マスコミ志望で早稲田に進学したものの、父親の他界で福岡にUターン就職した女性。住む場所と職を何度か変えた彼女がやっと結婚に至った経緯とはーー(イラスト:堀江篤史)

「若い頃、周りは敵だらけだと思い込んでいました。就職活動で本流から外れて“けもの道”を歩いている私は、強くあらねばとトゲトゲしていたんです。いろいろあって弱ってしまったとき、男性の優しさを素直に受け止められるようになりました。そうすると景色が全然違って見えますね。世界ってこんなに優しかったんだと気づきました」

早稲田進学→父の他界で福岡にUターン…

博多駅前にある喫茶店に来ている。やや大げさな表現を使いながらもしみじみと語ってくれるのは、福岡県内のIT関連会社に勤務している西川恵子さん(仮名、38歳)。マスコミ志望で早稲田大学に進学・上京したが、在学中に父親が他界し、福岡の企業にUターン就職。母親との絆が強すぎる一人っ子だったことが大きいらしい。ただし、母親が再婚してからはもう一度夢を追いかけるために再び上京した。27歳のときだった。

「転職先の小さな制作会社は半年後には給料が出なくなりましたが、さらに転職したITメガベンチャーではWebメディアの編集長にもなれました」

都心にあった「お金はないけれど夢がある」若者ばかりのシェアハウスに住んでいたという恵子さん。そこで知り合った2歳年下の男性と2年弱付き合い、別れた後もしばらく引きずっていたと振り返る。

「東大の大学院で美術を研究している美青年でした。たまたま地元が同じで意気投合したんです。私は結婚したかったのですが、『僕はまだ何者にもなれていない。家族を養えない』と振られました。そういうナイーブなところも含めて、好きだったのですが……」

失恋の傷が癒えぬままに付き合い始めたのがメガベンチャーの同僚男性だった。自信過剰な叩き上げ社員だったという。前の恋人とは年齢が同じだけで真逆のタイプだ。10回以上も告白されて同棲までしたものの、浮気とモラハラに悩まされた。

「出張から帰って来てスーツケースを床にドカンと投げ出したりするんです。ビックリして『どうしたの?』と聞くと、批判されたと思って怒り出したり……。耐え切れなくなって別れたのが32歳のときです」

そのうちコロナ禍で在宅勤務になった。副業も始めていた恵子さんは思い切って独立開業し、福岡の実家と東京のマンションとの2拠点生活を始める。愛娘が帰ってきたので実家の母親は喜び、年収も1000万円を超えた。

「仕事は忙しくて楽しいし、自由に移動できるしで最高の2年半でした」

結婚したい気持ちはずっとあり、35歳のときにマッチングアプリ2種と結婚相談所を併用して婚活に本腰を入れた。20人以上のお見合い相手を顧客に見立て、仕事のようにエクセル管理。自分と相手の言動と反応を詳細に記録して分析し、最高の相手と結ばれることを目指した。

「でも、あまりうまくいきませんでした。私だけでなく相手にもたくさんの出会いがあるからです。スペックだけで相手を評価して、生理的に無理な人と妥協して付き合ってしまい、すぐに別れたこともあります。やっぱりフィーリングが大事なのだという当たり前のことに気づいて終わりました」

その後、設立した会社も思うようにはいかなくなり、東京での生活を引き払って、福岡での会社員生活に戻った。コロナ禍がほぼ終息した2023年の春のことだ。

「本格的に福岡に住むようになってからはかなり寂しい思いをしました。今の勤務先ではよくしてもらっていますが親しい友人はできず、母とも以前のようにはベッタリできません。年齢的にもとっくに距離を置くべきですし、母の再婚相手からもあまり歓迎されなくなりました。私の趣味は美術館巡りなのですが、福岡には東京ほどは美術館がありません」

久しぶりにマッチングアプリを再開したところ、さらに精神的なダメージを受けた。30代前半のときに東京で婚活をしていたときとは出会える人の種類が「全然違う」ことに直面したからだ。

「メディアやIT業界など、私と属性が近い人と会いたいなと思っていたのですが……。福岡は独身女性のほうが多くて、公務員男性が最上のように扱われています。女性を露骨に見下す人もいて愕然としました」

正人さんと出会い、初デート。緊張のあまり…

そんなときにマッチングアプリでプロフィールを見かけたのが、県内の福岡からやや離れた自治体で一人暮らしをしている2歳年下の正人さん(仮名)だった。物流会社の現場に近いところで働いているという。恵子さんが「いいね」をつけたのは、何よりも見た目が好みだったからだと明かす。

「顔が濃いめのイケメン、だと私は思っています。関東出身で、福岡に来るまでは東南アジアに5年半も赴任していたそうです。プロフィールには『生涯転勤族です!』という謎の宣言が書かれていました(笑)。以前の私だったら転勤族なんて絶対に嫌だったのですが、そのときには裏表のない実直な人なんだなと感じました」

初デートでは正人さんが福岡市内に来てくれた。飲食好きの恵子さんは行きたかった焼き鳥屋を予約。好みのタイプである正人さんを前に緊張し、記憶がなくなるまで飲んでしまったという。初対面で何をしているんですかと突っ込みたくなるが、いわゆるワセジョらしいエピソードではある。

「やってしまった、もう無理だ、と激しく後悔しました……。でも、彼は次の日に『真剣にお付き合いしてほしい』とLINEを送ってくれました。酔っ払って楽しそうに話している私に好感を抱いたそうです」

付き合って3カ月後には「これからもずっと一緒にいたいね」という正人さんに対して、「じゃあ結婚しようか」と恵子さんのほうからプロポーズ。両家顔合わせなどもスムーズに進んだ。

「彼の家族はほんわかと仲が良くて、みんな真っすぐ。私は母と祖母の仲が悪かったこともあって家族にあまりいいイメージがなかったのですが、彼の家族に加えてもらえて嬉しかったです。おかげで、結婚してから不妊治療を始める気持ちになれました」

ちなみに正人さんは法政大学の卒業生で、妹や従兄弟も早稲田や慶応卒。恵子さんは「学歴が私と近いように感じたのも安心要素になりました」と語る。マッチングアプリでの出会いには共通の知り合いやコミュニティがないため、少しでも共通点を見つけたくなるものなのかもしれない。

転居が多く、起業も経験した恵子さん。借金はないけれど貯金額が少ないという不安要素があることも伝えた。正人さんは「そんなに不安ならば結婚費用は僕が多く出すよ。3(正人さん):1(恵子さん)でどう?」と提案。駐在員時代に貯まったお金が2000万円ほどあると誇らしげに披露してくれた。

「言い方はおかしいかもしれませんが、彼にはMっ気があるのだと思います。お金は出すけど女性にリードしてほしいタイプです。新居は福岡市内のタワーマンションの中層階を購入しましたが、『どこに住むのかは恵子さんが決めていいよ』と言ってくれました。ローンは彼が単独で組んだのですが……。ボーナスの明細を『A評価がこんなにあったんだよ』と見せてきたりするのは私の学生時代の女友だちの旦那さんたちにも共通しています。私たちワセジョを選んでくれるのは年下気質の男性なのかもしれません」

夫の愛情に包まれ、幸せな日々

正人さんは毎日のように「すごくかわいい」と恵子さんを褒めてくれるという。かつては追いかけるような恋愛を望んでいた恵子さんは、今では正人さんの愛情に包まれる幸せに浸っている。


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「彼の転勤、私の仕事、子どもができるのかどうか、などの不安点は尽きません。PayPayも拒絶するほどアナログで現場系の彼とIT系の私では相容れないところもあります。でも、私にないものをたくさん持っていて優しい彼とその親きょうだいを大切にしたい気持ちは変わりません。私たちも温かい家族になっていきたいと思っています」

精神的に弱ったから素直になって結婚できた、と自己分析する恵子さん。筆者は少し違う感想を抱いた。東京の賑やかで華やかな世界に憧れ、そこで恋愛も起業も経験したが、肩ひじを張って無理をしていた部分も多かったのではないだろうか。「なりたい自分」には往々にして他人の欲望が入り込んでしまうものだから。

虚飾の部分を脱ぎ捨て、自分本来の欲望と向き合い、それを受け止めてくれる人たちと安らぎと前向きさに満ちた関係性を作ること。それは弱さではなく強さだと言える気がする。

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(大宮 冬洋 : ライター)