76年、逆転満塁サヨナラ弾に長嶋監督歓喜

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 末次民夫(現・利光)が巨人入りしたのは1964年11月。直前10月の日米大学野球には3番レフトで出場。中央大で首位打者2回、ベストナイン4回、通算打率.303、10本塁打の成績を残している。

 入団1年目の65年から巨人の9連覇が始まる。

「キャンプで先輩たちの打撃を見て、これは勝負できないなと思いました」

 当時、巨人は次々に他球団の主軸打者をトレードで獲得した。「ONの後を打つ強打者」を川上哲治監督が待望していた。末次入団の年は東映から吉田勝豊、近鉄から関根潤三、66年には西鉄から田中久寿男、67年にも西鉄から高倉照幸、広島から森永勝也を取った。その間、末次は1軍で活躍できず、くすぶっていた。

76年、逆転満塁サヨナラ弾に長嶋監督歓喜

「プロに入ってフォームをいじられたんですね。それで少し遠回りしました」

 打撃コーチは荒川博。王貞治を開花させたダウンスイングが代名詞だった。

「自分も納得して取り組んだんだけど、ダウンスイングの解釈を間違えていた。文字通り上から下にたたくイメージで振っていた。考えてみれば、王さんも実際にはレベルスイングか、すくい上げる感じだったものね」

 続々と移籍してくるベテランたちをしのぐには何か新しい技術が必要だと焦ったのかもしれない。結果的に自分の打撃を狂わせた。

 68年には明治大から高田繁が入団。けがをした高倉に代わってレフトに定着。後輩に先を越された。その頃になってようやく末次は本来の打撃を取り戻した。

川上監督の弟

 4年、5年と経験を重ねるうち、移籍組の強打者たちの活躍がさほど長く続かないことを見知った。

「やっぱり、巨人の看板が重荷になるんですね。最初は打てても、その重さに耐えられなくなる」

 末次は5年目の69年、ライトの定位置を国松彰から奪った。118試合に出場し、打率.257、9本塁打を記録した。

「ライトは敵地で相手ファンに囲まれるポジションだから最初は大変でした。広島でも名古屋でも野次がすごい。川崎球場も激しかった。しかもスタンドが近い、すぐ背中の後ろでさ。5、6人うるさいのがいてもうけんかですよ。僕も若かったから『うるせえ』とか言い返して、でもだんだん慣れて友だちみたいになった」

 いい時代だった、と言いたげな表情で末次が笑った。

 もし他球団を選んでいたら、もっと早く活躍できたのではないか?

「他からも誘われたけど、巨人以外には行けませんでした。熊本出身ですから」

 真面目な顔で末次が言った。川上哲治は言わずと知れた熊本県出身。末次も同じ人吉市の生まれだ。だがそれだけで義理を感じる必要はないのでは?

「川上監督の弟さんが市役所にいて、野球チームをやっていたんです。小学生のころ、顔もそっくりな弟さんから仲間に入れてもらった。それで野球がいっそう好きになった」

 そういう恩があった。

 末次といえば、76年6月8日、後楽園の阪神戦で打った逆転満塁サヨナラホームランが有名だ。

 カウント2─2、構えた位置からスムーズにバットを振り抜くと打球は一直線にレフトスタンドに突き刺さった。長嶋茂雄監督が両手を上げ、小躍りしてベンチを飛び出した。

「タイミングとポイント。ああいうバッティングができたら30本打てるんだけどなかなかね」、末次はそう言った後、続けた。「ピッチャーの山本和行はおおざっぱなとこがあるから、ファウルで粘れば根負けして甘いところに来るなと。案の定、インコースに来た」

計算して打った本塁打

 その一打以上に、末次本人の記憶に深く刻まれているのは、71年日本シリーズ第4戦で阪急・足立光宏から打った満塁ホームランだ。前日の第3戦、王が山田久志から逆転サヨナラ3ランを打った。巨人の優勝ムードが高まる中、3回裏に0対0の均衡を破ったのが末次の快打だった。

「あれは日本シリーズ用に練習して、計算して打ったホームランです。

 シーズン終盤、阪急のスコアラーが偵察に来たとき、インコースをボテボテに詰まっていた。だから、シリーズではインコース攻めで来るなと思ってね。打撃コーチの山内一弘さんにインコースの打ち方を伝授してもらった。山内さんはインコース打ちの名人ですから。1週間、インコースばっかり練習して臨んだ。シリーズが始まると3試合、阪急はしつこく内角を攻めてきた。それで結局、4試合目、足立さんのボールが浮いて来るところを打った。

 両腕を体に巻き付けて回転する打ち方。上からたたいてスピンをかけると打球が上がっていく、絶対に切れない。その打ち方は山内さんが教えてくれたからできたんです」

 そのシリーズは19打数7安打7打点でMVPを獲得。

 長嶋が入団した58年からV9を果たした73年まで、規定打席に達して打率3割を打った打者は巨人には王と長嶋しかいなかった。二人に続いたのが74年の末次だ。全球団が目の色を変えて挑んで来る巨人で3割を打つ難しさをその記録が物語っている。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

「週刊新潮」2023年12月28日号 掲載