清原和博の息子・清原正吾 プロ志望届を提出「両親を喜ばせたい」中学はバレーボール、高校はアメリカンフットボールで活躍

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慶大・清原正吾(C)SANKEI

慶大・清原正吾内野手(4年=慶応)が東京六大学野球秋季リーグ戦の開幕前の11日、プロ志望届を提出したことを表明した。

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父はもちろんプロ通算525本塁打を放っている清原和博氏(57)。スポーツ リアライブでは14日に本人の独占インタビューを中心に詳報した。

清原:大学から野球を始めて4年間やってきて、本当にラストイヤーというところで、自分の中で"挑戦"と"覚悟"というところが一番大きいです。

あとは、シンプルに父親である"清原和博"という背中を見てきて、やっぱり夢のある舞台ですし、挑戦できる環境に感謝しながら、最後の秋を経て、人生の中で一番大きな決断をさせて頂きました。

晴れやかな表情で清原はそう言った。

キーワードは「家族」

中学・高校の6年間、野球から離れていた中で名門慶大野球部の門を叩いてレギュラーとなり、プロ志望届提出へ。すべては家族への思い、家族からの温かい支えがあってのことだ、という。


清原:父親も一度は良くないことをしてしまったんですけど、そこから社会復帰して頑張っていた頃だったので、何か元気づけたり喜ぶことがないかなって考えた時に、もう1回僕が挑戦して活躍したらだいぶ嬉しいんだろうな、と思ったりして、本当に覚悟はいりましたけど、6年ぶりに野球を始めました。


いくら偉大な父の血が流れているとはいえ、中学はバレーボール、高校はアメリカンフットボールを選択し、野球から離れていたハンデは大きい。それでも「両親への恩返し、喜ばせたい気持ち」を優先させた。


清原:周りは名門高出身者ばかりで野球がうまくて。最初はやっぱりこの世界厳しいなって思ったり、「やっていけんかなー」と思ったりしました。

全体練習でエラーしても"まあいいや"という目で見られている自分が許せなくて...。でももう一回、ずっと頑張ろうと思えるモチベーションの源になったのは、やっぱり家族の存在で。両親だったり、弟を喜ばせたい、笑顔を見たいという気持ちがあったからこそ、ここまで来られたのかな、と思います。


野球を始めたのはもちろん父親の影響。そして一度野球から離れた理由も父親だった。


清原:小学校の時は、父がきっかけで。父のかっこいい背中だったり。引退試合も見させてもらって、本当に父の影響力や凄さを感じて野球を始めたんですけど、父親の逮捕や離婚もあったりして一度父親と野球を嫌いになって、自分から野球を辞めると言って野球の道から外れました。


その父親は今、清原の試合をすべて観戦し必ず試合後にメッセージをくれる。これが大きな支えとなっている。


清原:プロの選手がアマチュアを教えるに際して資格を取らないといけなくて。実の息子ならいいという話も聞いたこともあって、少し微妙なところではあるんですけど。リーグ戦期間中は本当にアドバイス程度ですね。詳しい技術指導というのはなくて、主にメンタル面で支えになってくれてます。打てた日は「おめでとう」と言う風に褒めてくれたり、打てなかったら「次の日や!」という感じで。心の整理をしてくれる最高のコーチというかパートナーですね。


道具に関してもこだわりを持っている。父親から"バット、グローブは野球人にとって命同然"と教わってきた、という。そして現在は、バットは"清原和弘モデル"、グローブも父親が使用していた物を"神宮球場専用"として大切に使っている。


清原:木製バットは初めてだったので、父親に"どんな型のバット使ってるの"と聞いて、そのバットを振らせてもらったらメチャクチャ自分に合ってて。バットの形のこだわりを聞いたときに"これや!"と言う風になって、もうずっとグリップから何から何まで変えずに使ってます。グローブは本当に大切にしているので、リーグ戦でしか使いません。


プロ志望届を提出したものの、まだ清原自身"そのレベル"だとは思っていない。春季リーグ戦では13試合に出場して打率2割6分9厘、7打点をマーク。

本塁打はなかったものの、安定した一塁守備も評価されベストナインに選出された。ただ、この秋季リーグ戦の成績がプロ入りを左右すると言っても過言ではない。


清原:父親の背中を見て育ってきましたし、プロになることの難しさは父親が一番わかっていると思いますし、1%でも可能性があるならば挑戦したいな、と思っています。結果がどうであれ、やらない後悔だけはしたくないので、すべてにおいて。これまでも全部が挑戦してきた人生だったので。この秋頑張って、悔いを残さずやり切って、何度も言いますけど、1%でも可能性があるなら勝負してみたい世界だな、と思っています。


もちろん"目標は父親"であり、いつかは越えたいと思っているが、そこにも最初に出てくるのは「家族」。心優しき長男・正吾は同じ言葉を繰り返す。


清原:大学から野球を再開した以上は、トップのレベルまで行きたいとずっと思っていたので、(父親のようになりたい)気持ちはあるんですけど、一番のモチベーションは両親を喜ばせたい、ということなんです。性格的に自分がホームランを打つよりも、ホームランボールを親に渡した時の方がうれしくて。

まだ神宮でホームランを打てていないので、秋打ってホームランボールを渡したい、と思っています。自分が厳しい道に挑戦するにあたっても、家族が喜んでくれるという思いだけは強いので、そこには挑戦していきたいな、と思います。


プロ野球で通算400本以上本塁打を放った選手の二世で、東京六大学経由でドラフト指名された例は2度しかない。87年にヤクルトから1位指名された長嶋茂雄氏の長男・一茂氏(立大)と95年同じくヤクルト3位指名の故・野村克也氏の三男・勝則氏(登録名カツノリ=明大)だ。

一茂氏は中学時代の3年間、野球から離れていた時期があり清原と重なる部分もある。

10月24日(木)運命のドラフト会議。「清原はどこへ」。スポーツ リアライブでは今後も清原正吾選手の情報に加え、特集を組んでいく予定。また、その他のドラフト指名候補の紹介にも力を入れていきますので、お見逃しなく。お楽しみに!


テレ東スポーツリアライブ編集部