東京ディズニーランドの開園宣言するオリエンタルランド社の高橋政知元社長=1983(昭和58)年4月15日、千葉県浦安市(C)共同通信社

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「設立当時、当社が事務所を置いたのは、京成電鉄本社で、5階の片隅に机が3つ置いてあるだけでした」

 オリエンタルランド(OLC)は創業期についてこう記している。

 東京ディズニーリゾート(TDR)は2023年に開園40周年を迎えた。最初のテーマパーク、東京ディズニーランド(TDL)は1983年4月にオープンした。

 事業の拡張は休みなく続く。2024年6月、東京ディズニーシー(TDS)の新エリア「ファンタジースプリングス」が開業する。「アナと雪の女王」や「ピーター・パン」など3つの物語をテーマとしている。

 OLCのテーマパークは順風満帆で大成功を収めたように見えるが、すんなりと出来上がったわけではない。

 設立秘話を紹介しておこう。OLCは1960年、京成電鉄と三井不動産、船橋ヘルスセンターを経営する朝日土地興業の3社の共同出資で設立され、千葉・浦安沖の埋め立て地にTDLをつくることになった。

 血の気の多い漁民に漁業権を放棄させる交渉役として、三井不動産元会長の江戸英雄氏がスカウトしたのが、いわゆる“地上げ屋”の高橋政知氏だった。

 酒豪だった彼は漁協幹部を柳橋や日本橋の料亭で連夜、接待漬けにした、と伝わる。こうして、県知事、地元政治家だけでなく、ヤクザの懐にまで食い込んだ。接待工作が功を奏し漁民は漁業権の放棄に同意したと高橋氏自身が語っているという。

 実は、ディズニーランドの日本への誘致の発案者は、京成電鉄の当時の社長の川崎千春氏だった。高橋氏は「ディズニーランドには、まったく興味がなかった」「競馬場をつくったほうがカネになる」と内心、考えていたそうだ。

 高橋氏が「東京ディズニーランドの“生みの親”」と呼ばれるようになったのは、川崎社長の後を継いでOLCの2代目社長になったからである。

 日本経済新聞の「私の履歴書」(1999年7月)で高橋氏はディズニーランドを成功させた手柄話を披歴した。これに三井不動産が激怒したと、経済界の裏の世界で話題になったりもした。

〈親会社の一つ(注・京成電鉄のこと)は無力になり、もう一つの親会社(同じく三井不動産)はやる気がないどころか、「ディズニーランドなんて前世紀の遺物だ」と足を引っ張るありさまだった〉と赤裸々に創業当時の大株主の空気を記したことが、三井不動産首脳の逆鱗に触れたわけだ。

 三井不動産の坪井東・元社長が高橋氏のドンブリ勘定のごとく見える経営手法を嫌い、「両者は犬猿の仲となった」と関係者は証言する。

 こんなエピソードが残っている。誘致計画は、三菱地所が立案した富士山麓の御殿場と、三井不動産の浦安沖が激しく競合した。下馬評では御殿場が有力視されたが、両方を視察した米ディズニー側が浦安に軍配を上げた。御殿場は東京から遠いという立地条件の差だったという。消費者が集積する東京からの距離を、本場の米ディズニーの幹部は重要視した。

 埋め立ての利権を求めて“黒い経済人”やアングラ世界の住人が次々と現れた。彼らをさばいたのは高橋氏とその部下だった。

 奇麗事でテーマパークが誕生したわけでは決してない。

 現在のOLCの株主構成(23年9月30日現在、自己株式を控除した議決権比率)は、高橋氏が「無力」と決めつけた京成電鉄が22.15%で筆頭株主。三井不動産は6.04%で3位株主だ。創立時からのメンバーである千葉県が4.03%、浦安市が0.81%を保有している。

 いずれの株主もOLCの高い株価と時価総額の大きさが、有形、無形の“財産”になっている。

(有森隆/経済ジャーナリスト)