姉は女優の高橋メアリージュンさん、兄は絵画アーティスト、弟はサッカー清水エスパルス所属の高橋祐治選手。そうそうたるきょうだいと、両親からの深い愛情に包まれて育った高橋ユウさんの幼少期は意外なものでした。(全4回中の1回)

【画像】「面影が残ってる!」姉・高橋メアリージュン、弟であるサッカー選手・高橋祐治の姿も!高橋ユウの幼少時代(全19枚)

父に唯一怒られた中学生のときの記憶

姉は女優の高橋メアリージュンさん、兄は絵画アーティスト、弟は清水エスパルス所属の高橋祐治選手

── 高橋さんは幼少期をどのように過ごされていましたか?

高橋さん:毎日がにぎやかでしたね。私は滋賀県大津市の生まれで、物心ついた頃には姉も兄も弟もいたので最初から「いつも一緒」という感覚でした。

あるとき、父が私たちを喜ばそうと、母の故郷のフィリピンでよく見るような本格的な「バンブーハウス(竹の家)」を作ってくれたんです。手作りの受話器も柱に備えつけられていて。そこでみんなでおままごとをすることが多かったですね。

両親が休みの日は、父が庭で草むしりをしたり、母はガーデニングの手入れをしたりしている様子を子どもたちが見ながら、兄は庭に穴を掘ってミミズを探したり、弟は近くでサッカーをしたりと、好きに過ごしていました。

そして夜になると、母が音楽をかけながら食事の準備をするので、みんながリビングに集まって一緒に歌ったり踊ったりすることもありました(笑)。

── にぎやかな様子が伝わってきます。当時はご両親のことをどのように感じていましたか?

高橋さん:何があっても絶対に味方になってくれる存在ですね。だから、父や母の顔色をうかがって「こうしたらどう思われるかな」と考えることもなかった。

とにかく両親は褒めてくれるんですよ。たとえば、私がダンスを恥ずかしがると「ユウちゃんすごい!上手!かっこいい!ポーズとって!」とうまくのせてくる(笑)。また、私の意見に対して否定されることもありませんでした。

小学生の頃はバレーボールとバレエとピアノを習っていたんですが、特にバレエは自分から「やってみたい」と言ったんです。すると「やりたいならいいよ」と。習い事をやめるときも「自分で決めたんだったらいいよ」と言ってくれました。小さい頃から自分で決めることの大切さや責任について考えさせてくれたのだと思います。

お父さんと子どもたち

── ご両親から怒られることもなかったのですか?

高橋さん:もちろんありましたよ。たとえば、母の話を無視してしまったときは「ちゃんとコミュニケーションを取りなさい」と怒られました。これは親子間でよくある会話ですよね。いっぽう、中学生の頃に父から怒られたことは記憶に残っています。

当時、大親友だった子が不登校になり転校してしまって。「学校に行けているかな」と気になって、昼休みに友達と学校を抜け出してその子に会いに行ったんですよ。午後の授業に私たちがいないことに気づいた先生たちは、心配して親を学校に呼んでいて。夕方学校に戻ると、先生たちの前で「心配をかけるな」「迷惑をかけるな」と父から本気で叱られました。

ただ、その後に父が私の好きなチェーン店のラーメン屋に連れて行ってくれたんです。そこで「好きなん頼み」と。運ばれてきたラーメンを無言ですすっていると、「転校した友達、元気やったか?ユウちゃんは、友達のことがすごい心配やったんやな。会いたかったんやな。友達想いはほんまにユウちゃんの優しいところやで」と父がぼそっと言ってくれて。

その言葉にすごくホッとして、泣きながらラーメンを食べたことを覚えています。思い返せば父はどんなときも最後は私の気持ちを受け入れてくれる。常にそんな人でしたね。

「なんでユウの家はどんどん小さくなっていくの?」

いつも賑やかで楽しい家だった

高橋さん:その父が一度だけ、私たちきょうだいに対してしんみりとした姿を見せたことがあって。

── 何があったのですか?

高橋さん:実は小学4年生の頃、父が経営していた牛乳配達の会社が倒産してしまったんです。ある夕方に「みんな来てくれるか」と父に呼ばれ、家族全員で琵琶湖の畔を歩いていると、父が「実は会社が倒産して、今までのように過ごしていけなくなってしまった。お父さんも頑張るから、みんなも頑張ってくれるか」と切り出したんです。要は貧乏になってしまったと。母はその隣で静かに涙を流していました。

そんな両親の姿を見るのは初めてで、私も母の涙につられて泣いてしまったんです。他のきょうだいを見ると、中学生だった姉は涙をいっさい見せず現実を受け止めている姿が印象的でした。

そしてこう思ったんです。「いつも明るく私たちを受け入れて、たくさん抱きしめてくれた両親が弱っている。このふたりのために頑張らなきゃ」と。きょうだいも皆、同じ気持ちだったと思います。

── 両親のために頑張ろうと。実際にそこから生活が変わっていったんですね。

高橋さん:はい、それまでは習い事も好きにさせてくれたり、毎年家族で母の故郷であるフィリピンに遊びに行ったりと、なに不自由なく生活を送っていました。しかし、父の事業が倒産して破産してからはお金がなくなり、これまでの生活とはギャップが大きくて。

まず、バンブーハウスのあった庭つきの持ち家を引き払い、同じ街に引っ越したんです。引っ越し業者に依頼するお金もなかったので、夜に車に荷物を詰め込んで、何日もかけて荷物を運びました。さらに引っ越した先の家賃も払えなくなってしまい、もう一度同じ街に引っ越しをして。そのときは、父が勤める牛乳配達屋さんから軽トラックを借りて、そこに荷物を詰め込んでみんなで運びました。

そんな様子を見て、幼なじみに「なんでユウの家はどんどん小さくなっていくん?」と聞かれることもありましたね。

── 短期間に次々と環境が変わっていったと。

高橋さん:はい。その当時、中1、小6、小4、小1と育ち盛りの子どもが4人いたので、両親は大変だったと思います。実際、当時は物が買えず、泊まりがけの校外学習では仲の良い友達のお兄ちゃんからボストンバックを借りることもありました。でも、だからといって「お金がない。大変、つらい…」と鬱々とする感じでもなかったんですよ。

お金がなくても家族が明るくいられた両親の教え

デビュー前、中学生時代の高橋ユウさん(左)とお父さん、メアリージュンさん

──「お金がない状態でも鬱々とした雰囲気はなかった」というのは?

高橋さん:はい。実際、お金はないんだけれど、家の中の雰囲気はめちゃくちゃよかったです(笑)。

先ほど引っ越しの話をしましたが、もともと住んでいた家に住めなくなり、新しい家に引っ越すとき、私たち子どもには次の新しい家がどんな家なのかもわからなかったんです。車で新しい家を見に行く途中、両親から「じゃあ、みんな目隠しして」と言われて、自分たちで目隠しをして。車が停まっても「まだやで、まだやで」と言われながら連れて行かれて、最後に「はい」という合図で目隠しをパッと外すんです。すると両親が「ここが、新しい家でーす!」と嬉しそうに発表してくれて。

── とても明るいですね。

高橋ユウさん:そう(笑)。それで私たちも子どもだから「わーい!イェーイ!」という感じで盛り上がっていました。

本来なら、住む家がどんどん狭くなったり、物が買えなくなったりすることはとてもつらいことだと思います。しかし、当時は引っ越し作業さえ、子どもながらに楽しい思い出になっているんです。

なぜそうだったのかと考えると、それは間違いなく両親のおかげですね。お金がなくても、家族の気持ちがひとつであれば、それだけで豊かなんだとふたりは教えてくれましたから。


だから、もしこの先どんなに大変なことがあっても、きっと楽しくできるんじゃないかと私が思えるのは、いつも安心できる家庭を両親がつくってくれていたから。両親には感謝の気持ちでいっぱいですね。

高橋ユウさん

PROFILE 高橋ユウさん

1991年1月19日生まれ 滋賀県出身。モデル・タレント。『Cawaii!』の専属モデルを経て、テレビドラマ『仮面ライダーキバ』、ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』シリーズなどで女優としても活躍。2018 年にK-1元世界王者のト部弘嵩選手と結婚し、現在は二児の母として子育てと仕事を両立している。 バラエティー番組等に多数出演するほか、コメンテーターや YouTubeでも活躍中。

写真提供/高橋ユウ