あなたのタンスの中にもお宝が?(写真はイメージです)

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和同開珎、実は誰でも買えます

 日本史の授業で、「日本最古の貨幣は和同開珎」と習った人は多いだろう。最近では683年頃に発行された「富本銭」が最古の貨幣と考えられているようだが、流通した地域はかなり限られていたようである。対して、和同開珎は708年に発行されてから日本各地で広く使われた貨幣であり、“日本で最初の流通貨幣”としての地位は揺らいでいない。

【写真】教科書で習ったあの古銭や“成金おじさん”が燃やすあのお札が衝撃の価格で取引されている様子

 そんな和同開珎、博物館などに収蔵されているイメージが強いが、コイン商で販売されているものも多く、手に入れようと思えば誰でも所有することができるのだ。日本を代表するコイン商「銀座コイン」の店頭でも、和同開珎が販売されている。いったいいくらで買うことができるのか。銀座コインの竹内三浩さんがこう解説する。

あなたのタンスの中にもお宝が?(写真はイメージです)

「和同開珎には材質や文字の書体によって様々なバリエーションがあり、珍しいものでは1枚数百万円することがあります。コインの価格は状態によって左右されるので一概には言えませんが、もっともポピュラーなものだと20万円代で買うことも可能です。教科書にも登場する歴史的なコインがそのくらいで買えるのですから、驚かれる方も少なくありません」

 和同開珎が発行されたのは実に1300年も昔だ。手元にある1枚の和同開珎は、これまでどれだけ多くの人の手を渡ってきたことだろう。もしかすると名の知れた政治家が手にした可能性もある。そう思うとロマンがあるし、歴史の重みを感じずにはいられない。

悪代官が賄賂に使った小判の値段は

 銀座コインでは、ほかにも教科書にも載っている有名なコインが販売されているので、店頭を覗くだけでも楽しめる。誰もが知っている、あのコインの価格を見てみよう。

 銭形平次の投げ銭として知られる「寛永通宝」は、江戸時代にもっとも流通したコインといえるだろう。非常に現存数が多いため骨董市などでもよく見かけるし、ガチャガチャの景品になっていることもある。状態にこだわらなければコイン商で100〜300円出せば買うことができるし、もしかしたら友人から譲ってもらえることもあるかもしれない。

 時代劇の悪人が「越後屋、おぬしも悪よのぉ〜」と箱の中から取り出すのは、金色に輝く小判である。そんな江戸時代に鋳造された小判は、希少性によって価格に大きな差がある。江戸時代初期に発行された慶長小判は100万円以上することが珍しくないが、江戸時代後期の文政小判であれば20万円程度出せば買うことができる。

金の含有率から時代背景を読み解く

 小判と並ぶ江戸時代の代表的なコインといえば大判だ。小判は商人の間で流通したポピュラーな金貨だが、大判は賜与や贈答に用いられる金貨だったため、一般に流通することはほとんどなかった。それゆえ、当時の権力者が威信をかけて鋳造させたものが多く、小判より希少価値が遥かに高い。

 天下人・豊臣秀吉が作らせた天正菱大判は、市場に出たら1億円は下らないといわれる。江戸幕府初代将軍・徳川家康が鋳造を命じた慶長大判も、2000万〜3000万円前後の値段がつく。一方、江戸時代に鋳造された最後の大判である万延大判は現存数が比較的多いが、それでも250万〜300万円ほどで販売されている。竹内さんがこう解説する。

「大判や小判は純金ではありません。純金は柔らかすぎるため基本的には銀などを混ぜるのですが、大判・小判は当時の政権の財力によって、金の含有量が大きく変化します。江戸時代初期の慶長大判は金の含有率が約85%ですが、江戸末期の万延大判は約57%しかなく、当時の財政難を物語っています。1枚のコインから発行された当時の時代背景をも読み取ることができる。これもコイン蒐集の醍醐味といえます」

日本一有名なおじさんが燃やした100円札の値段は?

 コインの話ばかりが続いたので、最後にお札の話題を取り上げよう。大正時代に入り、日本が第一次世界大戦に参戦すると、造船業などで巨万の富を築いた“成金”が多く誕生した。成金と聞いて連想するのが、「どうだ明るくなったろう」のおじさんである。和田邦坊が描いた風刺画で、「暗くてお靴が分からないわ」という女性の前で、立派なひげを蓄えた笑顔のおじさんが100円札に火をつけて照明代わりにしている。教科書に必ずと言っていいほど登場するので、知っている人も多いことだろう。

 このおじさんが燃やした100円札、もし燃やさずに保存しておけば、どれだけのプレミアムがついていたのだろうか。100円札は当時の最高額の紙幣であり、大正時代までに4種類が発行されている。明治時代初期に発行された「明治通宝100円券」、大黒天の絵が描かれている「旧100円券(通称:大黒100円)」、藤原鎌足の肖像が描かれた「改造100円券(通称:めがね100円)」、そして同じく藤原鎌足の肖像の「甲100円券(通称:裏紫100円)」である。

 このうち、甲100円券は1900年に発行が始まった、当時もっとも新しい100円札だった。おそらく、おじさんが燃やしたのはこの100円札である可能性が高い。では、令和の時代の市場価格はいかほどのものなのだろうか。竹内さんがこう解説する。

「甲100円券はコレクターの間で人気が高く、折れ目がついていても20万円台は下りませんし、状態が良ければ100万円以上することがあります。ちなみに、明治通宝100円券、旧100円券、改造100円券はもともとの発行枚数が少ないうえ、ほとんど回収されてしまったため、現存数がわずか数枚といわれるほどの超貴重品です。もしオークションに出品されたら、数千万円という途方もない値段がつくのではないでしょうか」

燃やさずに札束のままにしておけば

 なんと、おじさんが燃やした100円札は、コレクター垂涎の逸品だったのだ。なんともったいないことをしたのだろう、と思ってしまう。ちなみに、日本は第一次世界大戦で戦勝国となったが、好景気の反動でまもなく不景気に見舞われ、昭和の金融恐慌では多くの成金が財産を失い、没落してしまった。もし、燃やさずに札束のまま保存しておけば、子孫は今頃悠々自適な暮らしを送っていたかもしれない。

デイリー新潮編集部