伝達式を終えファンに手を振る大の里(カメラ・岡野 将大)

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 角界入りすべきか悩んだ新潟・海洋高3年時。大の里は、日体大の齋藤一雄監督(56)に衝撃的な言葉で勧誘された。「このままプロに行けば十両にはなれるだろう。でも、私の元にくれば横綱、大関になれる」。高校でのタイトルは1つだけの大の里は「アマチュア相撲に未練があった」こともあり、進学を決めた。

 稽古場で大の里を見ると「あの体格で超一流のスピード。まさにF1と言っていい」。一方で、弱点にも気付いていた。得意の右でまわしを取れなかった時に体を引いてしまった。右手ばかりを使って半身になる悪癖を直すため、左手の使い方を伝授。スピードを存分に生かし、1年生で29年ぶりの学生横綱になった。齋藤監督をして「こんなに早く取るとは思わなかった」と言わしめる急成長だった。

 日体大では、のちの欧勝馬(27)=鳴戸=、阿武剋(24)=阿武松=、白熊(25)=二所ノ関=、そしてアマ横綱で日本人初のNFL入りを目指して全米大学体育協会(NCAA)のコロラド州立大でアメフトをプレーする花田秀虎(22)らと稽古。東京五輪柔道女子52キロ級金メダルの阿部詩(24)と同じ学科。世界と戦うアスリートたちと同じ空気を吸い「いつかは超えたい存在」と思える刺激を受けた。

 2年生だった20年にはコロナ禍のため、地元の石川・津幡町に約3か月の帰省を余儀なくされた。相撲経験者の父・中村知幸さん(48)の休日にはおぶって山を登り、海岸でロープを引っ張って走るなど自主トレ。父は「山稽古(稽古場以外で行う稽古)みたいな感じだった」。努力が実り、3年で念願のアマ横綱。4年もアマ横綱で、大学で積み重ねた個人タイトルは13個となった。

 大学卒業時に多くの部屋から勧誘を受け、選んだのは茨城・阿見町の二所ノ関部屋だった。理由は「誘惑のない環境で成長したいから」。入門後は初土俵から所要7場所での幕内最速優勝など歴史を塗り替えてきた。師匠の二所ノ関親方は「まだまだ伸びる」と期待。相撲への一途(いちず)な思いを貫き、横綱へ向けてさらに成長してくれそうだ。=おわり=