「連続テレビ小説」(通称「朝ドラ」)第110作『虎に翼』(NHK総合)が来週最終回をむかえ、9月30日(月)からは第111作『おむすび』が放送を開始。そんななか、朝7時15分からNHK BSで放送中の「アンコール放送枠」では9月23日(月)から、『カーネーション』の再放送が始まる。(全2本の前編/後編を読む)

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「キャラクターを傍観者として観察し、耳を傾ける」という脚本術

  2011年10月から2012年3月にかけて放送された『カーネーション』は、ファッションデザイナーの「コシノ3姉妹」を育てた小篠綾子氏をモデルに、主人公・小原糸子(尾野真千子)の洋裁師人生を描いた朝ドラ第85作。人生のすべて、人間のすべてを描いた重層性あふれる作劇で、本放送から13年を経た今でも「朝ドラ史上最高傑作」との呼び声が高い。

  他局も含めたBS・CS・地上波を併せると、今回で6回目の再放送となる本作だが、いつ観ても、何度観てもその魅力が色褪せるどころか、観るたびに新たな発見がある。『カーネーション』が特別である理由は数多あるが、まずなんといっても、渡辺あや氏による「脚本の力」であろう。

  直近のドラマ作品では、日本民間放送連盟賞番組部門テレビドラマ番組最優秀賞をはじめ数々の賞に輝いた『エルピス ー希望、あるいは災いー』(2022/フジテレビ)が記憶に新しい渡辺氏。人物の深いところまで潜って「芯」をつかみ、人間の本質を描くことのできる稀有な作家だ。

『エルピス』放送前に渡辺あや氏にインタビュー(「この役は長澤まさみさんしか考えられないので」 『エルピス』脚本家・渡辺あやが明かした、キャスティングの裏側)した記事で、筆者は彼女の執筆スタイルを「『イタコ』のよう」だと述べた。

 渡辺氏自身も複数のインタビューで語っているが、彼女の執筆スタイルは「頭の上からキャラクターの言動や人間関係が書き込まれたファイルが届くのを待って、それを読み込んでいく」という作業だという。

  キャラクターを傍観者として観察し、耳を傾けると、人物がひとりでに動き出し、喋り出す。それをひたすら書き取っていく。

  だからなのだろうか、『カーネーション』に登場する人物は、主人公の糸子(尾野真千子)をはじめ、1回しか出演がない端役のひとりに至るまで、生身の人間として物語の中で確実に「生きている」。愛も欲も業もすべてそのままに、その人らしい「あるがまま」の姿で存在し、書き手はそれを断罪したり、作劇の都合で捻じ曲げたりしない。 

  舞台である大正から平成にかけて、当時「あったもの」を「なかったもの」に漂白しない。家父長制の時代、糸子の父・善作(小林薫)は糸子を怒鳴るし殴る。家族と家業をまるごと失った奈津(栗山千明)は戦後パンパンになって生き延びるしかなかった。登場人物の行動と生き様が、「人間とは何か」「本質とは何か」を観る者に問いかけてくる。

  放送を終えてしばらくした後、渡辺氏は『カーネーション』について、こう語っている(『朝日新聞』2012年4月4日)。

〈すでにある物語が見る人に届きたくて、私やスタッフや俳優たちが呼ばれた〉

  ドラマを統べるのは、脚本家でもヒロインでもなく「物語」である。渡辺氏のこうした創作への姿勢と、作品と人物の「聖域」を尊守する距離感。ここに、『カーネーション』が稀代の名作になった理由がある。

「あんたの図太さは毒や!」「もう、さみしい。さみしいさかい」

『カーネーション』は人物の本音を「言葉」ではほぼ説明しない。疎開先で幼い直子(心花)が糸子に渡した赤い花びら、倉庫にしまわれ曳く者のいなくなっただんじり、周防(綾野剛)に恋した糸子が桶で足を洗う夕暮れ、優子(新山千春)と直子(川崎亜沙美)が奪い合った赤いバッグ、聡子(安田美沙子)が人知れず握りしめていた賞状の入った筒……。映像のなかにある、「言外」の雄弁さに息を呑む。言葉で説明のつかない感情にこそ、物語の「核」があった。

『カーネーション』の登場人物たちは説明台詞も長台詞も言わない。その言葉はどれも、血の通った、生きている人間が発する言葉だ。簡潔なのに、ズバッと芯を食う。選び抜かれ、磨き抜かれた玉のような言葉が、観る者の心の深いところにスッと落ちて、ずっと消えない。

「もっとなくなったわ。心」
「あんたの図太さは毒や!」
「さあ、お昼にしようけ」
「言いない。金輪際、言いない」
「こんでチャラや」
「もう、さみしい。さみしいさかい」
「あの子は、やったんやな。あの子が、やったんや」

  真の「名台詞」は至ってシンプルで、自然だ。言葉というものは、その人がその場面で、それを言うから輝きを放つのだ。

物語に「呼ばれた」スタッフたち

  渡辺あや氏による脚本の魅力を最大限に活かして映像に落とし込んだスタッフの力も大きい。

  映画やNHKの単発ドラマの脚本は書いていたものの、連続ドラマ未経験の渡辺氏を脚本に抜擢し、制作全体をハンドリングした制作統括の城谷厚司氏の慧眼。チーフ演出の田中健二氏をはじめとする演出部による、朝ドラにおいては挑戦的な「台詞に頼らない」映像づくり。

  田中氏は、朝ドラでは初めての使用となるプログレッシブカメラを導入したことでも知られる。このカメラは小型なので演者の細かな動きに対応し、残像がわずかに残って映画的な質感になる。彼らもまた、渡辺氏の言う、「物語に『呼ばれた』スタッフたち」だということだろう。

  本作で3rdディレクターをつとめた安達もじり氏は、のちに『心の傷を癒すということ』(2020)、『カムカムエヴリバディ』(2021)などのチーフ演出として辣腕をふるい、今や「BK(NHK大阪)にこの人あり」と言われる名監督である。

 また、当時若手ディレクターとして『カーネーション』に参加し、その後『らんまん』(2023)の制作統括をつとめた松川博敬氏にインタビュー(18週以降は「覚悟を持って描いた」奥深いのに、わかりやすい…朝ドラ『らんまん』はいかにして生まれたか《制作統括が語る》)した際、朝ドラ制作への思いについて、こう語っていた。

〈 まだ若手の頃『カーネーション』に演出として参加したことが、多分に影響しているかもしれません。自分が朝ドラをやるからには、『カーネーション』に恥じないものを作らなきゃ、と思っていました。〉

  優れた朝ドラから枝分かれして、また優れた朝ドラが生まれる。朝ドラのひとつの到達点となった『カーネーション』は、視聴者にとっての評価基準となったばかりか、作り手の指針にもなっているようだ。

朝ドラなのに主人公・糸子が岸和田から動かない…“異色の朝ドラ”『カーネーション』で尾野真千子と夏木マリが体現したものとは《まもなく再放送が開始》〉へ続く

(佐野 華英)