苦しんでいる人は、誰にでも苦しみを打ち明けるわけではないという(写真:Luce/PIXTA)

ホスピス医として、これまで4000人を看取ってきた小澤竹俊氏は、死を目前に控え、これまでの人生の意味すら見失ってしまった患者さんたちの苦しみを和らげるには、「丁寧に話を聴く」ことが重要だといいます。

「死を待つだけの自分には何の価値もない」「人に迷惑をかけるだけだから、早く死んでしまいたい」と嘆く患者さんたちが、再び穏やかな気持ちを取り戻すために、小澤氏が実践してきた「話の聴き方」とは。

※本稿は、小澤氏の著書『新版 今日が人生最後の日だと思って生きなさい』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

大切な人を失った悲しみを「分かち合う」

生きていれば誰でも、理不尽な苦しみ、解決できない苦しみに遭遇します。そのようなとき、同じ境遇の人に自分の苦しみを話すことが支えとなり、気持ちが楽になることもあります。

人はそれぞれ、個性も抱えている事情も異なりますから、お互いの気持ちを100%理解するのは難しいかもしれません。しかし「同じような苦しみを味わった人であれば、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」と思えることが、ときには苦しみを和らげてくれるのです。

たとえば、私の運営するめぐみ在宅クリニックでは月に1回、ご遺族の集まりである「わかち合いの会」を開いています。そこでは、みなさんに、ご自分の気持ちを何度も繰り返しお話しいただくようにしています。

ご家族を亡くしたとき、見守り、見送る側の人々も別れに苦しみます。大切な人を失った悲しみに加え、「どうして、もっと早く病院に連れていかなかったんだろう」「話をちゃんと聞いて、希望を叶えてあげたかった」「病気と全力で闘っている人に『頑張れ』と言ってしまったことを、今でも後悔している」といった具合に、自分自身を責めてしまうことも少なくありません。

しかし、そんなご遺族に対し、「亡くなられた方は、みなさんに支えられて、きっと感謝しているはずです」と慰めの言葉をかけたところで、なかなか相手の心には届きません。

こうした苦しみを抱えている人にとっては、「苦しみをわかってくれる人がいる」「苦しみを共に味わってくれる人がいる」と感じられることこそが、何よりも大事なのではないかと、私は思います。

「わかち合いの会」に集まるみなさんは、同じ境遇の人たちがいる中で気持ちを話すことによって、自分自身を癒やしている。私の目には、そんなふうにも映ります。お話しになる内容は毎回同じでも、心の中では、前に向かって歩んでいくための力が養われているような気がします。

もし、今、みなさんが何かに苦しんでいるなら、似たような思いを抱えている人たちが集うワークショップなどに足を運び、自分の苦しみを話してみると、よいかもしれません。

相手の気持ちを「100%理解」することはできない

苦しみを抱えた人を気遣うことは、とても大切です。しかし、どんなに親しい間柄であっても、どんなに心をこめて接しても、人は相手の気持ちを100%理解することはできません。

私自身、他のスタッフと意見が食い違い、悩んだこともあります。同じ職場で、同じように患者さんのことを思って働いていても、互いの考えを完全に理解することはできないのです。

それでは、他人の苦しみに対し、私たちはどうすればいいのでしょうか。私は次のように考えています。

「人と人は完全に理解し合えなくても、相手を『理解者だ』と思ったり、相手に『理解者だ』と思ってもらったりすることはできる」

まるで何かの問答のようですが、私はいつも、「もしかしたら、『理解者だ』と思ってもらえるかもしれない」という希望を抱きつつ、患者さんと接しています。

かつて看取りに関わった患者さんの中に、長年真面目に働き、定年退職後に奥さんと世界旅行をすることを楽しみにしている方がいました。しかしあるとき、体調不良から検査を受けたところ、がんが発見されたのです。がんは肝臓と脳に転移しており、治療は難しく、余命1年と宣告されました。

「一生懸命働いてきて、老後は奥さんを労わってあげたかったのに」

「なんのために、働いてきたのか」

「自分の人生はなんだったのか」

最初のうち、その患者さんは、絶望し、苦しみ、これまでの人生の意味すら見失ってしまいました。こうした患者さんに対し、私たちにできることは何か。丁寧に話を聴くことしかありません。

たとえ苦しみは解決されなくても、辛いときに「辛い」という言葉を、苦しい時には「苦しい」という言葉をちゃんと聴いてくれる相手がいるだけで、つまり「この人は、自分の気持ちをわかってくれている」と思える人がいるだけで、人は少しだけ、楽な気持ちになることができます。

人生の最終段階の医療に携わる私たちは、日々、苦しみを抱えた患者さんたちと向き合っています。たとえ気持ちを100%理解できなくても、もしかしたら患者さんが、私を「理解者だ」と思い、穏やかな気持ちを取り戻してくれるかもしれない。

私はいつも、そのような希望を抱きながら、患者さんの話を丁寧に聴き、共に苦しみを味わおうとしています。

話を「丁寧に聴く」のはとても難しい

ただ、「相手の話を丁寧に聴く」というのは、簡単なようで、とても難しいことでもあります。

最初は話を聞いていたのに、気がつくと、自分の体験談やアドバイスを話してしまっている。相手が話していないことまで勝手に自分の頭の中で想像して補い、わかったような気になってしまう。そんな人は、案外多いのではないでしょうか。

特に、相手のことを少しでも理解したと思ったとたん、人は相手の話を聞かなくなりがちです。家族や親友など、気心の知れた人に対して、相手がまだ話している途中なのに「聞かなくてもわかるよ」とさえぎってしまったことはありませんか?

医療の現場でも、紹介状によって病状などを把握した医者が、病気の辛さを訴える患者さんの話をあまり聞かずに診察を進める、ということがしばしばあります。話を聴き、その苦しみを共に味わうことで、患者さんの苦しみが和らぐこともあるのに、残念ながら、そこに気がつかない医療者が多いのが現状です。

話を聴くときには「相手は、自分とは違う人間である」と認識し、先入観や思い込みを捨てる必要があります。

ちなみに私は、患者さんの話を聴く際には、相手の話すテンポを大切にします。適度にあいづちを打ち、ときおり相手の表情をうかがうことも心がけています。いずれも、患者さんに安心して話していただくためです。

さらに、患者さんには忙しそうな様子を見せず、できるだけのんびりゆったりと構えます。苦しんでいる人は、誰にでも苦しみを打ち明けるわけではありません。自分の苦しみをわかってくれそうな人、言葉を変えると「暇そうな人」を選びます。

ですから、苦しみを抱えている人がいたら、できるだけ「この人、暇そうだな。こちらから声をかけてみようかな」と思ってもらえるような雰囲気を作ります。

何より大切なのは「苦しみ」を共に味わうこと

なお、話を丁寧に聴き、相手の伝えたいメッセージをキャッチできたら、言葉にして、相手に返しましょう。もし、その内容があっていたら、相手は「そうなんです!」と頷いてくれるはずです。


たとえば、誰かが「この前、仕事でミスをしてしまった」と話していたら、私なら「この前、仕事でミスをしてしまったのですね」とまずは反復します。肯定も否定もせず、「馬鹿だなあ」などと言ったり、「どんなミス?」と尋ねたり、「他で挽回すればいいよ」と励ましたりもしません。ただただ、相手の言葉を丁寧に反復します。

すると、必ず相手のほうから「電話1本かけて確認しておけばよかった」と、具体的な話をしてくるはずです。このときも、「そうか、確認しなかったのがいけなかったと思ってるんだね」と、相手の気持ちを認めるようにします。

やがて、相手の口から「そうそう!」「そうなんです!」といった言葉が飛び出し、口数が一気に増えます。それが、相手がこちらを「自分の理解者である」と認めたサインです。

苦しみを抱えた人を前にすると、つい良いことを言ったりアドバイスしたりしたくなるかもしれません。しかし、苦しんでいる人は、ただ「相手が、自分の苦しみをわかってくれている」と思えるだけで、気持ちが落ち着くのです。

相手の話を丁寧に聴き、反復すること。相手の苦しみを、共に味わうこと。それが何よりも大切だと、私は思います。

(小澤 竹俊 : 医師)