「イギリス郵便局冤罪事件」に揺れる富士通の苦悩
700人以上の郵便局長らが無実の罪で訴追された事件。システム開発で関わった富士通は今後、どんな対応を迫られるのか(左写真:Bloomberg、右写真:編集部撮影)
「極めて厳粛に受け止めており、深くおわび申し上げる」
1月31日にオンラインで開かれた富士通の決算会見。磯部武司CFO(最高財務責任者)は、「イギリス史上最大の冤罪事件」で無実の罪に問われた郵便局長らに対し、そう陳謝した。
富士通の子会社が関わった事件が今、イギリスで大きな議論を呼んでいる。
問題となっているのは、富士通の現地子会社、富士通サービシーズが1999年ごろからポストオフィス(イギリスの国有企業である郵便局会社)に提供していた、勘定系システムの「ホライゾン」だ。
BBCなどによると、同システムに欠陥があり、郵便局窓口の実際の金額とシステムに表示される残高が一致しない問題が続出した。当初は原因がわからないまま、局長たちは横領や不正経理を疑われ、2015年ごろまでに700人以上の局長らが無実の罪で刑事訴追された。
集団訴訟の末に、裁判所は2019年にホライゾンの欠陥を認定。ポストオフィス側が賠償金を支払う内容で和解が成立した。一方、問題を受けて2020年に設置された公的な独立機関では、現在も法定調査が続いている。
業界内では知れ渡っていた事件
これまで日本では、大きく報道されてこなかったこの事件。しかしあるITベンダー幹部によれば「業界では10年以上前から知れ渡っていた」という。
富士通が矢面に立つようになったのは、2024年に入ってからだ。
問題を題材にしたドラマが年初に放送されたことをきっかけに、現地の世論が再燃。冤罪の原因となったシステムを提供しながら、これまで責任を問われず補償もしてこなかった富士通に対する風当たりが急速に強くなっていった。
1月16日には、富士通のヨーロッパ事業を統括するポール・パターソン執行役員がイギリス議会のビジネス貿易委員会の公聴会に出席し、冤罪に関与したことを謝罪。被害者に対する補償についても「道義的義務がある」と踏み込んだ。さらに1月19日には、富士通側が納入当初からシステムの欠陥を認識していたとも証言した。
IT業界に詳しい経済官庁の幹部は「海外子会社のガバナンスが十分効いていない日本企業は多いとはいえ、このレベルの問題への対応があれだけ長い間放置されていたのは率直に驚きだ。富士通はガバナンスの責任を逃れられず、世界的にレピュテーションは落ちるだろう」と危惧する。
そもそも、欠陥システムを提供していた富士通サービシーズとはどんな会社なのか。イギリス駐在経験が長い大手電機メーカーの関係者は「イギリスでは、トップクラスに有名なIT企業」と解説する。
前身は、イギリスの国策企業だった「ICL(インターナショナル・コンピューターズ・リミテッド)」社だ。富士通との関係は40年以上前までさかのぼる。
当時を知る富士通関係者によると、コンピュータ産業の活性化を狙うサッチャー政権が通産省(現・経済産業省)を通じて日本企業に支援を要請し、1981年に富士通がICLと技術提携を結んだ。アメリカのIBMをライバル視し、海外で事業展開を進めたいと考えていた富士通側の思惑とも合致した。「もともと国策で生まれたICLは、紳士的で合理的な社風だった。現地政府が間に入るから、安心感もあった」(富士通関係者)。
1990年にはICLに80%出資し、1998年に完全子会社化。2002年に「富士通」の名を冠する現在の社名へと変更された。問題となったホライゾンの導入時期は、完全子会社化の直後に当たる。
過去には“お荷物”批判、直近決算も赤字
富士通にとって、ICLの買収は成功だったとは言いがたい。過去には、「赤字続きで富士通本体の足を引っ張り続けている」「お荷物だ」という批判の声が絶えなかった。
現在の富士通にとっても、イギリスを含む海外事業部門の収益性の低さは大きな経営課題となっている。
富士通の2023年3月期連結決算では、売上収益約3.7兆円のうち、海外事業部門が2割程度を占めた。しかし営業利益は全社の3356億円(営業利益率9.0%)に対し、海外事業部門はたった59億円(同0.7%)でしかない。
富士通サービシーズが現地政府に提出した資料では、同社の同期業績は、売上収益が16.7億ポンド(1ポンド=180円換算で約3000億円)、営業損益は0.3億ポンド(同約54億円)の赤字だった。
ホライゾンのように、イギリスの公共部門での大型受注に強みがあるとみられてきた会社だが、大和証券の上野真氏は「富士通のヨーロッパ事業は、昔からのレガシー案件のメンテナンスが中心だ。今後、基本的には徐々に縮小する傾向が継続するだろう」と予想する。
前述の経済官庁幹部が指摘したように、今回の事件は、子会社に対する富士通のガバナンス不全を露呈させたと言える。
イギリス議会の公聴会に出席した富士通のポール・パターソン執行役員。被害者への補償について「道義的義務がある」などと述べた(画像:イギリス議会中継動画のスクリーンショット)
ホライゾンの提供当初から欠陥を認識していたとの証言も飛び出す中で、富士通が親会社として実態をきちんと把握できていたかは疑問が残る。
富士通の元首脳は「海外事業は、現地で完結されてしかるべきだと考えていた。(イギリスも)完全に現地の人に任せていて、グローバルにある拠点の中の1つという認識だった。『ホライゾン』というシステムすら知らなかったし、今の経営陣は過去のことを何もわからないのではないか」と打ち明ける。
磯部CFOは会見で、「過去に起きたことを今一度しっかりと分析、反省しながら、ガバナンス強化は必要だと思う」と述べており、ガバナンス体制の見直しも求められることになりそうだ。
補償めぐり株主と板挟みになる可能性も
一方、郵便局長らへの補償をめぐっては、富士通が「数億ポンド」(数百億円)の負担を強いられる可能性もあるとの現地報道も飛び交う。
富士通側が言及した「道義的」な補償は現状、これから具体的にどのような形に帰着していくかは見通しにくい。磯部CFOも、「調査の進捗を踏まえつつ、イギリス政府や関係者と対話しながら適切に取り組んでいく。現時点で行く先は、まだ見極めきれていない」と述べるにとどめた。
責任の「道義性」のあいまいさが今後、問題を複雑にするとの見方もある。
大和証券の上野氏は「システムトラブルは完全には取り除けず、日本でもグローバルでも、一般的にシステムトラブルによる損害は(ベンダー側にとって)補償の対象にはならない」と指摘したうえで、「法的責任を問いにくい中で、『道義的責任に基づく補償』の根拠をロジカルに説明できないのであれば、株主訴訟に発展する可能性もある」と説明する。
補償を求めるイギリス政府と、株主との板挟みになり、苦しい立場に追い込まれる未来もありうるというわけだ。
富士通は、独立機関の法定調査で大きな方向性が見えるまでは、イギリスの公共ビジネスへの新規入札を控えることも明らかにしている。
入札不参加の影響について会社側は会見で具体的回答を控えたが、海外はそもそも利益貢献が乏しいことや、現地の事業モデルからして、富士通全体に与える影響はそこまで大きくなさそうだ。
SMBC日興証券の吉積和孝氏は富士通のイギリス事業について、「パブリック向けが主体とはみられるが、多くは(既存契約からの継続収入が中心の)マネージドインフラサービスとみられ、仮に新規受注が停止した場合でも、同社全社に与える影響は短期的には限定的だと考える」と分析する。
調査が終わるまで「喉に刺さった骨」に
もっとも、法定調査にメドがつき、“富士通が負うべき責任”の中身が見えてこない限り、この問題は「喉の奥に刺さった骨」として残り続けることになる。
横領罪などでの郵便局長訴追に関わったポストオフィス、同社に100%出資するイギリス政府、そしてシステムを提供していた富士通――。責任の所在をめぐる線引きは難しい。
世論の怒りを前に、総選挙を控えた現地政治家たちの思惑も絡み合う中、富士通が「スケープゴート(生贄)にされている」(大手ITベンダー幹部)との見方も多い。
富士通は身動きを取れないまま、情勢を注視するしかない状況が今後しばらく続くと見込まれる。
(茶山 瞭 : 東洋経済 記者)