崩れてきた土砂が道路をふさぎ、交通の妨げとなる(写真提供:PBV)

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地震発生から半月。能登半島の被災地では、支援の手が徐々に伸びているが、避難所での暮らしは今も厳しい。

石川県珠洲市や輪島市、七尾市で、発災翌日の2024年1月2日から支援活動を続けるピースボート災害支援センター(PBV)事務局長・上島安裕さんを取材した。水や食料が不足し、トイレはじめ衛生環境が悪化、道路事情も最悪だ。苦闘が続く現地のリアルな様子をお伝えしたい。

温かい食事の提供は限られている

PBVでは1月13日、YouTubeで能登半島地震での活動報告会を実施。上島さんが現地の詳細をリポートした。

まず停電と断水が、珠洲市や輪島市の広範囲で解消されないままだ。食事やトイレ、入浴に手洗いといった生活の基本が成り立っていない。輪島市の避難所の一部では、「朝食はせんべいやビスケットだけ」という話だ。

トイレは、便器に大型ポリ袋をかぶせて用を足し、凝固剤を入れて処理する非常用のものが今も使われている。だが、使用経験がなく使い方を知らない被災者が少なくない。結果、トイレが汚れて衛生面が悪化している。仮設トイレの設置は進んできたが、入るときに段差があって、足が不自由な人や高齢者には不便だ。そのため、トイレに行かないようにしようと水を飲まなくなり、体調悪化につながる懸念がある。

真冬の寒さも、避難者を苦しめる。指定避難所では、段ボールベッドの数が不十分で、板張りの床の上に畳1枚を敷いて寝起きしている。毛布やストーブが増えてはきたが、炊き出しで温かい食事が提供される機会は、まだ少ない。

支援状況は、避難所によって異なる。物資の補給は、道路事情の悪さで今もままならない。被災地を結ぶ道路が限られ、渋滞が頻発するという。珠洲市や輪島市から一度離れてしまうと、「戻って来るのに片道8時間かかる」ため、現地にとどまって活動を続けていると上島さんは語った。

現地でボランティア「まだ、そのタイミングではない」

上島さんはこれまで、東日本大震災はじめ地震で大きな被害を受けた地域で活動してきた。報告会終了後に話を聞くと、珠洲市や輪島市では、倒壊した住宅の多さに圧倒されたという。強烈な揺れで土砂崩れがあちこちで起こり、道路は陥没や隆起が多発してアクセスが遮断された地域は孤立。こうした集落が多数点在しているのが、今回の特徴だと見る。

「支援に行きたくても、行けない。復旧させていく難しさを感じています」

物資の輸送は、確実に進んではいる。国が必需品を調達・輸送する「プッシュ型支援」で、例えば輪島市では、「パックご飯」が大量に届き、徐々に備蓄できるようになった避難所があるという。半面、行政指定の避難所と、住民が個人で設営した自主避難所や在宅避難先、福祉施設では「モノ不足」の度合いが変わってくる。避難している住民も多数で、水や食料をはじめ全く足りていない。

「早く現地へボランティアに行きたい」「被災者を助けたい」と思う人は、少なくないだろう。だが上島さんは、一般の人が被災地入りすることに「今はまだ、そのタイミングではありません」と語る。まず、被災自治体でボランティアを受け入れる態勢が整っていない。長引く停電に断水、さらに余震が続き、道路事情の悪さから車での移動で事故を起こす恐れがある。言わば極限の状態でも全て自力で対応できる「支援のプロ」でないと、せっかくの善意が結果的に現地の足を引っ張る恐れがある。

被災地域で社会福祉協議会がボランティアセンターを開設し、電気や水道が戻り、現地へのアクセスが改善すれば、本格復旧に向けて多くの人の力を必要とするフェーズになる。それまでは、寄付のように、現地で活動する団体や自治体を後方支援するような形が望ましい。

復旧復興には、長い時間がかかるだろう。被災者の生活再建を支えるために、やはり長期間サポートし続ける必要がある。

「『多くの人から支援をもらっている』という事実で被災者は勇気づけられ、涙を流して感謝する人もいます」

被災した人々を忘れず、来るべき時に必要な支援を、タイミングよく提供していきたい。

(J-CASTニュース 荻 仁)