言葉にはジェンダー・ステレオタイプが刷り込まれていることがあります(画像:Undrey / PIXTA)

英語で三人称単数の表現だけれど「he/she」ではなく「they」を使ったり、フランス語でジェンダー的に中立な新しい代名詞「iel」が誕生したり。このような動きの背景には、言葉に刷り込まれたジェンダーのステレオタイプを解消しようという狙いがあります。

ノースウエスタン大学のビオリカ・マリアン教授による「心理言語学」研究をまとめた本『言語の力 「思考・価値観・感情」なぜ新しい言語を持つと世界が変わるのか?』より、具体的なステレオタイプの例を見ていきましょう。

文法的性(言葉を男性と女性に区別する概念)によるステレオタイプは、インターネットの機械翻訳にまで浸透している。これをツイッター(現X)で指摘したのは、人類学者のアレックス・シャムズだ。

シャムズはグーグル翻訳を使ってトルコ語を英語に翻訳しようとした。トルコ語は文法的性を持たない言語だ。

しかし、トルコ語の「O bir doctor」は「He is a doctor(彼は医師だ)」と翻訳され、「O bir hemsire」は「She is a nurse(彼女は看護師だ)」と翻訳された。

「O evli」は「She is married(彼女は結婚している)」となり、「O bekar」は「He is single(彼は独身だ)」となった。

「O çalişkan」は「He is hardworking(彼は働き者だ)」になり、「O tembel」は「She is lazy(彼女は怠け者だ)」になったのだ。

ジェンダー的に中立な代名詞を使う動きも

この指摘がSNSの世界に衝撃を与えると、それから間もなくして翻訳アルゴリズムが変更され、トルコ語の「o」を英語に訳すときは、どちらの性別も候補にあがるようになった。これはまさに、言語とSNSの影響力の大きさを物語る一件だ。

ジェンダーのステレオタイプは、無生物に対するイメージだけでなく、自分自身を含む人間に対するイメージにも影響を与え、私たちの人生を形づくる力を持っている。

リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)という概念も、「女性のヘルスケア」という言葉を使わず、つねに「リプロダクティブ・ヘルスケア」という言葉を使い、そして「女性の権利」の代わりに「人権」という言葉を使っていたら、人々が抱くイメージも違ったものになるのではないだろうか?

言語につきまとうジェンダー・ステレオタイプに抗う試みとして、アルゼンチンをはじめとする南米のいくつかの国では、特定の性別への偏見を含むような言語表現を使うのをやめ、ジェンダー的に中立の表現と置き換えるようになった。

とはいえ、社会全体にとっては、無生物の男性名詞と女性名詞を言語から一掃するよりも、新しい単語や表現と置き換えるほうが簡単だ。

実際、文法的性を完全になくす試みはあまりうまくいっていないが、その一方で、性別のわかる代名詞に加えて(あるいはその代わりに)ジェンダー的に中立な代名詞を使うという試みは、世界各国で成功を収めてきている。

たとえばスウェーデンでは、昔から使われている男性代名詞の「han」と、女性代名詞の「hon」に加え、ジェンダー的に中立な「hen」という代名詞も新しく使われるようになった。またフランスでは、男性代名詞の「il」と女性代名詞の「elle」を結合し、ジェンダー的に中立な「iel」という新しい代名詞が誕生した。

他の言語でも同じような変化が起きている。

たとえば英語では、本来は複数形である「they」という代名詞が、ジェンダー的に中立な三人称単数の代名詞として、男性の「he」や女性の「she」の代わりに使われる場面が増えてきた。二人称の「you」は単数でも複数でも同じ「you」だが、それと同じような使い方だ。

またスペイン語話者は、小さな男の子をさす「niño」と、小さな女の子をさす「niña」の変わりに、ジェンダー的に中立な「niñe」という言葉を使っている。

このようにジェンダー的に中立な代名詞を使うのは、ジェンダーに根ざした偏見と差別を最小化する効果があると考えられているからだ。

これが単なる一過性の流行なのか、それとも私たちのジェンダーに対するイメージを永久に変える動きになるのかを判断するには、今後の推移を見ていく必要があるだろう。

柔らかな名前は、おとなしい性格に見える?

個人の名前もまた、言語に表れるジェンダー・ステレオタイプの一例だ。複数の実験によると、柔らかな発音の名前(アンやオーウェンなど)の人は、周りからおとなしい性格と思われることが多く、硬い発音の名前(カークやケイトなど)の人は外向的な性格と思われることが多い。

仕事のオファーがあるかどうかや、給料の額も、その人の名前と、その名前から想像される人種や民族、性別、年齢といった情報から影響を受ける。

履歴書に書かれた名前や、教室の講師としてあげられた名前、商品の売り手の名前が男性の名前であれば、それらが女性の名前であった場合と比べ、たとえ名前以外のすべての条件が同じでも、求職者や講師の知性や能力も、商品の質も高く評価される。

ある特定の人種や国籍をイメージさせる名前でも同じ結果だ。さらには、研究者がつくった完全に架空の条件であってもこの結果は変わらない。

移民がしばしば名前を変えるのも、移民先の社会に適応するためだ。私自身、この本の著者略歴を書くにあたって、どの名前を使うかでかなり悩んだ。

ルーマニア語の名前である「ビオリカ」を使うと、英語話者の耳には「なじみのない民族の人」という印象を与えることはわかっている。私はアメリカに暮らして30年以上になるが、その間に何度も、ビオリカを名乗るとなかなか興味深い(と表現することにしよう)推測をされてきた。

たとえば子どもを公園に連れていくと、私は異国風の名前で、英語に訛りがあり、そして黒髪だが、子どもは肌が白くて瞳が青いために、周りの人は私のことを子守に雇われた人だと推測する。

そのおかげで、他の子守たちから、ご近所のうわさ話をいろいろと聞くことができた。私も同じ子守だと思い、安心して話すことができたのだろう。

「名前」の印象がもたらす偏見

この本の著者名については、ファーストネームはイニシャルだけにして、ラストネームをファーストネームとして使うことも考えた。

作家のアーシュラ・K・ル=グウィンは、短編小説の『九つのいのち』を出版するときに、ファーストネームはイニシャルだけにして、著者名をU・K・ル=グウィンと表記してほしいと頼んだそうだ。

そうすれば、読者はこの物語を書いたのが女性ということがわからないからだ。

また、私はジョルジュ・サンドの作品を子どものころから読んでいたが、ジョルジュ・サンドはペンネームであり、名はアマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパンだということを知ったのは、もっと大人になってからだった。


しかし最近は社会の情勢も変わり、マジョリティではないだけでなく、あきらかにマイノリティの文化の名前で本を出版する人も増えてきている。私は結局、生まれたときに親からもらった名前を著者名にすることにした。

とはいえ、この本名もルーマニアのジェンダー・ステレオタイプを反映している。私の両親は、娘の名前は花にちなんでつけ、息子の名前は樹木にちなんでつけた。

両親もまた、他の多くの人と同じように、名前はその人のイメージや性格、ひいては人生そのものにも影響を与えると信じていた。これは社会の偏見を反映した思い込みであり、同時に偏見を強化する役割も果たしている。

(翻訳:桜田 直美)

(ビオリカ・マリアン : 心理言語学者)
((監修)今井 むつみ : 慶應義塾大学環境情報学部教授)