お笑いコンビ・ガレッジセールのゴリさん扮する女性キャラ・松浦ゴリエが15年以上ぶりの復活を果たしたのは2021年のこと。また、かつてナインティナイン・岡村隆史さんと繰り広げたブレイクダンスの「伝説のバトル」が、今年開催されたパリ・オリンピックをきっかけに再び注目を集めました。このW復活について、ご本人はどんなふうに感じているのでしょうか。(全4回中の2回) 

【写真】「お腹のハミ肉に年齢感じるも」52歳にして華麗すぎるチアを踊りきるゴリエちゃん(全18枚)

封印したはずのゴリエにオファーが続いて

キレキレダンスが魅力のゴリエちゃん

── 2002年、お笑い番組「ワンナイR&R」の企画がきっかけで生まれたゴリエちゃんが、2021年にYouTubeの企画で1回限りの復活を果たしました。ところがそれ以降、テレビCMや情報番組のレギュラー出演など、活躍の場が広がっています。そんな状況をご自身はどう思っていますか?

ゴリさん:ゴリエは15年以上前にコントの中で生まれたキャラクターですが、自分の中ではずっと昔に封印していたんです。でも、YouTubeでのゴリエ復活がものすごい反響で。テレビ番組『新しいカギ』で16年ぶりに「PECORI♡NIGHT」を踊ってほしいというオファーがきたときは、もう腹をくくりましたね。どうせやるなら痛々しいなんて思われたくないから必死で練習しました。あのキレのある踊りを戻すまで3週間かかりましたが。

本番に臨んでみたら、予想以上にほめていただいて、レギュラー番組やイベント出演がどんどん決まっていっちゃった。今はもう、ゴリエの振りつけを絶対忘れないように、毎週水曜は朝早く起きて「Mickey」と「PECORI♡NIGHT」をフルで踊ることにしてるんですよ(笑)。

「俺、何やってるんだろ(笑)」って思う瞬間も

── 今やゴリさんの日常にゴリエちゃんが溶け込んでいるんですね。ゴリさんの中でゴリエちゃんはどんな存在なのでしょう。

ゴリさん:ゴリエって、自分のキャリアの中でかなり珍しいパターン、っていうのかな。若手のころは「冠番組のオファーが来ないかな」とか、自分から理想を求めて突き進むじゃないですか。でも、ゴリエはまず、僕自身が執着していない。逆に、僕は今もう52歳ですから、たまに「俺、何してるんだろ」って冷静になる(笑)。だって、20代前半の女性マネージャーにブラジャーのホックをとめてもらったりしてるんですから(笑)。

ゴリエちゃんはナイスバディで運動神経も抜群

── ちゃんとブラジャーもしているんですね(笑)。

ゴリさん:していますよ。あと、昔はロケのときにゴリエのまま男子トイレに入ったら、女の子たちに「ゴリエちゃんが男子トイレに入った!」って悲しい顔をされたことがあって。スタッフから「今後、人前ではトイレに入らないでください」って言われたことも。だから、僕はゴリエのときはそれをちゃんと守って、トイレを我慢しています(笑)。

以前はディレクターから「ゴリエちゃん、下ネタは控えめにしましょう」って言われたりもしました。でも今は、ゴリエが下ネタを言うと、お客さんが笑顔になって「きゃー!」って喜んでくれる。ゴリエだと下ネタが許されちゃうんです(笑)。

「見飽きた」と言われるまでゴリエを生きたい

── ゴリエちゃんを見て、元気をもらったり、励まされたりする人も多いと聞きます。

ゴリさん:そうなんですよ。昨日も1万5000人のお客さんの前で「PECORI♡NIGHT」を踊ってきましたが、みなさん、「ゴリエちゃーん!」って、笑顔で手を振ってくださるんです。ゴリエが踊ると、ものすごい手拍子で会場が湧く。そんな光景を見ると、「求められている限りは頑張るしかないな」と思います。自分にそう思わせるのがゴリエなのかもしれない。

元気とパワーをたくさんの人に届けるゴリエちゃん

それに、「うちの子が小さいころよく『PECORI♡NIGHT』を踊っていました」とか「会社の忘年会で『Mickey』を踊ったんです」なんて笑顔で言われると、みなさんの思い出のアルバムにいるゴリエってすごいなって。光栄なことなので、「見飽きた」と言われるまで、みなさんの記憶とともにあるゴリエを生きたいって思います。

ブレイキンの猛者たちが僕のことを「レジェンド!」って

── 2002年、人気番組『めちゃめちゃイケてる』で繰り広げられたゴリさんとナインティナイン・岡村隆史さんとのブレイクダンス・バトルが、今では「伝説」とまで言われていますね。

ゴリさん:それもあってか、岡村さんの番組でブレイクダンスが紹介されるときは、よくゲストに呼ばれます。番組では、ブレイキンの選手たちの技を見せてもらったりするんですけど、岡村さんと僕のバトルがきっかけでブレイクダンスを始めたっていう選手が何人もいて、すごく驚きましたね。

岡村さんと僕の場合は、80年代ごろ主流だったオールドスタイルの技が多いんですけど、今のブレイカーたちはもっと難しい技をたくさん決めていて、僕たちとはもう、レベルが全然違う。とんでもない技をやっちゃう人たちなのに、岡村さんと僕のことを「うわっ!レジェンドだ!」って(笑)。「日本中のブレイカーで、あの『めちゃイケ』の伝説のバトルのことを知らない人はいない」とまで言ってくれて、つくづく頑張ってよかったなと思います。

── ゴリさんはいつごろブレイクダンスを始めたんですか?

ゴリさん:小6のころですね。1980年代にその名も『ブレイクダンス』という映画で初めてブレイクダンスを目の当たりにして、一瞬にしてハマったわけです。でも、あのころはブレイクダンスが習える教室なんてなかったから、独学で腕を磨くしかなかった。映画のビデオを何度も巻き戻しながら、見よう見まねで技を覚えて、身につけた技で他校の子たちとバトル、みたいなことをしていました。

まだあどけなさが残るゴリさん。この少し後にブレイクダンスに出会った

とはいえ、僕がブレイクダンスを始めたころなんて、まわりの大人から「こんな不良がやるようなダンスなんてくだらない。何の役に立つんだ」とか「じゃまでしょうがない」って言われて、白い目で見られていました。でも、僕たちは気にせず、段ボールにスプレーで絵を描いて、音楽をガンガン鳴らしながら(沖縄の)国際通り沿いで踊っていたんです。当時は最高にカッコいいと思っていたから、英語を話せないのにブレイクダンスを踊っている米兵に平気で「教えて」って頼み込んだり。でも結局、中学2年でダンスはやめてしまったんですけどね。

── 中学2年でやめたのに、どうして『めちゃイケ』での「伝説のバトル」が実現したのですか?

ゴリさん:岡村さんは昔ブレイカーのチームに入っていたので、踊れることが知られていたんです。そんななか、ディレクターさんとスタッフさんとの間で「ゴリもブレイクダンスができるらしいぞ」って話になったらしくて。「だったら企画でバトルさせよう」と決まったと聞きました。

でも、当時は別にブレイクダンスが流行っていたわけじゃなくて、たまたま企画のひとつとしてやっただけなんです。ところが世間の人には、僕たちが信じられない動きをしているように見えたみたいで。アンテナをビンビンに張ってた若者たちが「俺もやりたい!」と言ってやり出した、というわけです。その子たちが大きくなって、今年のパリ・オリンピック選手の候補にも選ばれたという。もう、びっくりですよ。

本音では「勝てないな」と思いながら岡村さんと対峙

──「伝説のバトル」では、どんなことを意識して岡村さんと勝負していたのですか?

ゴリさん:バトルをやることが決まってからは、もう1回技を叩き込み直しました。もともとのオールドスタイルに新しい技も取り入れながらアレンジしたりして。勝負は真剣で、僕も勝つつもりであの場に行ったんですよ。僕は足を広げて回るウィンドミルは得意だったけど、頭で回るヘッドスピンができなくて。岡村さんが圧倒的なヘッドスピンを見せたあたりで、負けたなって。技の多さといい、岡村さんのほうがうわてだったなと思います。

── ゴリさんにとって岡村さんは憧れの存在だったのでしょうか。

ゴリさん:そうですね。本音を言えば、最初から自分よりも岡村さんのほうがレベルが高いのはわかっていて。勝てないなって思いながら、がむしゃらに食い下がっていた感じです。岡村さんに勝負できるだけで僕にとっては光栄なことでした。

PROFILE ガレッジセール・ゴリさん

本名・照屋年之(てるや・としゆき)。1972年、沖縄県出身。1995年に相方の川田広樹さんとお笑いコンビ・ガレッジセールを結成。バラエティ番組、ドラマなど、芸人としてだけでなく俳優として、また2009年からは監督した映画が高い評価を得る。2025年年始めには、照屋年之としての監督映画『かなさんどー』が公開予定。プライベートでは2児の父。

取材・文/高梨真紀 写真提供/ガレッジセール・ゴリ