イスラム教徒がラマダン月に礼拝するアルアクサ・モスク(写真・ rasinona/PIXTA)

ハマスによるテロ攻撃によってイスラエルが戦争を始めてから5カ月が経過した。今も134名の人質を取られているイスラエルは水面下で交渉を続けているが、合意に至っていない。

イスラエルの「ニュース13」が行なった最新の世論調査では、次のような結果が出ている。

イスラエル世論「人質交渉を指示する」43%

・イスラエルに収監されている数百人のパレスチナ囚人と引き換えに人質を解放する交渉を支持するか。
 支持する 43% 支持しない 36%

・ネタニヤフ首相の言う「ハマスに対する絶対的な勝利」を得ることができると信じるか。
 信じる 45% 信じない 45%

・2023年10月7日の失態は誰の責任が一番大きいか。
 ネタニヤフ首相 44% 治安当局 43%

・すぐに総選挙をするべきだと思うか。
 思う 42% 思わない 49%

人質解放交渉については支持派が7ポイント上回っているが、この戦争を続けて「絶対的な勝利」を得られるかどうかは意見が拮抗している。イスラエル国民の大半は人質の命を最優先すると考えているが、ここで戦闘を止めると将来的に再び同じ悲劇が起きかねないというジレンマに悩まされている。

また、この戦争に至った責任はネタニヤフ首相にあるとする人がわずかに多いが、今すぐ総選挙をするべきではないという人が7ポイント上回っている。正解のない問いに対して、イスラエルの世論は揺れ動いている。

3月にラマダン月を迎えるに当たり、再び休戦協定が結ばれ、人質が解放されるのではないかという期待が語られ始めた。ラマダン月はイスラム教徒にとって神聖なときであり、よりよい生き方をしようという思いがいつも以上に高まる期間とされているからである。

ラマダンとはイスラム暦の第9月の名称で、イスラム教徒はこの1カ月間、日中に断食をして過ごす。イスラム暦は太陰暦なので西暦より10日ほど短く、毎年ラマダン月はずれていく。2024年は3月10日(あるいは11日)〜4月8日(あるいは9日)に当たる。

イスラム教の創始者ムハンマドがコーランの言葉を神に啓示されたのがラマダン月である。この月にイスラム教徒は「浄化と自制、共感」を育み、神に近づく時を持つ。

それで日の出から日没まで断食する。日没後にはイフタールと呼ばれるご馳走が振る舞われ、家族と多くの時間を過ごす。1年で最も大切な月とされている。

エルサレムに住んでいたとき、ラマダン月の夜に旧市街のアラブ人地区へ出かけたことがあった。辺りが肉を焼く美味しそうな香りで充満していた。

筆者はイスラム教徒ではないので口にしなかったが、イフタールは基本的に無料で振る舞われている。「ラマダン太り」という言葉があるらしい。日中に断食しているためか、いつもより多く食べてしまうのだそうだ。辛い断食の月というイメージが一変した。特別なデザートが用意され、子供たちも夜更かしをして楽しそうだった。

ラマダン月に人質解放交渉が進展?

そんなラマダン月を迎えるに当たり、人質解放の交渉が進展すると思われていた。けれどもそれは実現しそうにない。その理由について「イスラエルが停戦に応じないから」、あるいは「ハマスがイスラエルの求める人質の生存者リストを出さないから」などと報道されている。

交渉内容の詳細は極秘なので真相はわからない。しかし、イスラエルのラマダンには他の国と違う事情があることは知っておくべきだろう。

ラマダン月には数十万人のイスラム教徒がエルサレムのアルアクサ・モスクへ礼拝に来る。エルサレムのシンボルとなっている金のモスク(岩のドーム)の隣にあるのが、アルアクサである。

そこはユダヤ人が「ハル・ハバイト」(神殿の丘)と呼び、イスラム教徒が「ハラム・アッシャリーフ」(高貴な聖所)と呼ぶエリアである(ここでは「神域」で統一する)。ヨルダンが維持管理を行ない、イスラエルが警備を担っている。

エルサレムのアルアクサは、イスラム教徒にとってメッカ、メディナに次ぐ聖地である。ラマダンとアルアクサ、神聖な時と空間という組み合わせは、イスラム教徒にとって特別な意味を持つ。

ラマダン期間中、エルサレム以外に住むイスラム教徒も、制限なしに神域へ入場することができる。神域で一夜を過ごすことも認められている。

イスラエルにとってラマダン月は、緊迫感の高まる時期でもある。あらゆる場所からたくさんのイスラム教徒がアルアクサに集まることもあり、イスラエル治安部隊との小競り合いやテロ・暴動が毎年のように発生しているからである。

イスラエルの治安当局は、戦争中である2024年は入場者の人数や年齢を規制するよう要請した。当初はその方向で動いていたようだが、最終的に内閣がこれを承認しなかった。

イスラエル国籍を持つパレスチナ人(いわゆる「アラブ系イスラエル人」)は、基本的にラマダンの第1週は制限なくアルアクサへ入場できる見込みである。ただし毎週治安状況の評価が行なわれ、それに応じて意思決定がなされる。

アラブ系イスラエル人はどう過ごすか

ベン・グビール国家安全保障相は「この決定はイスラエル国民を危険に晒し、ハマスに勝利を与える恐れがある」として反発している。

ネタニヤフ首相は「われわれは適切な安全を維持しつつ、神域での礼拝の自由を保つためにあらゆる努力をし、ラマダン月にイスラム教徒が神域で過ごすことを可能にする。今までもそうしてきたし、今後も同様である」と述べている。

ただ、シャバク(国家保安局)やIDF(イスラエル国防軍)当局者は、年齢制限は設けないが、安全性の観点から神域での礼拝者数は6万人に規制すべきだと主張している。これ以上の人数になると、何らかの事件が起きた際の対応が難しいためだと思われる。

実際にイスラエル治安当局がどのような対処をするのか不透明な部分も多いが、基本的に神域への規制を行なわないとしたイスラエル政府の決定の背後には、2つの要因が考えられる。

1つは、神域への入場規制という「異例の処置」を行なうことで、イスラム世界の反感を買ってしまう恐れである。治安維持の観点から、逆に規制しないほうが安全だと判断したのだろう。

そしてもう1つは、今の戦争はハマスに向けてであって、イスラム教徒に対してではないというメッセージを発信するためである。いずれも政治的な判断と言える。

平和なラマダン月を過ごせるか

ではラマダン月は何事もなく平和に終わるのかと言えば、それはわからない。2月下旬、ハマスのハニヤ政治局長は「ラマダン第1日目からアルアクサ・モスクに詣でるよう、エルサレムと西岸地区、占領地区に住む我らの民に呼びかける」と演説した。

これはイスラエル当局が神域への入場規制を検討しているという当初の発表を受けての呼びかけである。

入場に際して問題が発生し、イスラエルの治安部隊がイスラム教徒を制圧する様子が世界に発信されれば、ハマスにとっては都合が良い。イスラム世界に向けて、反イスラエル運動を呼びかける機会となるからだ。イスラエルがアルアクサを占拠し、われわれの聖所が危険にさらされている、と。

「アルアクサが危険にさらされている」という政治スローガンは、古くから用いられてきた。1929年には、岩のドームが破壊されているような偽造写真が流布され、大きな暴動に発展した。これはラマダン期間中ではなかったが、ユダヤ人百数十名が殺害された。

2023年10月7日の攻撃を、ハマスは「アルアクサの洪水」作戦と命名していることにも注目すべきだろう。イスラエルの治安当局は、特にエルサレムでは最大限の厳戒態勢を敷くと予測される。

ガザ地区ではハマスとの戦いが今も続いており、北部ではヒズボラのミサイル攻撃が激化している。

日本ではあまり報道されることがないが、ガザ地区周辺の居住区に住むイスラエル人や北部の町々の住民は、一時的に各地のホテルやキブツ(集団農場)のゲストハウスなどに避難している。ガザ地区周辺の居住区には少しずつ人が戻り始めているが、北部では6万人以上の住民が今も避難生活を余儀なくされている。

イスラエルにとって、とくに2024年のラマダンは試練の1カ月となりそうである。

(谷内 意咲 : ミルトス代表)