新大関に昇進し、記者会見に臨む大の里(カメラ・岡野 将大)

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 大相撲の新大関・大の里(24)=二所ノ関=のしこ名の由来である、大ノ里萬助=本名・天内(あまない)萬助=の親族が25日、新大関誕生を喜んだ。大の里は8月、大正から昭和初期にかけて「相撲の神様」と呼ばれた名大関の故郷である青森・藤崎町を訪問し、秋場所優勝と大関昇進への刺激を受けていた。“初代”と地位を並べ、次は悲願の「横綱・おおのさと」誕生を目指す。藤崎町では大の里後援会が発足予定で、化粧まわしも発注するなど、“神様超え”をサポートしていく。

 大の里の「唯一無二」の口上に胸が熱くなった。初代・大ノ里の親族である、天内家の当代の天内司さん(71)は、青森県内の自宅からテレビで「大関・おおのさと」の復活を見守った。「新大関はやる気満々だったね〜。いろんな技術を身につけて頑張ってほしい」と喜んだ。今年は大ノ里が大関に昇進してちょうど100年目。「大ノ里関は私が生まれる前に亡くなった。だからこそうれしい」と感慨深げだった。

 大の里は8月の夏巡業の合間を縫い、藤崎町を初めて訪問した。天内さんと初対面し「大関・大ノ里」と書かれた石碑のある神社を紹介された。100年前の明け荷や化粧まわしも見せてもらい、自身の明け荷とそっくりであることに驚いた。「名前をいただいたからには、大関にならないといけない」と決意を語っていた。

 大ノ里は誠実な人柄や、相撲界のために私財をなげうつなど人格者だったことから「相撲の神様」と呼ばれた。天内さんは昨年3月、師匠の二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)らから、しこ名の使用許可を求められて快諾した。「大の里関は他人に思えない。100年たって横綱に昇進してくれたら、こんなうれしいことはないよ」と夢にさえ思わなかった「横綱・おおのさと」誕生を期待した。

 藤崎町では大の里の後援会設立が計画されている。名産「ふじりんご」が描かれた化粧まわしも発注済みで、九州場所前の贈呈を目指す。大の里は「自分は青森出身じゃないのに応援してくれていた。すごく力になった」と感謝した。先代への思いも胸に“神様超え”を実現する。(山田 豊)

 ◆大ノ里 萬助 大正後期〜昭和初期を中心に活躍した青森・藤崎町出身の元大関。161センチ、97キロの小兵ながら、大関24場所を務め「相撲の神様」と称された。通算217勝147敗6分け4預22休。1932年1月に多数の力士が協会に待遇改善などを要求した「春秋園事件」の盟主となって、日本相撲協会を脱退した。35年に現役を引退。38年死去。