50代で脱サラして離島で暮らすおじさん3人、驚きの誤算で大忙し…「月3千本造っても足りない」長崎の人が次々とファンになるクラフトジン「GOTOGIN」の今とこれから
大手飲料メーカーのキリンを50代で早期退職、それまで縁がなかった長崎の離島に移住したおじさん3人が造るクラフトジン「GOTOGIN」が大人気だ。会社員時代から一変した離島での仕事、生活、価値観について、どう思っているのか聞いた。(前後編の後編)
好きな仕事をして、喜んでくれる人がいて、それよりいいことあるの?
大手企業を早期退職し、3人で創業した「五島つばき蒸溜所」。
建物の1階は、海を望める屋根付きのテラスになっており、ときに3人が造るクラフトジン「GOTOGIN」と食のイベントなどを催すカウンターも設えられている。
そのテラスでの取材にまず出て来てくれたのは、代表の門田クニヒコさんだった。
3人お揃いのオーバーオールに、真っ黒に日焼けした健康的な笑顔の門田さん。日焼けの理由を尋ねると「毎日昼休みに10分、目の前の海にザブーンと入って泳ぎます。シャワーを浴びて、午後からまた仕事です」
銀行から受けた融資の返済計画は15年。
「キリンの新入社員の給料より安い額ですが、3人の報酬を出して、月800本売れば赤字にならない計算でした。クラフトジンは日本じゃ売れないと思っていたんですが、初年度から計画が達成できています。新聞や、NHKなどのテレビ番組で紹介されたこともあり、今、月3000本造っても足りず、正直こんなに売れると思っていませんでした」(門田氏)
現在、注文しても3か月待ち、定期会員は800人。「GOTOGIN」のファンが着実に増えているのだ。
「嬉しいですし、ありがたいですが、一種のブームなのか? という戸惑いもあります。ブームなら、いつか終わりますから」
メディアの取材では何度も「大変なことはありましたか?」と聞かれる門田さんだが…
「本当にないんですよ。サラリーマンをやっていた時に経験してきたことばかりですから。経験値が高まる50歳ぐらいでスキルを生かし、自分で起業するケースももっとあっていいと思います。
高齢になるほど大手の銀行が融資を渋るケースも増えるそうですが、シニアのサラリーマンが独立して活躍できる風土が、日本にもっとつくれたらいいのに、と思います。僕自身は働くことが大好きなので、こうして自分が好きな仕事をして、喜んでくれる人がいて、それよりいいことあるの? と思う毎日です」
創業して2年足らずで計画の何倍も好調な売り上げに、増産や倉庫の増築などで大忙しとなった。
でも「無理はしないが、手も抜かない」。残業はせず、17時半の終業後はそれぞれ趣味などプライベートに時間を使う。その姿勢は島の人たちに倣ったという。
「島の人の生活は豊かですよ。新鮮な魚や野菜を食べて、素晴らしい景色と空気の中でのびのびと人間らしく生きている。東京の人とは時間の使い方が違うんですね。例えば、蒸留所の建築工事でも、職人さんは納期が遅れても残業しないんですよ。最初にここに来た時はそれにめちゃイライラした(笑)。でも、残業という無理をしないだけで、仕事の手は抜かないんですね。
そんな島の人たちに向き合ってきて、自分も一日一日を丁寧に生きる姿勢を学んでいます。
仕事を終えると、漁師さんが船で釣りに連れて行ってくれたり、夜家に一人でいるとカラオケスナックに呼び出されたり(笑)。いわゆるワークライフバランスが取れているというか、プライベートな生活も大事に、リラックスして好きなことをやれているからか、キリンの元同僚に会うと『顔が丸くなったね』といわれます」(門田氏)
大手では味わえない、直接やり取りができる喜び
同様に、ここに移住、起業してから価値観や時間の使い方が変わったと、マーケティングディレクターの小元俊祐さんも話す。
「楽しんで仕事しよう、というところから始めたので、できる範囲の中でやっています。以前は時間の流れがもっと速かったですね。付き合うのも、同業者など自分と同じような人たちとが多かった。
でもここでは老若男女、いろんな人たちとの交流が楽しい。神父さん、農家の人、漁師さん、看護師さん、合唱団サークルの仲間。プライベートな時間も釣りなど、お金をかけずにやりたいことをやる人が多いですね」
キリン時代も仕事には恵まれていたと思っている小元さんだが、以前はやれていなかったことが今できていて、さらに楽しいという。
「大手メーカーではたくさんの人に喜んでもらえる商品をつくるために、広告で投資をして利益を上げるビジネスモデルで、やり甲斐もありましたが、お客さんとは直接話す機会も少ないし、顔が見えにくい。
でもGOTOGINは、ファンになってくれた人たちと直接やり取りができる喜びがあります。ここ五島までわざわざ来てくれたり、自らPRしたり、ファンの人たちが魅力をひろげていってくれています。そうやって応援してくれる人がたくさんいるから、3人だけでやっている感じがしない。
特に島の人たちは“自分たちの酒”と思ってくれて『ありがとう』『地元が誇りに思えてきた』などといってくれます。この土地のおかげでGOTOGINができたのだから、こちらこそお礼をいいたいのに」
家族と離れての単身離島暮らしの小元さん。ふだん注意していることを聞いてみた。
「毎日楽しいですが、以前よりも重いものを持ったり、体を酷使する仕事もしますから、体調に気をつけていますね。あと、ありがたいことに家の近所では面が割れていて(笑)、スーパーで買い物をしていても声を掛けてもらったりするので、赤信号ではちゃんと止まるとか、行儀よくしています(笑)」
業界への恩返しをしておこう
3人のうち最年長でブレンダーの鬼頭英明さんは「自分たちの都合のよいものづくりではなく、飲んでくれた人が幸せになるものをつくりたい。その部分はキリン時代から培ってきたベースで、3人とも共通しています」と話す。
この先やりたいことについても聞いてみた。
「いずれこの蒸留所は、五島の人たちが誇りを持って働ける場として、やる気のある人たちに継いで欲しいと考えています」(鬼頭氏)
鬼頭さんはまた、この蒸留所だけでなく「日本全体の蒸留酒の底上げ」をすべく、新規参入している人たちの手伝いもしている。
「例えば今、クラフトジンでいえば、120以上の銘柄、クラフトウィスキーでは100を超える蒸留所が出来ていて、酒造り未経験の人の参入が多い。せっかくジャパニーズウィスキーが世界でこれだけ評価されているので、香味品質の低い酒が出て、その評価が下がることなく、更に向上できるように酒造り経験、技術のない人に自分の持っているものを渡していきたいです。
自分はバブルの頃、カリフォルニア大学に研究留学させてもらうなど、会社に多くの経験をさせてもらいました。今は日本の社会や企業にそうした余裕がなく、若い人は同様の経験をさせてもらえない。だったら自分が、業界への恩返しをしておこうと」
そんな鬼頭さんがブレンドしたGOTOGIN、3人らしい「男っぽいジン」でもあり、ここに根付いて暮らしを脈々と受け継いできた、五島の人の逞しさも表現されている気がする味なのだ。
最後に門田さんに、今後の目標を聞いてみた。
「来年以降海外へ出荷できるよう、増産を計画しているので、いずれGOTOGINで世界をびっくりさせたい。東の端の国の、西の端の島で造る僕たちのクラフトジンが世界で通用したら、そこでやっと自信が持てると思います。村上春樹が著書『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』の中で『うまい酒は旅をしない』と書いていますが、僕たちの夢は世界中からここに来てGOTOGINを飲んでくれることです」
村上春樹を愛読する3人が造った蒸留所は、世界への挑戦の準備を進めている。
取材・文/中島早苗
NHK『いいいじゅー!!』(BS 毎週金曜午後0時~0時30分 放送)