冒頭、「内野聖陽」として舞台に登場する。「まるっきり素で舞台に出るのが僕はわからない。きっと(本名の)内野聖陽(まさあき)が内野聖陽(せいよう)を演じるんだろうな」(写真・宮川舞子)

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 内野聖陽(せいよう)が日本で最も有名な俳人の一代記「芭蕉通夜舟」(こまつ座)に挑む。

 井上ひさしが40代の頃、自らと松尾芭蕉の苦闘を重ね合わせるようにして書いた戯曲とも言われる。内野も、2人の葛藤を追体験しようとしている。(森重達裕)

 内野が井上作品の舞台に出るのは一人芝居の「化粧二題」(2019年、21年、鵜山仁演出)以来だ。今回の「芭蕉――」も舞台進行を下支えする朗唱役(4人)はいるが、ほぼ一人芝居と言える。こまつ座と鵜山から出演の打診があり、「また一人で構築するお芝居に挑戦してみたい思いが心のどこかに確実にあった。そこに、ちびっと火を付けられた」と振り返る。

 戯曲を読み込み、稽古に臨む中で「自分の求めたいことと、世俗が求めることのギャップがテーマでは」と感じたという。「私が演じる場合もそこを探す旅みたいなところがある。井上先生、芭蕉さんが闘った共通点が内野にもないかな、と探しているところです」

 1983年の初演で小沢昭一が、2012年には坂東三津五郎も演じた。俳諧の形式の一つで36句からなる「歌仙」になぞらえ、36景(シーン)で芭蕉の10代から死後までが描かれる。

 若くして俳諧の才能を開花させ、生活が富むにつれてむなしさを覚え、旅で自然と向き合い、人生で自分がなすべきことを見いだそうと、もがき続けた芭蕉。そんな孤独な闘いの過程が、「古池や蛙(かわず)飛び込む水の音」「閑(しずか)さや岩にしみ入(いる)蝉(せみ)の声」を始め、有名な句を巡るエピソードと共に、主として一人語りで展開する。

 「一景、一景に詩情があり、芭蕉さんが生きて苦闘した瞬間、瞬間をエキスみたいに抽出している。裏に秘められたメッセージも深い。僕はあまり奇をてらわずに写実的に表現するのが好みの俳優ですが、今回はそれでは通用しない。演技の奥にあるもの、見えない根っこを想像してもらえるような舞台にできたら」

 稽古前、俳聖の「呼吸を感じたい」と、東北を中心に「おくのほそ道」で句が詠まれた場所を一人で巡ってきたという。「五月雨を集めて(流れが)速い時期に、(山形の)最上川に行きました。今はネットで写真が見られるけど、それでは絶対に分からない感覚だった。山寺までの結構な階段を上っていくと『あぁこれは蝉の声、岩にしみ入るなぁ』と、芭蕉さんの感受性が肌でわかった」と演じるイメージも湧いたという。

 文学座での初舞台から昨年が30年の節目。映像と舞台の双方で高い評価を受けてきた。途切れずに舞台に挑む理由を「魂とか技、役者の全てが試される。そういう意味では、舞台はやめちゃいかんという思いがある。勝負事でやっている」ときっぱりと語った。10月14〜26日、東京・新宿の紀伊国屋サザンシアター。(電)03・3862・5941。