金正恩氏が平安北道の水害現場を視察した(2024年7月29日付労働新聞)

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2016年9月、台風10号の影響で、北朝鮮と中国の国境を流れる豆満江が氾濫した。

中国の国境警備隊は、咸鏡北道(ハムギョンブクト)穏城(オンソン)郡の豆満江の中洲に取り残された北朝鮮人男性2人と女性1人を救出した。また、吉林省の和龍市南坪鎮興華村では、流されてきた北朝鮮人男性1人と女性1人を救出するなど、中国から救助の知らせが相次いだ。

先月、豆満江同様に中朝国境を流れる鴨緑江の流域で大雨が降り、大水害が発生した。中国側は、増水により中州で孤立していた住民を救助する用意があると北朝鮮側に伝えたが、これを北朝鮮が断っていたと、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。

平安北道(ピョンアンブクト)の幹部によると、先月27日午後から28日明け方にかけて、新義州(シニジュ)市内が浸水したのは、28日午前2時に太平湾ダムの水門を開いたことによるもので、当局は事前に市民に対して避難命令を出した。

しかし、既に鴨緑江は増水しており、黄金坪(ファングムピョン)、柳草島(リュチョド)、威化島(ウィファド)、於赤島(オジョクト)、そして義州(ウィジュ)郡に属する九里島(クリド)の5つの中洲の住民は、避難するタイミングを逃して孤立してしまった。

この中で、新義州市内中心部につながる橋があるのは柳草島と威化島だけで、於赤島と九里島にはそもそも橋がかけられていない。そして、黄金坪には橋がかけられているが、つながっているのは中国だ。

柳草島の住民は橋を渡って避難できたが、威化島にかかる橋は水が床版を越え、避難の最中に水の流れに足を取られ流されてしまう人が続出した。この幹部によると、中洲の住民1000人以上が死亡、行方不明となったが、そのほとんどが威化島の住民だったという。

別の幹部によると、丹東市公安局は、平安北道安全局(双方とも警察)に、孤立した住民を救助する用意があると伝えた。しかし、金正恩総書記はこれを拒否し、多くの住民が犠牲になった。以下はこの幹部の語った詳しい証言内容だ。

「大雨が降り続いていた27日夕方に、鴨緑江は危険水位を越えていた。雨が止む気配なかったことから、同日午後、中国の丹東市公安局とわが国(北朝鮮)の平安北道安全局は、鴨緑江にある一部の発電所の水門を開くことについて議論した。水門は中国側の同意があってこそ開くことができるが、増水しきった状態で水門を開けば下流にある中洲が浸水することは明らかだった」

「そこで丹東市公安局は、中洲の住民を安全に中国に移動させる用意があると平安北道安全局に伝えたが、報告を受けた金正恩総書記はこれを拒否した」

この付近にある鴨緑江の中洲の多くは、北朝鮮領であっても中国側に近い場合が多い。於赤島の場合、万里の長城の最東端と言われている虎山長城からは「一歩跨」と言って、ほんの数歩ながら北朝鮮領に入れる。それほど近いのだ。

では、なぜ金正恩氏は、中国側の提案を断ったのか。

「金正恩氏は、中洲の住民を中国に避難させた場合、韓国に逃げるかも知れないとの理由で許さなかった。そうこうしているうちに日が暮れて、ヘリコプターでの救助ができなくなってしまった」

それでも丹東市公安局は、万が一の事態に備えて黄金坪と威化島、九里島の対岸にバスと救急車を夜通し待機させた。北朝鮮が救助を開始したのは、夜明け後の28に午前6時半からで、その1時間半後に金正恩氏が現場に到着したが、すでに雨は止み、水が引き始めていたころだった。

「中国に避難させたら韓国まで逃げてしまう」は大げさであっても、水害の混乱に乗じて脱北するという懸念は、あながち間違っていない。

平時の行方不明は、脱北の可能性があるとして政治的事件の扱いとなるが、災害時ならそこまで厳しく問われない。それを利用し、死んだことにして脱北してしまうのだ。

(参考記事:「死者1100人以上」北朝鮮の救難ヘリが相次ぎ墜落、全員死亡も

また、金正恩氏が自ら被災地に乗り込むのに、被災者の多くが中国側に救助されたとあっては、顔が立たない。住民を犠牲にしてまで、救助を指揮し、温かく見守る「絵」を撮るために、中国側の提案を断った可能性も考えられる。

いずれにせよ、体制と最高指導者の権威を保つためなら、何百、何千の人命の犠牲など厭わないのが、独裁国家・北朝鮮なのだ。