現役時代の伊藤華英さん、引退後に執筆したコラムが生理問題と向き合うきっかけになった【写真:Getty Images】

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「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」1日目 女性アスリートとニューノーマル/伊藤華英インタビュー前編

「THE ANSWER」は3月8日の国際女性デーに合わせ、さまざまな女性アスリートとスポーツの課題にスポットを当てた「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を今年も展開。「“つながり”がつくる、私たちのニューノーマル」をテーマに1日から8日までアスリートがインタビューに登場する。さまざまな体験をしてきたアスリートといま悩みや課題を抱えている読者をつなぎ、未来に向けたメッセージを届ける。1日目は競泳でオリンピック2大会に出場した伊藤華英さんが登場。テーマは「女性アスリートとニューノーマル」。月経とコンディションの課題を誰よりも早く発信し、タブー視されていたスポーツ界の風潮を変えつつある伊藤さん。前編では、月経にまつわる問題を取り組む転機となった出来事を振り返り、高校・大学の講演活動など最前線の現場で感じる「今」の実情を明かした。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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「THE ANSWER」が展開し、4年目を迎えた「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」。

 2021年に「タブーなしで考える、女性アスリートのニューノーマル」をテーマに第1回を実施したが、女性アスリート特有の課題をめぐるスポーツ界のムーブメントは年を追うごとに大きくなっていく。一方で、コロナ禍が収束し、社会構造も大きく変化した。情報が氾濫し、SNSも発達。コミュニケーションの形が変わりつつある今だから「“つながり”がつくる、私たちのニューノーマル」とアスリートと社会や読者とつなぎ、改めて2024年から見た新しい時代のスタンダードを考えていく。

 女性アスリートをめぐる課題解決の最前線を走ってきたのが、伊藤華英さんだ。

 とりわけ、自身が現役時代に悩んできた経験から、月経によるコンディショニングについて先進的に発信。部活動の学生や指導者らに月経にまつわる情報発信や講演を行う教育プログラム、スポーツを止めるな「1252プロジェクト」を2021年3月に立ち上げ、そのリーダーとして推進してきた。

 国際オリンピック委員会(IOC)の公式サイト「オリンピックチャンネル」でも活動が紹介され、アスリートやスポーツに関する社会貢献活動の優れたロールモデルを表彰する「HEROs AWARD 2023」アスリート部門を受賞するなど、国内外の評価を受けるまでになった。

 かつては人前で話すことがタブーだった「生理」に対する社会の風潮を変えた一人と言っていい。

「世の中の変化はすごく感じますね。月経というものが女性にはあって『つらいんだよ』『気遣ってね』という認知は進んでいる。ニュースなどでも『生理』というワードが出るようになったし、今までにいなかった『課題だよね』と思う人は増えました。課題と思っているから、もっと聞きたいという人が増え、『生理って何? どういうこと?』という0→1くらいの初期の反応が、1→2になってきました。個人的にもインスタグラムのDMで相談が来るし、1252プロジェクトへの講義の依頼は企業や高校・大学、部活動単位でも来ますし。ただ、課題を認識している人から声がかかるので、課題に思ってない人もまだまだ多くいるだろうと思います」

 2024年の「今」の温度感を明かした伊藤さん。世の中の変化をポジティブにとらえながら課題も感じている。

「認知は進んでいると思いますが、社会では根本的に対処して生活にアクションしていく人はまだまだ少ない。トップアスリートのサポートはだいぶ進んでいて、自分で選択したりお医者さんと連携したりしています。ただ、大切なのは10代の方たち。10代のリテラシーを高めるために大人のリテラシーも高めなければいけない中、生理について『面倒くさい』『なければいいのに』という会話がまだまだ多い。女性の一生の健康というものが世の中的に発信されていないことが背景にあると思います。

 月経によって女性は健康が保たれ、閉経するとさらに健康課題は変わってくる。『月経=面倒くさい、いらないもの』と思われがちですが、日本の歴史で『女性の健康』というキーワードが一般的に少なかったと感じます。男性ならではの病気にまつわる予防医学などは進んでいますが、なぜ女性が骨粗しょう症になりやすいかの理由も未だに理解にいたらず、『年を取ったから骨粗しょう症なんだよね』と思われることに象徴されるように、自分の一生の健康課題である認識が進んでいないとも感じます」

転機になった1本のコラム、当時タブー視されていた生理に言及

 伊藤さんが生理について活動を始めるきっかけは1本のコラムだった。

 スポーツ総合誌「Number」のウェブサイトで自ら執筆した記事。「女子選手が必ず直面する思春期問題。伊藤華英が語る生理と競技の関係。」というタイトルで、自身の経験をもとにした10代の女性アスリートが直面する体の変化、今でこそ知られるようになった月経前症候群「PMS」などに触れた内容。さらに2016年リオデジャネイロオリンピックでリレーに出場した中国の競泳女子選手が「生理中で自分の泳ぎができず、チームメートに謝った」と発言したことが話題になったことも紹介した。

 その内容は当時からすると衝撃的で、取材申請が殺到するなど大きな反響を呼んだ。

 のちに、自身が23歳で出場した北京オリンピックが生理の周期と重なるため、正しい知識がないまま初めて服用したピルが体質に合わず、体重が4〜5キロ増えるなど、大会本番でコンディションを落としたという体験も明かし、次第と発信する機会が増えていった。

「私が書くコラムは見る人は見るけど、そんなに影響はないだろうという気持ちで実は書いたんです。それが、いろんな方に見ていただいてびっくり。社会的にいろんな意見がある内容は発信しにくいし、専門性が高いので悩みましたが、自分のことだったら嘘はないかなと。逆に、生理は自分が悩んでいたし、自分事としてすごく身近な存在。それまでに世の中で発信されているかどうかの考えもなく、自分の気持ちの整理を兼ねて書いた感じがしますが、反響の大きさは戸惑いの方が大きかったです」

 コラムに記した通り、中国の女子選手が公の場で生理について発言したことは、同じアスリートとして驚きだったという。

「自分のコンディションの変化の中に生理は入っていなかったんです。例えば、練習がうまくいかなかった時、生理前だった。でも、生理前は個人的なことだから、練習ができないせいにしない。やっぱり言いたくないし、負けた感じになる。みんな来るものだから、自分で調整していると思っていました。だから、それを口にしたり、何かの理由にしたりもない。指導者とも生理で体の感覚がどうなっているかの議論まで行かず、私自身も『3日くらい経てば治るかな』という認識で過ごしていました」

 反響の大きさで、発信する責任が芽生えたのも事実。これをきっかけに考えが変わった。

「生理について話せる範囲が広くなくて、自分自身のキャパシティも狭いと思いました。自分の体験は話せるものの、取材をしていただくようになって、それだけ反響が広がれば、女性の記者の方にお話をする場合にも、質問がある程度、専門性が高くなっていく。さらに、若い方から来る相談は結構リアルで、結構シビアで。これはひと言間違えたら、大変なことになってしまうなと。自分自身もそんなに知識をマスターしているわけでもないので、もうちょっと勉強した方がいいなと思い始めました」

 2017年に東京大学医学部附属病院で国立大学病院初の「女性アスリート外来」を開設した医師・能瀬さやか氏や「スポーツとジェンダー」の権威である中京大教授・來田享子氏ら専門家を訪ねて回り、見識をアップデートさせた。その中で、自分が持っていた知識の誤りも多く知った。

「生理が来ていても起こる病気があるし、来てなくても起こる病気がある。過多月経がなぜ駄目なのかも知らなかった。私はただ生理が順調に来ていればOKという認識しかなかったので、実は違うことも知り、なぜそうなっているのか考えを改めました。国際オリンピック委員会が提唱しているRED-S(スポーツにおける相対的エネルギー不足)という概念がある。女子選手のエネルギー不足への警鐘が慣らされている国際的な動きも初めて知りました。全然知らなかったし、発見しかなかったですね」

 記事を発信してから7年。前述の通り、今でこそ「女性アスリートのコンディショニング」の旗手になっているが、もともとはライフワークにしようという考えなどなく、コラムを発信した当初、具体的なビジョンは「全く描いていなかった」。世間の求めに導かれるようにして今がある。

「2017年から東京オリンピック・パラリンピックの仕事(東京五輪組織委戦略広報課の担当係長の任務)もあり、何かするにしてもこの東京2020が終わってからじゃないとできないと思っていました。でも、コロナ禍もあり、社会も大きく変わってきたので、流れていく日々と社会の動きに翻弄されていった感じですが、充実してやらせてもらっています」

大切なことは「どれだけしんどいかの発信より対処法の浸透」

 しかし、未来に目を向けると、冒頭で伊藤さんが述べた通り、認知は理解されても十分な理解に達していないことも事実だ。

「私自身は月経困難症で子宮腺筋症の診断があったこともあり、対策をしていて今、経血が流れるという意味では月経が来ていないんです。だから、今は人のために頑張れている感じはしますね。自分が悩んでいたら、自分の生理でいっぱいいっぱいですが、今はかなり楽なので、こういうこともあるよと言いやすい。ピルを飲んでいるわけではなく、黄体ホルモンを子宮内に装着しているので、PMS(月経前症候群)の症状は多少あるものの、つらさは減ったと思います。夫からは『本当に良かったね。感情の起伏が10分の1くらいになった』とも言われ(笑)、理解してくれています。

 だから、世の中的にどれだけしんどいかを発信するより、対処できるよということが浸透してほしいと思いますね。生理は自然に来るもので、定期的に来るかどうかが健康のバロメーターと思っている方も結構います。でも、お医者さんに聞くとそういうわけじゃない。月経が来ることで起こる病気、来ないことで起こる病気もあるので、生理についての認知は進んでも、生理そのものの理解で言うと、まだまだ足りない。自分自身の生理のことも理解している人は少ないんじゃないかと感じます」

 解決に向かっていくために深刻な課題もあるという。それが「地域格差」だ。

(後編へ続く)

■伊藤 華英 / Hanae Ito

 1985年1月18日生まれ。埼玉県出身。東京成徳大高―日大―セントラルスポーツ。背泳ぎで2008年北京オリンピック100メートル8位、2010年に自由形に転向し、2012年ロンドンオリンピック出場。同年秋に引退した。引退後は早大大学院スポーツ科学研究科に進学、順大スポーツ健康科学部で博士号取得。2017年に東京五輪組織委戦略広報課の担当係長に就任し、大会の成功に尽力。2021年から教育プログラム・スポーツを止めるな「1252プロジェクト」を立ち上げ、リーダーとして活動を推進している。「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」では3日に行われるオンラインイベントにも出演する。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)