(画像:番組公式ホームページ)

2024年2月18日、東京ドームにて『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』というイベントが行われる。お笑いコンビ・オードリーのラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)のイベントである。

すでに追加発売を含めたチケット5万枚が完売しており、芸人のライブとしては史上最多の5万人を動員するビッグイベントとなる。

さらに言えば、このイベントのチケットを求めていたファンの数は5万人をはるかに超えている。チケット発売時には、抽選に漏れてチケットを獲れなかった大勢のファンの阿鼻叫喚の声がSNS上にこだましていた。

ラジオ界屈指の大人気番組

単なるラジオ番組のイベントがなぜそこまで盛り上がっているのかといえば、『オードリーのオールナイトニッポン』がラジオ界屈指の大人気番組だからだ。

この番組が始まったのは2009年。2008年の『M-1グランプリ』で準優勝してブレークのきっかけをつかんだオードリーは、2009年に大躍進を遂げた。毎日のようにテレビに出続けて、時代の寵児となった。『オードリーのオールナイトニッポン』は、そんな怒涛の日々の中で始まった。

当時はオードリーといえば若林正恭よりも春日俊彰のほうが注目されていた。春日はいわゆる「キャラ芸人」のお手本のような存在だった。ピンクベストにテクノカットで胸を張って悠然と歩くというわかりやすい特徴があり、しゃべり方も独特だった。「トゥース!」「ヘッ!」「バーイ」といった決めフレーズも豊富にあった。

さらに、私生活でも奇人変人ぶりを発揮していた。無類の倹約家で、仕事が増えてからも家賃3万9千円の風呂なしアパートに住み続けた。普段は風呂に入らず、赤ちゃんのお尻拭きで体を拭くだけだった。楽屋でタダでもらえる飴を水に入れて溶かし、飴ジュースとして飲んでいた。

こういったエピソードのひとつひとつが、貧乏芸人の悲惨で壮絶な話として紹介され、注目を集めた。そして、貧乏でも明るくポジティブにそれを乗り越えようとする春日の生き様も話題になった。

そんな中で『オードリーのオールナイトニッポン』では、若林が主体となってトークを進めていた。それが当時は画期的だった。個人的には、初回から面白いと思って聴いていたし、それ以前からも若林のトークには注目していた。

オードリーがテレビに出始めた2008年頃に、私はオードリーが出演するインターネット番組『そらを見なきゃ困るよ!』(GyaO)をチェックするようになった。そして、ここで若林という芸人の独特の面白さに目覚めた。

別次元の飛び抜けた魅力

若林は進行役として器用に番組を回していたし、披露するエピソードもひとつひとつが面白かった。でも、器用で面白いだけの芸人ならほかにいくらでもいる。このときの彼には、もっと別次元の飛び抜けた魅力があった。

それを言葉にするのは難しいが、あえて言うなら「ポップにやさぐれている」という感じだろうか。そこに強くひきつけられた。

この時期に私が見ていたのは、ずっと売れなくてくすぶっていて、何かにつけてあれこれ思い悩んで陰鬱な表情を浮かべている若林の姿だ。未来に希望も持てず、余計なことばかり考えて、売れることを半ばあきらめているような言動を繰り返す。

でも、決して投げやりではなく、聞いていられないほどネチネチとグチっぽいわけでもない。その語り口や態度に人をひきつけて離さない魅力があった。自分と同世代ということもあり、若林には親近感を覚えていた。

『オードリーのオールナイトニッポン』では、そんな若林の「ポップなやさぐれ芸」を存分に味わうことができた。テレビに出まくって多忙な日々を過ごす中で、彼はそこで当たり前とされている慣習にいちいち違和感を覚えて、戸惑ったり絶望したりしていた。ラジオではそんな鬱屈した感情を解き放って、本音に近いことを語っていた。

しかも、ただ真面目に語るだけではなく、最終的にはそれを面白い話として味付けすることも忘れてはいなかった。そこが何よりも魅力的だった。

『オードリーのオールナイトニッポン』は開始当初から人気はあったが、少しずつ熱心なリスナーを増やしていき、右肩上がりに人気を伸ばしていった。番組イベントの規模もどんどん大きくなっていき、ついに東京ドームにまで至った。

オードリーがキャリアを重ねるにつれて、若林はタレントとしても人間としても大きく成長した。いまや人気も実力も安定してきたと言っていい。だが、若林特有の「ポップにやさぐれている」という感じは、根底の部分ではまだ消えていないように見える。

山里亮太は若林をどう見ている?

日本テレビの『たりないふたり』シリーズで若林と共演していた山里亮太と、同番組の演出を務めた安島隆は、2013年時点の対談の中でこう語っていた。

山里:この若林くんの本(『社会人大学人見知り学部 卒業見込』)を読むと、少しずつ社会人らしくなっていってると本人は思ってるみたいですが、それは大間違いですよ! たとえば、相手を気遣って言葉を選ぶようになったといっても、こぼれ落ちてますからね。

安島:そう。僕らにはバレてる(笑い)。

(中略)

安島:若林くんはようやく「世の中には人付き合いのルールがある」ということには気づいたと思うんです。でも、身についてはいない。

山里:ルールは手に入れたけど、心の底は成長していない。成長する気もないだろうし。

安島:そう、気がないよね。

山里:たぶん、「今の俺の発言ってダメなんだな。やっぱり世の中の人ってこういう発言嫌うよな。でもまあこういうときはこうしたらいいんだろ」っていう処理速度だけがすごい上がってる。それが若林くんの現状です。

(『ダ・ヴィンチ』2013年6月号/メディアファクトリー)

さすがに仕事で付き合いの深い2人だけあって、話に説得力がある。上辺では社会人らしく振る舞えるようになってきているものの、本質は変わっていないというのだ。

私もその通りだと思う。『オードリーのオールナイトニッポン』でも、いまだに若林らしいとがった部分をチラッとのぞかせるようなトークをすることはあるし、そういうときの彼は抜群に面白い。

にじみ出てくる荒々しい心の声

恐らく、若林の頭の中では、今でも「うるせえよ」とか「ケッ」とか「ふざけんな」とか、そういう荒々しい心の声が鳴り響いている。そして、それがときどきラジオのトークでにじみ出てくる。

若林は、芸人として、タレントとしてこれだけ成功していても、いまだにテレビの中で「どこか居心地悪そうな感じ」を完全には消していない。でも、そこがいい。

前述の山里と安島の対談でも、若林について、山里は「面白くなかったら最低の人間」と言い、安島は「面白くなかったら人間のクズです」と語っていた。これは、遠回しに若林のお笑い能力の高さを賞賛する言葉でもある。

『オードリーのオールナイトニッポン』が根強い人気を博している最大の理由は、若林の「ポップなやさぐれ芸」が、多くの人の心に刺さる普遍的な魅力を備えているからなのだ。

(ラリー遠田 : 作家・ライター、お笑い評論家)