TBSの人気番組「世界遺産」の放送開始時よりディレクターとして、2005年からはプロデューサーとして、20年以上制作に携わった郄城千昭氏。世界遺産を知り尽くした著者ならではの世界遺産の読み解きと、意外と知られていない見どころをお届けします。

文=郄城千昭 取材協力=春燈社(小西眞由美)

スペインの世界遺産「ラス・メドゥラス」写真=フォトライブラリー


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「山崩し」という環境破壊が生んだ世界遺産

 日本に26件目の世界遺産「佐渡島(さど)の金山」(新潟県)が7月に誕生しました。この金山を報道する時に決まって映し出されるのが、「道遊の割戸」かも知れません。岩山の頂きから、巨人が斧で真っ二つに叩き割ったような奇妙な景観。それは山頂から露頭掘りで、人が金鉱脈にそって400年掘りつづけた跡です。

 いうなれば自然破壊の証しですが、ここで採れた金により江戸幕府の金庫がうるおい、オランダを通じて海洋交易が動きました。道遊の割戸は、そんな事実を物語るシンボルになっています。

佐渡金山の「道遊の割戸」写真=フォトライブラリー


「佐渡島の金山」は、相川金銀山・鶴子銀山(1つに捉える)と西三川砂金山の2つから成りますが、実際には鉱山集落跡や金を運んだ道、鉱石を砕くための石臼の採石場、小判をつくった奉行所がある相川町など、金の生産システム全体を1つの世界遺産にしています。

 しかし、明治以降に整備された「近代的なもの」は除外しています。相川町も建物そのものや史跡でなく、江戸時代の“町割り”を偲ぶことができる景観が登録されました。それは、1つのストーリー(歴史の見方)を提示し、当てはまる物件だけを集めて世界遺産にしているからです。

 佐渡島の金山は、「16〜19世紀、ヨーロッパの鉱山で機械化が進む中で、日本では手工業により純度の高い金の生産システムを極めて、世界の主要な金山になった」というストーリーに基づいています。これが他に類をみない価値をもつと、ユネスコに高く評価されました。

 私が注目したのは、西三川砂金山の「大流し」という砂金の採り方。山肌を掘り崩し、土石を川へ流すことで、ゆり板に残った砂金を選びとりました。それには土砂を押し流す大量の水が必要なため、9kmにおよぶ水路を張り巡らせたのです。虎丸山では、崩されてむき出しになった赤茶けた山肌を確認できます。

 この大流しが、佐渡島とローマ帝国とをつなげます。イベリア半島ではすでに2000年前、金への飽くなき欲望が、道遊の割戸にも似た光景を生み出していました。

ローマ帝国の鉱山にあった「大流し」と瓜二つの技術

 スペイン北西部レオン県にある世界遺産「ラス・メドゥラス」は、紀元1世紀から200年以上にわたって金が採掘された、ローマ帝国の鉱山跡です。でも足を一歩踏み入れると、緑あふれる木々のあい間に赤茶けた奇岩がいくつも突き出すという、誰も見たことがない風景が現れます。

 緑と赤茶のコントラストは山頂からなだらかな斜面をつくり、麓に人口わずか70人(2010年当時)の小さな村がありました。私が訪れたのは秋で、森の枝という枝にいが栗がたわわに実り、地面一杯にも転がっていました。そこは、なぜか懐かしい故郷のようであり、仙人が住まう桃源郷をも想わせたのです。

 しかしこの夢のような光景は、地球や自然が生み出したものではありません。人間の手にかかる大採掘の結果で、いわば環境破壊の産物なのです。ラス・メドゥラスで採れる金は、砂金です。その含有量は、1tの土砂にたった3g程度といわれます。そこでローマ帝国は、「ルイナ・モンティウム(山崩し)」という先端技術で効率よく砂金を集めることにします。これが、佐渡島の「大流し」と瓜二つなのです。

 まず総延長100kmもの水路を引き、山頂にある貯水池に水を溜めます。山全体には、手掘りであらかじめ水を通す穴をいく筋も掘っておきました。そして貯水池の水を一気に激流のごとく穴に落として、人為的な土砂崩れを起こしたのです。麓でその土砂をふるいにかけ、砂金を取り出しました。山崩しで採掘した金の量は、およそ750t! それらは金貨となり、ローマ帝国の全域で使われました。ラス・メドゥラスの金がなければ、古代ローマの繁栄は無かったかもしれません。

「ルイナ・モンティウム(山崩し)」の痕跡である穴 , , via Wikimedia Commons


 山崩しをくり返すことで、テーブル状に平坦だった台地は、奇妙な岩山へと変わりました。砂金を含んだ赤茶っぽい岩肌は、朝夕の一瞬、まるで異界に誘うかのように真っ赤に染まります。目を凝らせば、高さ100mもの崖に穴がポコポコと開いていました。

 ラス・メドゥラスを体感するために、3つの不思議を紹介しましょう。

 

1.古代ローマ人の楔(くさび)跡

 山崩しの際に、水を通したトンネルが無数に残されています。その1つで洞窟探検ができます。受付でヘルメットと懐中電灯を借りて、階段を下りてゆけば、その奥にランプ1つない真っ暗闇の穴。すべて古代ローマ人が掘ったまま……そこに楔の跡が生々しい箇所がありました。動物の脂のランプを燃やしながら、片手に鉄の楔をもち、1日8時間も石で叩き続けたといいます。300mほど進むと、行く手から光が差し込んでくるや否や、突然の断崖。ここから大量の水がほとばしり出たのです。

 

2.100mで3cm傾斜の水路

人工的な土砂崩れによって露出した水路 , , via Wikimedia Commons


 山頂付近には50mプール7杯分もの貯水池がありました。35劼睥イ譴神瑤ら水を引くために、ローマ帝国は水路を築きます。自然の力で水を流すために、水路にはゆるやかな傾斜が設けられました。その角度は、通常100mで3cmほど。こうした高度な土木技術は、古代ローマ人が水道橋で培ったものでした。

 スペイン「セゴビアの水道橋」(高さ28m・長さ728m)、フランスの「ポン・デュ・ガール」(高さ49m・長さ275m)などが登録されています。ラス・メドゥラスで山間の水路を歩き、かすかな傾きに触れてみてはいかがでしょうか? 

 

3.奇岩を支えてきた栗の木

奇岩の山の麓に広がる栗の森 , , via Wikimedia Commons


 この一帯を緑あふれる奇岩の山にしているのは、ほぼすべて栗の木です。古代ローマの金山だった最盛期、ここには2万人が暮らしました。鉱夫のための食料として、栗はローマ帝国が植えたものなのです。瘦せた土地ゆえに、他の農作物は育ちません。紀元4世紀にローマ帝国が去った後も、栗の木は茂りつづけ、山が崩れることなく守ってきました。

 村人たちは、保存がきく栗がなければ、この地で生き抜くことはできなかったと語ります。宿屋の主人が、ガラポンみたいな筒に入れ、コロコロと回しながら栗を焼いてくれました。その昔ながらの焼き栗の、なんと美味いこと! ローマ帝国の置き土産を味わうためだけでも、行く目的として満点です。

 近郊を一緒にめぐると、ローマ帝国が金採掘のために、どのような支配体制を敷いたのかが理解できます。金が集められたアストルガに残るのは、街を取り囲んでいた古代ローマの無骨な城壁……ここから金は、陸路でローマまで運ばれました。その石畳の道をとどめる赤い村やローマ橋があり、やがて街道は、強力な軍団を常駐させた交通の要衝・レオンへ着きます。ローマ帝国は各地に文化をもたらしました。

 レオンの街でぜひ味わって欲しいのが、塩漬けの牛肉を乾燥させたセシーナ! 美食家をもうならせる、生ハムを超えた美味しさです。

 2000年前から時を止めた、ローマ帝国の山崩しの跡にタイムワープしてみるのも一興かも? もちろん秋の焼き栗シーズンは外せませんね。

※ラス・メドゥラスの洞窟探検については、公開日時など変更される場合があります。麓の村にある宿泊施設やレストランともども、現地にお問い合わせください。

 

※旅行に行かれる際は外務省海外安全ホームページなどで現地の安全情報を確認してからお出かけください。

https://www.anzen.mofa.go.jp/

筆者:郄城 千昭