たとえ競争関係にある相手でも、人には優しくしたほうが、目標を達成しやすくなります(写真:mits/PIXTA)

あなたは、自分のことを「優しい人」だと思いますか? 

人に優しくすると、自分の気持も良くなります。それによって、脳内にセロトニンなどの神経伝達物質が分泌されて、心身にいい影響が生まれることが科学的に明らかになっています。

しかし、世の中全体がギスギスとしていますから、どうしても自分のことを優先して考えるようになり、周囲の人を慮るような精神的なゆとりを見失いがちです。

こんな時代だからこそ、「優しさとは何か?」を考えることで、その意義を見つめ直す必要があるかもしれません。精神科医である和田秀樹氏の新刊『なぜか人生がうまくいく「優しい人」の科学』をもとに、優しさの意味と意義を3回に渡り解説します(今回は3回目)。

日本人は「道」はあるが「徳」がない

日本人が美学を意識しなくなった背景には、道徳とか道徳教育の在り方が右往左往してきたことも大きく関係しているように思います。

道徳には、「道」と「徳」という2つのパートがあります。

「道」とは、「親孝行をしなさい」とか、「弱い者は助けなさい」、「順番を守りなさい」など、人が守らなければならないルールを指します。

「徳」というのは、そうしたルールを守ることができる状態を指し、どちらかというと、「こうありたい」とか、「こうなりたい」といった人間のあるべき姿を示しています。

天変地異が起こっても略奪行為はしないとか、電車やエレベーターに乗るときは整列して待つなど、日本人は世界に類がないほど「道」を守っていると思いますが、「徳」については、圧倒的に勉強が足りていないと感じています。

日本ほど、大金持ちが寄付をしない国はほかになく、政治家が平気でウソをつく国も珍しいと思います。「この人のようになりたい」と思えるような政治家や経営者がいないことも、徳のなさの現れといえるのではないでしょうか。

これまでの道徳教育というのは、「道」ばかりに重点を置いてきましたが、これからは自分で意識して「徳」を学んでいく姿勢が大事だと思います。自分の在り方を考えることは、美学を持つことにもつながり、優しい人に一歩近づけることになります。

ライバルに優しくしたら負け?

出世競争をしているビジネスマンや、大学や高校の受験生には、「ライバルに親切にしたり、優しくしたら負け」と考えている人がたくさんいますが、たとえ競争関係にある相手でも、人には優しくしたほうが、目標を達成しやすくなります。

日本人には、「敵に塩を送る」(ライバルの弱みにつけ込まず、その苦境から救おうとする行為)を極端に気嫌いする人がいますが、どんな場合であっても、人に優しくしたほうが、いい結果が出るものです。

私がそれを学んだのは、大学受験を目前に控えた高校3年のときです。

私は兵庫・神戸市にある灘高に通っていたのですが、当時の灘高は東大合格者数で全国トップを走っており、世間から、「灘高生は性格が悪い」などと言われていたような時代です。

性格が悪いかどうかはわかりませんが、同級生の多くは同じ東大を目指すライバルですから、お互いが競争心を持っていたことは間違いありません。

高校1〜2年生の頃はいじめもケンカも多くありましたが、受験まで1年を切った高校3年生になると、不思議なほど、みんなが仲良くなったのです。

普通であれば、お互いの競争が激化する時期ですが、東大合格者数のトップをみんなで守ろうというムードが一気に高まって、全員で協力して受験に臨むような雰囲気ができあがりました。

いい参考書が見つかったら、みんなで教え合うとか、できないヤツがいたら、できるヤツが教えてあげるなど、団体競技のような雰囲気に包まれながら、受験勉強に取り組むことができたのです。

お互いに助け合ったほうがパフォーマンスが上がり、足の引っ張り合いはパフォーマンスを下げることになります。

ギスギスした受験競争を1人で勝ち抜いてきた人ほど、人に冷たくする傾向があるようですが、助け合ったほうがうまくいくことを経験として知っている人は、自然と人に優しくなれます。私にとっては、受験勉強以上に学びになった貴重な経験だと思っています。

優しくしないと、最後にツケが…

最近では、長生きをするとか、健康になるためには「我慢」をするのが当たり前と考えられていますが、私はそうした考え方も、人に優しくなれない原因だと思っています。

自分にムリをして我慢の生活を続けるよりも、気分が良くなるような生き方をしたほうが、がんにならずに長生きができるかもしれません。

結果的に長生きできなかったとしても、いい人とか、優しい人として過ごす時間が長いほうが、人間にとっては幸せなことなのではないでしょうか?

私は高齢者専門の精神科医をしていますが、人に優しくしていないと、最後にそのツケが回ってくるのだな……と思える光景を何度も目にしています。

昔は大臣だったとか、社長だったという人でも、見舞い客がたくさん来る人と、まったく来ない人がいます。社会的地位やお金のあるなしが関係ない状態になったとき、その人の人間的な魅力がリアルに問われることになります。

高齢者の枕元で、見舞いに来た人が容態を心配するのではなく、遺産相続の相談をしているのは、何ともわびしいものです。

昔からの言い伝えに、興味深い話があります。人間は生まれた瞬間は、本人が泣いて、周囲の人が笑っているが、幸せな人の最後は、本人が笑って、周囲の人が泣いている……というのです。

幸せな人とは、人に優しくしてきた人なのではないかと思っています。

人は誰でも、心や気持ちが満たされていないと、人に優しくすることはできないものです。マスコミが芸能人の不倫を叩いているのを見て、一緒になってバッシングをしているのは、やはり気持ちが満たされていない人たちです。

「不倫はダメ」という正論を振りかざすことで、寂しい自分を慰めようとしても、それで自分が満たされることは永遠にありません。

自分をなぐさめるどころか、気がつけばムダな行動をしている自分を発見して自己嫌悪と向き合うことになり、不機嫌な状態が延々と続くことになります。

自分が満たされていないと感じるならば、他人を攻撃して憂さ晴らしをするのではなく、意識して人に優しく接するように心がけることが大切です。「情けは人の為ならず」という言葉の意味を思い出して、日ごろの言動を客観的に見つめ直すことが、自分の心を満たすことにつながります。

人に優しく、自分にも優しく

優しさには、相手の気持ちを優しくする効果もあります。

親が認知症になって介護をしている人に対して、私たち精神科医は、「叱るよりも、優しくしてあげたほうがトラブルは少ないですよ」とアドバイスしています。

どんなに怒りっぽくなったとしても、優しい言葉をかけてあげると、少なからず穏やかな気持ちになってくれます。

人に優しくすることは、自分のためだけではなく、相手のためでもあるのです。ムリな我慢をせずに、「人に優しく、自分にも優しく」を心がければ、自分の気持ちが満たされて、もっと人に優しくすることができます。

日常的に周囲の人たちと優しさのキャッチボールをしていけば、毎日を前向きな気持ちで過ごすことができます。

そうした繰り返しが、自分の人生を楽しいものにしてくれるのです。


(和田 秀樹 : 精神科医)