これからの時代に必要な教育環境について、実業家の孫泰蔵氏(左)と戦略デザイナーの佐宗邦威氏の対談をお届けします(写真左:Toshimitsu Takahashi、写真右:柏谷匠)

「どんな教育がいいの?」──ChatGPT台頭でわが子にどんな教育環境を用意するか、悩む人は少なくない。一方で「暗記」や「受験対策」など既存の教育制度には大きな課題も……。不確実な時代を迎えた今、人の成長に本当に大切なものとは何か? 人生の変容についてリアルに明かした『じぶん時間を生きる TRANSITION』を上梓した佐宗邦威氏が学びをめぐる思索を深めた『冒険の書』著者の孫泰蔵氏と未来を生き抜く力を語った。

「暗記の強制」は子どもたちへの無責任

佐宗:泰蔵さんの『冒険の書』を読んだときに、「社会をより良い方向へ向かわせる<くさび>」として教育を位置付けていらっしゃるのだなと理解できて、泰蔵さんの思考の変遷を聞いてみたいと思いました。<教育>というテーマに着目された背景には何があったんですか。

:実は僕が教育に関心を持つようになった歴史は長くてですね。子どもたちにクリエイティブなラーニング環境を提供する「VIVITA」という活動を始めてもう8年目になります。なぜこの活動を始めたかというと、もともと現行の義務教育のあり方には疑問を持っていたからです。最近の例でいうと、ChatGPTに代表されるジェネレーティブAIのような新しいテクノロジーが急速に浸透して社会の前提が一変するのは目に見えているのに、暗記や計算の速さを競わせるような画一的な教育を強制するのは、子どもたちの未来に対してあまりにも無責任じゃないかと。

佐宗:わかります。

:一方で、最先端のAIを教育に活かす「EdTech」という領域も生まれているわけですが、「AIで1人ひとりの能力に合った学習プログラムを開発します」と、現行の教育を助長するだけの構想をプレゼンされても、まったく響かない。極端なことを言えば、怒りさえ覚えるほどでした。そんなことよりも、子どもが本来持つクリエイティビティを引き出して、応援できる環境づくりこそ、社会が担うべき役割じゃないか。僕なりにそう考えて、VIVITAのような活動を続けてきたんですね。

そうやって試行錯誤しつつ手を動かしながら、僕の中にある問題意識をしっかり掘り下げて言語化・理論化していきたいなという思いもずっとあったんです。コロナ禍でステイホームになったことをきっかけに、「探究」に多くの時間を使えるようになって、その一部を若者にも伝えようと書き下ろし・編集したのが『冒険の書』なんです。

佐宗:なるほど。泰蔵さんの問題意識は、僕のそれと近いかもしれないなと思いました。AIの進化が加速する時代に、わが子に教えるべきことは何なのかのそもそも論を、2015年頃から真剣に考えるようになりました。僕なりの結論としては、AI時代にこそ、自分を主体に「やりたいこと」をイメージし、そのイメージを持ち続けられたり、手を使って形にしてみたりする力が重要になるんじゃないかと。『じぶん時間を生きる』という本の中で言語化した<じぶん時間>とは自分の主観に向き合い、育てる時間のことなんです。これからは身体性を磨ける体験がより重要になるのではないかと、自然豊かな環境での暮らしを通じて実感を強めているところです。

:とても大事ですよね。同感です。

KPIの罠──数字で子どもの成長を見てしまう

佐宗:自分なりの理想をイメージして選んだ軽井沢での暮らしや教育は、僕にとってすごく新鮮で、娘や息子の表情も明らかに変わりました。やっぱり子どもはあっという間に順応しますね。その反面、大人においては「常識との戦い」が至るところで生じるんです。つい数字や形で現れる成長を確かめたくなったりして、無意識に「KPIの罠」にとらわれる自分に気づかされます。

泰蔵さんはいろいろな教育の現場を見てきたと思うのですが、とくにどんな点に注目してその良し悪しを見極めるのでしょうか?

:うーん、こういう答えをすると身も蓋もないんですが、僕は「学校教育」そのものには興味ないんですよ。

佐宗:そうか。学校教育という狭義の学びに限定していないんですね。

:僕が興味があるのは「環境デザイン」なんです。まさに佐宗さんが実践している領域ではないかと思うのですが、クリエイティブな発想や取り組みがどんどん誘発されるにはどんな環境のデザインがなされるべきなのか、というテーマをずっと考えていて。評判を聞いてはあちこち出かけ見に行ったり、人に会いに行ったりしているんです。

たまに「教育の専門家が集まるカンファレンス」に呼んでいただくこともありますが、登壇はほぼすべてお断りしています。

なぜあの街には ”才能”が集まるのか

佐宗:合点がいきました。僕の会社の名前、ビオトープは「命(BIO)の場(TOPE)」という意味なのですが、まさに「新しいものを生むエコシステム」の環境設計を目指しているんです。何をしたいか、何を実現したいかというゴールは人それぞれ違っていい。むしろ、多様性の生態系が広がる環境が理想ではないかというイメージがあります。

:そうそう。例えば、僕が注目している環境の1つが、スペインにあるサンセバスチャンという小さな町。人口18万人という小規模なエリアにもかかわらず、ミシュランの星を獲得したレストランが何十軒とひしめき合っているんです。なぜサンセバスチャンの料理人のレベルはそんなに高いのか。なぜハリウッドにはエンターテインメントの才能が集まるのか。なぜシリコンバレーには……。新しいものがどんどん生まれる環境の共通項にすごく興味がありますね。


佐宗:面白いですね。共通項は見つかりましたか?

:1つ、明確に言えるのは「オープンソース的思考」があることです。サンセバスチャンを例にとると、スペインで初めてミシュランの星を獲ったシェフがたまたまこの町に店を構えていて、町内の若手シェフに向けて自分のレシピを全部公開したんだそうです。「これよりうまい料理を作ってみろ」と。秘伝のレシピを受け取った若手シェフたちは喜んでまねをして、「なるほど。こうやって作るのか。ちょっとアレンジしてみよう」と自分のレシピ開発に応用していった。星付きのレシピがベースだから当然美味しいし、評判は上がりますよね。すると、今度は「自分も教えてもらったんだから公開しないわけにはいかないよな」と、質の高いレシピのシェアの輪が急速に広がっていった。

佐宗:知とノウハウの共有による発展、まさにオープンソースですね。IT業界の発展のプロセスとも近いですね。

オープンソース的発展を遂げた日本のプロダクト

:そうなんです。僕の故郷、福岡の名物「明太子」も実はオープンソース的発展を遂げたプロダクトなんですよ。最初に作った人が「これ、うまいよ」ってみんなに配って、あえて製法特許をとらなかった。結果、いろんな人がちょっとずつ味を変えて明太子を作って売るようになって、今や福岡土産の代表格になっている。ノウハウをシェアするカルチャーは、クリエイティブなエコシステムには不可欠な要素である気がしますね。


佐宗:面白い! 熊本の黒川温泉も、個々の温泉宿がそれぞれで管理していた仕組みから、すべての宿が温泉を共有して盛り上げる仕組みに変えたことで、一気に地域全体が盛り上がるようになったと聞きました。

:「あの地域にいけば、いろんなことが吸収できるらしいよ」と評判が広まれば、若い才能がどんどん集まって、さらに高め合いの循環が起きますよね。

だからこそ僕の関心は、「学校」という狭い枠ではなく、「クリエイティビティを発揮させる<環境デザイン>はどんなものなんだ!?」って方向に向かっていくんです。

(構成:宮本恵理子)

(孫 泰蔵 : Mistletoe Founder)
(佐宗 邦威 : 多摩美術大学特任准教授、戦略デザインファーム「BIOTOPE」代表)