の人が4分の1くらいいるんです。だからそこに行くと鳥取の人の訛や会話を聞くことができる。

まさに石川啄木の歌の通りでした。「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」ですね。このまま夜行列車に乗って帰ったらどんなにいいか、とも思いながら、何とか我慢して東京の家に帰りました。

ただ、1年の夏休みの頃には東京生活にもすっかり慣れ、そんな気は全く薄れていました。やはりまだ15〜16歳ですから、同化するのも早かったんでしょうね。母親が東京の人だったんで、それほど違和感もなく溶け込んだ気がします。もちろん選挙区に帰れば、今でも鳥取の言葉をしゃべりますよ。ネイティブですからね。

豊田章男氏と同級生で

慶應義塾高校は、1学年900人もいるすごいマンモス校です。同級生全体を把握するのが難しいくらい。トヨタ自動車の豊田章男さんが同級生だったと後になって知りましたが、当時は全くわかりませんでした。石原伸晃さんが1年下にいて、泉麻人さんは同じクラスでした。担任の先生が泉さんのお父さんでしたね。数学の先生で。

2023年の夏の甲子園で、我が母校が107年ぶりに優勝し、卒業生として本当に嬉

しく思うとともに、半世紀も前の高校時代を懐かしく思い返しました。特段の禁止事項はない代わりに自己責任が厳しく問われる、というユニークな学校でした。後輩諸君は文武両道に励んでいるようで、実に立派なものだと思いました。

高校生活も3年たって大学進学の時期がやってきました。慶應高校から慶應大学に進学する場合、文系だと一番成績のいい人たちは経済学部に行く。

次は法学部法律学科、その次は商学部、法学部政治学科と続き、それ以外の個性的な人が文学部に行く。つまり、経済学部が花形でした。私は英語、国語、古文、漢文は学年で1番を取ることもありましたが、当時から(今もそうですが)、数学とか物理は苦手。そもそも問題が理解できない。1時間のテストで開始から20分たったら出ていいと言われた時は、白紙答案で20分で出てきた人間です。

経済学部に行ったとしても、数字を見ると頭が痛くなるのではどうしても長続きしないだろう。近代経済学にせよ数量経済学にせよ、数式や計算なしにはすまない、という感じでしたから。

で、高3の夏休みに、結構進路に悩みまして、鳥取に帰った。本屋に寄ったら、たまたま司法試験の受験雑誌があった。今でもある「法学セミナー」というやつですが、その8月号が司法試験受験特集なので、その年の試験の解説みたいなのがあって、刑法の問題を読んでいるうちに、それが滅茶苦茶面白くなって、自分が生きる世界はこれだ、と思い、そこからは迷うことなく法学部法律学科を選びました。

新総理・石破茂が「ダメダメ銀行員」だった時代の秘話が面白すぎる《「保守政治家」を読み解く》につづく

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