オリックス時代の園部

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日本野球機構(NPB)が統括するプロ球団の入団に再挑戦する若者がいる。来季からNPB2軍戦のイースタンリーグに参戦するオイシックス新潟アルビレックスBCの園部佳太内野手(24)だ。独リーグ・福島レッドホープスからオリックスの育成を経て今オフ、オイシックス新潟に入団。J-CASTニュースはNPB復帰を目指す園部に取材し、来季にかける思いを聞いた。

「もう1度プロを目指してやりたい」

福島県出身の園部は甲子園出場を目指して福島県立いわき光洋高校に進学した。主将として迎えた3年生の夏は、県大会決勝に進むも聖光学院に負け。甲子園出場はならなかった。高校通算48本塁打をマークしたスラッガーだが、その年のドラフト会議で指名されず、専修大学に進学した。

プロ入りへのステップだったはずの大学は2年の夏に中退した。園部は中退した理由をこう説明した。

「その頃、野球に対する自信や意欲がなくなってきて、人間関係に苦しんでいたのが1番だったと思います」

中退後は地元福島に戻った。半年間野球から遠のいたが基礎的なトレーニングは欠かさなかった。大学の野球部を退部したが、心の中に「野球をやりきっていない」という思いがあったという。「もう1度プロを目指してやりたい」。長年面倒をみてもらっていたトレーナーら周囲の勧めもあり、地元の独立リーグ・福島レッドホープスに入団した。

独立リーグ時代は非凡な打撃センスを見せ主力として活躍した。ルーキーイヤーの20年は全60試合に出場して打率.296、5本塁打、35打点をマーク。21年は58試合に出場して打率.312、2本塁打、29打点だった。同年ドラフト会議でオリックスから育成2位で指名され入団。背番号は021だった。

園部は「オリックスから指名された時はうれしかったですね」とし、「オリックスはドラフトで支配下の内野手を1人しか取っていなかったので、育成の時に『指名があるのではないか』と思っていました。名前を呼ばれた瞬間は頭が真っ白になりました。両親がとても喜んでくれました」と懐かしそうに振り返った。

「新潟から声をかけていただいて正直ホッと」

プロの2軍は独立リーグ時代とは勝手が違ったという。

「スピードや技術、体の大きさなど全てが違いました。独立リーグの時は150キロを投げるピッチャーはあまりいませんでしたが、プロは2軍でも150キロを投げるのは当たり前でした」

力の違いを感じながらも1年目の22年はウエスタンリーグ72試合に出場し打率.253、6本塁打、27打点を記録した。4番を任されることもあったという。ところがシーズン後、22年秋のキャンプで打撃の感覚が狂い、シーズン中に修正できなかった。2年目の23年は43試合の出場にとどまり1本塁打、13打点に終わった。

そして今オフ、球団から戦力外通告を受けた。わずか2年での戦力外には「色々思うところがあった」という。

プロでの現役続行を望み11月15日に開催された12球団合同トライアウトに参加。NPB球団から声はかからなかったが、力強いスイングがオイシックス新潟の橋上秀樹監督(57)の目に留まり入団が決まった。

「新潟から声をかけていただいて正直ホッとしたところがありました」。率直に振り返る園部の目標は明確だ。「来季イースタンリーグに参入することもあって、新潟でプレーするのがNPB復帰に1番近いと思って入団させていただきました。1日でも早くプロに戻りたいという気持ちが強いです」

「オリックスを見返したいという気持ちは全くありません」

オリックスに所属していた2年間、チームはリーグ連覇を達成し黄金時代を迎えようとしている。1度も1軍に上がることはなかったが、同級生が1軍でプレーする姿はまぶしかった。同期で仲の良い野口智哉選手(24)が1軍で活躍する姿は素直にうれしく、「頑張ってほしい」という気持ちが強かったという。

園部は「オリックスを見返したいという気持ちは全くありません」とし、「まだまだ上の舞台でやりたいという思いが強いです。2軍の支配下の選手に負けている気がしなかったので、そこは自信を持ってやりたい。復帰は年内とはいわず、チャンスがあればいつでも戻るという強い思いがあります。僕のアピールポイントは長打力と勝負強いバッティングだと思っているのでホームランを意識してやっていきたいです。長打にこだわりたいです」と力を込めた。

園部にとってNPBとはどのような存在なのか。

「そこで活躍すれば色々と見えてくるものがあります。1度経験したから分かる。憧れの場所でもある。そしてそこで活躍したい。夢は1軍で活躍することです」

24歳の挑戦が再び始まる。