日本テレビ公式ウェブサイトに掲示された告知

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 日本テレビの連続ドラマ「セクシー田中さん」(2023年)の原作者で人気漫画家の芦原妃名子さんが逝去した。50歳だった。自死と見られている。原作の持ち味を崩さぬようにすることが同作品のドラマ化を許す条件だったが、そうならなかったことが発端らしい。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

【写真を見る】「田中さん」以外にも…原作者とのトラブルがあった作品は?

原作を変えられぬ権利

 芦原妃名子さんの死の背景には原作者の権利である「著作者人格権」の軽視があると見る。日本のドラマ界独特の悪しき風潮であり、権利意識が強い欧米では考えられない。

 著作者人格権は著作権法で認められているもので、その第20条第1項に「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。」とある。これを「同一性保持権」と称する。

日本テレビ公式ウェブサイトに掲示された告知

 原作者が承諾しない限り、作品の内容は改変できないのである。だが、現実には原作者がその権利を主張すると、ドラマ制作者側から「あの作家はうるさい」「ドラマづくりというものを知らない」といった勝手な声が上がりやすい。だから原作者とドラマ制作者の間ではトラブルが絶えない。

 芦原さんのX(旧Twitter、当該ポストはすでに削除)によると、芦原さんは「セクシー田中さん」は未完であり、結末を定めていないことから、ドラマ化に当たっては「必ず漫画に忠実に」という条件を出した。

 また、原作にないドラマの終盤については「(自分が)あらすじからセリフまで(用意する)」ことも前提とした。さらに「場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある」との約束事もあった。

日テレ側の調査は不可欠

 しかし、実際には「毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていた」という。「漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう」と、嘆いた。

 さらに「私が『セクシー田中さん』という作品の核として大切に描いたシーンは、大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、納得のいくお返事はいただけない」と不満を述べていた。

 もし、これらが事実であるなら、日本テレビ側は芦原さんの著作者人格権を侵害していた疑いがある。誠実でもなかった。そうでなくても、娯楽に過ぎぬドラマで人が亡くなるという深刻な事態を招いてしまったのだから、日テレは遺族のためにも事の次第を詳らかにする必要がある。

 また、これからのドラマ界で同じ悲劇が繰り返されぬためにも調査は不可欠だ。日テレはこの問題を重く受け止めなくてはならない。

 一方で感情論になるのも避けなくてはならない。著作権法にある著作者人格権の同一性保持権などが守られていたかどうかを法律論に基づいて検証するべきだ。

同一性保持権の強さ

 この問題を法律論で考える際のモデルケースがある。2012年、NHKはドラマ化の許諾を得ていた辻村深月さんの小説『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』(講談社文庫)について、辻村さん側から許諾を取り消されたため、版元の講談社に損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。

 辻村さんが許諾を取り消したのも分かる。原作とNHKの脚本は最も大切なテーマの描き方すら違っていた。テーマは母娘の葛藤だったが、その考え方が異なった。このため、辻村さんは脚本の準備稿の段階からNHKと対立。「セクシー田中さん」のケースと酷似している。

 辻村さんは法廷で、「大切な作品をお嫁に出せない」と力説した。さらにドラマ化作品の多い作家・東野圭吾さんによる意見書も提出する。そこには「原作者が許可した改変のみ許される」と、著作者人格論に基づく主張が書かれていた。

 東京地裁は最終的に辻村さん側を支持。NHK側の言い分は通らず、敗訴した(NHK側の控訴を経て東京高裁の勧告に基づく和解が成立)。同一性保持権を考えると、ごく自然な成り行きだった。

問題のポイントは原作者の承服

 それでも当時のドラマ関係者の間からは判決について、「予想以上に厳しい」「原作とドラマはある程度別ものだと理解してほしい」との声が上がった。司法判断よりドラマ現場の都合を訴えたのだから、市民感覚とズレていた。

 池井戸潤氏が原作者であるTBS「半沢直樹」(13年、20年)も原作と大幅に違っているが、これは改変の正当性を訴える根拠にはならない。池井戸氏の場合は脚本に納得していたからだ。問題なのは原作者が承服していない脚本がつくられること。一部にある「どのドラマだって原作と違うじゃないか」という声はピントが合っていないのだ。

 原作を変えること自体には問題がない。松本清張は自分が原作を書いた名作映画「砂の器」(74年)の脚本について「原作を超えた」と絶賛した。脚本は映画「男はつらいよ」の山田洋次監督らが書いたが、確かに原作以上の仕上がりだった。

 どちらもストーリーの軸には謎めいた殺人事件があった。しかし、原作は犯人捜しの推理に重きを置き、映画は社会にある差別心が犯行を生んだという動機面にフォーカスを合わせた。原作の持ち味も十分に生かした。理想的な映像化だった。ドラマ側が作品の持ち味を分かっていないとトラブルが起こりやすい。

山田太一氏の場合は

 一方、23年11月に他界した山田太一さんと話をさせてもらった時、山田さんが脚本を書いたNHK「江分利満氏の優雅な生活」(75年)が面白かったと伝えたところ、渋い表情をされた。「あれは私の作品ではありません」。原作が山口瞳さんによる小説だったからだ。

 山田さんは原作がある作品の場合、原作者と脚本家はイコールパートナーであることが分かっていた。相手の尊重である。原作者への敬意がないこともトラブルの火種になりやすい。

 山田さんによるTBSの名作「岸辺のアルバム」(77年)にも原作がある。山田さん自身がドラマ化前に書いた小説だ。それを山田さん自身が脚本化した。

 どちらも家族がテーマだが、原作は商社のダーティなビジネスを描くなど社会派色が強く、ドラマは不倫や大学受験など身近な問題を強調した。山田さんは小説とドラマの特性の違いを熟知していた。やはり理想的な映像化だった。媒体の違いについて理解が足りないこともトラブルを招く。

「セクシー田中さん」は失敗作

 どんなに高視聴率を獲ろうが、ドラマの大元にいる原作者が怒ったり、悲しんだりしたら、失敗作である。まして芦原さんは亡くなってしまった。残念ながらドラマ版の「セクシー田中さん」も失敗作にほかならない。

 ほかのビジネスにたとえると分かる。ある新商品が大ヒットしようが、特許権を持つ人が開発意図と違うと嘆き悲しんでいたら、成功商品とは言えない。

 特許を考案する人は、自分の思いと違う商品を世に出すために苦労を重ねるわけではない。それでもメーカー側が「自分たちは間違っていない」と主張したら、世間は猛反発するに違いない。

「セクシー田中さん」の場合、9回と10回の脚本は芦原さんが自分で書いた。それまでの脚本が自分の意図と違う内容であり、苦労して創作した作品とは隔たりがあったからだ。こんな面倒なことを好んでやる人はいない。

ドラマ界が支払う原作料は安すぎる

 原作者に負担を掛けた点でも「セクシー田中さん」は失敗作と言わざるを得ない。当たり前だが、高視聴率や高い2次使用料を得ることだけが成功ではない。どんなビジネスも高収益を上げれば成功と言えるわけではないのと同じだ。

 そもそもドラマ界が原作者に支払う原作料は安すぎる。大半のドラマはせいぜい100万円程度。ドラマ界が原作者を軽んじている表れでもある。

 安い原作料を「(漫画や小説の)宣伝になるのだから」と正当化する向きもドラマ界の一部にある。これも勝手な言い草であり、市民感覚とズレている。テレビがメディアのチャンピオンだったころの選民意識が抜けていないのだろう。

 これでは高い原作料を支払うNetflixなどの有料配信動画に押される一方になる。劇的な変革に期待したい。

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■相談窓口

・日本いのちの電話連盟
電話 0570・783・556(午前10時〜午後10時)
https://www.inochinodenwa.org/

・よりそいホットライン(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター)
電話 0120-279-338(24時間対応。岩手県・宮城県・福島県からは末尾が226)
https://www.since2011.net/yorisoi/

・厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」やSNS相談
電話0570・064・556(対応時間は自治体により異なる)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_info.html

・いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧)
https://jscp.or.jp/soudan/index.html

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。放送批評懇談会出版編集委員。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。

デイリー新潮編集部