珠洲市役所近くでの自衛隊の炊き出し(撮影・粟野仁雄)

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 元日の午後4時10分に発生し、マグニチュード7.6、最大震度7を記録した能登半島地震。震源地となった珠洲市では、今なお多くの被災者が避難生活を余儀なくされている。今月10日に現地を取材し、物資不足に喘ぐ男性やペットを連れて避難生活を送る女性に話を聞いた。(前後編の前編)【粟野仁雄/ジャーナリスト】

【写真】震災から10日後の被災地 避難した犬の「まるちゃん」はマフラーを付けてあたたかそう

福祉避難所の不足

 10日の午後4時に到着した珠洲市役所では、この日発行が始まった罹災証明書を求め、市民が集まっていた。待ち時間の長さにいら立っていた男性は「最初は乾パンだけ。食事が粗末で痩せてしまった」などと不満を漏らした。市の職員は「食料の備蓄はしていましたが、帰省者の数は想定外で全然足りなかったんです」と明かした。

珠洲市役所近くでの自衛隊の炊き出し(撮影・粟野仁雄)

 午後7時から近くで自衛隊が炊き出しを始めると、避難者は豚汁とご飯を冷めないうちに避難所へ運ぶ。

 海に近い飯田地区に住む多江千秋さんは、愛犬のまるちゃんと一緒に市庁舎向かいの交流センターに避難していた。

「ペットのレスキュー隊がケージも提供してくれて助かりました。隣で避難している男性が可愛がってくれるし」と話す多江さんは、市内の介護施設で働く介護士。「こんな時に本当に職場にはもうしわけない」と恐縮する。職場の入所者は金沢などに「移送」されたという。

 地震発生当時のことを聞くと「何もかも倒れてきた。警報ですぐ津波が来るとわかって家族4人と1匹で市役所に徒歩で逃げました。エレベーターは動かず、もう半泣きになりながら、84歳の母を背負って4階に上がりました。市職員の夫に会おうと思って1階に下りかけたら、津波が来るのが見えました。うわっ、本当に来たんだと驚きました。怖かった」と話す多江さん。

 翌日、自宅に戻ると床下まで浸水した跡があり、避難所で生活をせざるを得なかった。

「夜中でも、母のトイレに頻繁に付き合わなくてはならない。簡易トイレは段差があり、連れて行くのが大変で母にはおむつを付けてもらいました」(多江さん)。

 何とか母を施設に預けることができたという。

 今回の地震では、障害者や高齢者ら通常の避難所では生活が難しい人を受け入れる「福祉避難所」が不足している。建物が被害を受けたり、職員が被災したりしたことが理由で、計画の2割しか開設に至っていないそうだ。

ますます過疎になる

 濱田幸江さんは「元旦は、春日神社であった行事に娘が出て、それを観に行きました。直後に地震が来て神社の鳥居が倒壊したんですよ」と、2人の娘の無事に胸をなでおろした。取材中、濱田さんの父親が自宅にいたことが判明し、「家にいたら絶対ダメよ。捜索の人に迷惑だからこっち来て」と電話で怒っていた。間もなく父親が徒歩で避難所までやってきた。

 地震の後、通常は早い段階で行政が応急危険度判定をして回り、余震等で倒壊の危険がある建物に対しては、赤い張り紙を貼る。帰宅して更なる被害が出ることを防ぐためだが、調査は非常に遅れているので、住人が家に帰ってしまうことがある。建物の危険度判定よりもいまだに不明者捜索が優先だった。

 濱田さんは「この辺りは、1人暮らしのお年寄りが多く、金沢市などの子どもさんのところに身を寄せたまま、珠洲には戻ってこない人も多いでしょう。家を建て直す余裕のある人は少ないのでますます過疎になる。本当に悲しい」と嘆いた。

 避難所は完全に断水しておりトイレは外の簡易トイレを使う。大災害になればポリ容器を持った市民が給水車に列をなす光景をあちこちで見るものだが、給水車の一台も見かけなかった。「雪をかき集めて風呂桶に詰めて解けるのを待って使っていますよ」と濱田さん。もう発生から10日が経過しているのに信じられない。

あまりのことに涙も消え……

「昨日やっと風呂に入れたんですよ」と話す、大間玲子さん(62)は100歳の母や長女ら6人で暮らしていた。

「のんびりテレビを見ていたら揺さぶられて飛び出した。母は何とか施設のショートステイに頼んで預かってもらっています」などと話してくれた。ところが、別れ際に漏らした話に言葉を失った。

 孫や義理の娘を亡くしたという。

「元旦なので、孫たちが息子のお嫁さんの実家に集まっていた。夕方に大きな揺れが来て、警察官の息子はすぐに珠洲署に向かおうと家を飛び出したら、直後にすごい音がしたそうです。振り返ったら、あっという間に土砂崩れで家が消えていたと息子から聞きました」(大間さん)

 あまりのことに涙も枯れてしまったのか。想像を絶する肉親の悲劇を大間さんは比較的淡々と話したことが印象的だった。葬儀に備えて自宅に取りに行った礼服を持っていた。

 亡くなったのは石川県警珠洲署の警備課長の大間圭介さんの妻のはる香さん(38)、長女優香さん(11)、長男泰介君(9)二男湊介君(3)。さらにはる香さんの両親と春香さんの兄の妻が亡くなっている。合計7人が一度に亡くなったのだ。彼らは金沢市で荼毘に付されたという。

【能登半島地震 2度目の被災で「もう輪島には住めない」避難生活者の本音】に続く

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「瓦礫の中の群像―阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声」(東京経済)、「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部