使うべき人ではない人への使用による問題が明らかになってきています(写真:ryanking999/PIXTA)

GLP-1受容体作動薬という肥満症治療薬が注目を集めている。わが国では、2024年2月22日、デンマークのノボ・ノルディスク社が開発したセマグルチド(商品名ウゴービ)を医師が処方できるようになる。

Breakthrough of the Year

科学界での評価も高い。

12月14日、アメリカの『サイエンス』誌がこの薬の開発を“2023 Breakthrough of the Year(ブレークスルー・オブ・ザ・イヤー)”として紹介した。筆者も前回の記事(関連記事:薬の保険適用で変わる「肥満は自己責任」の考え方)で、この薬の意義について解説した。

その一方で、この薬の使用をめぐり混乱も生じている。その一例が、12月15日に朝日新聞が報じた「東京大学医学部附属病院の2人の研修医がリベルサスを処方しあっていた」事件だ。

前述したセマグルチド(ウゴービ)は注射剤だが、リベルサスはセマグルチドの経口剤(飲み薬)だ。海外の臨床試験で、肥満症治療薬としても注射剤同様に有効なことがわかっている。

報道によると「自己使用目的であって転売目的ではない」というから、2人の研修医はダイエット目的に処方したのであろう。不正に薬を入手することも問題だが、筆者としては、このような使い方をお勧めできない。なぜなら、それは大した減量効果はない一方で、副作用が強く表れる可能性があるからだ。

ノボ・ノルディスク社が実施した臨床試験で安全性と有効性が証明されているのは、Body Mass Index(BMI)が30キログラム/平方メートル(以下略)以上、あるいはBMI27以上で、高血圧、高脂血症(脂質異常症)、睡眠時無呼吸症候群、心血管疾患などの合併症を有する人たちだ。

研修医世代の若者にこのような持病があるとは考えにくく、また、BMI30の基準も満たしていないのではないだろうか。BMIが30以上というのは、身長が170センチの場合、体重が87キログラム以上となるからだ。

基準を満たさない人の使用リスク

先の基準を満たさない人に対しては、セマグルチドの安全性も有効性も証明されていない。むしろ、副作用のリスクが高い。

この問題については、肥満治療の先進国であるアメリカでは随分と議論されている。筆者が信頼しているアメリカ・ボストン在住の内科医、大西睦子医師が重視するのは、「急激なダイエットでは通常、脂肪よりも筋肉が減る」という点だ。

セマグルチドの先行研究で開示された結果を大西医師が分析したところ、減少した体重の約4割は除脂肪体重(主に筋肉)だったという。これは肥満症の患者の場合だ。肥満でない人に使用したら、脂肪がないぶんだけ、この分析結果より筋肉が減る可能性が高い。

筋肉量が減って、相対的に脂肪のウェイトが増す肥満を「サルコペニア肥満」と呼ぶ。

この状態は、通常の肥満より生活習慣病にかかりやすく、運動能力、特に歩行能力が低下することがわかっている。若年者はともかく、高齢者なら転倒し、寝たきりのリスクが高まる。

筆者は、サルコペニアになるくらいなら、筋力が維持された肥満のほうがいいと考えている。現在、サルコぺニア肥満は高齢者の間で問題になっているが、肥満ではない人がセマグルチドを使うと、若い人でもこのサルコペニア肥満になるおそれがあることを認識すべきである。

サルコペニア肥満の予防には、筋肉トレーニングが有効だ。特にスクワットや腕立て伏せ、ダンベル体操などの筋肉に抵抗(レジスタンス)をかける動作を繰り返しかける運動がいい。少なくとも、肥満の治療でセマグルチドの使用をお考えの方は、是非、筋肉トレーニングを併用することをお勧めしたい。

肥満の程度や、肥満による運動器の障害(膝痛など)の有無で必要となる運動量が異なるため、どのようなトレーニングをすべきかについては、治療を受ける先の医師に聞くといいだろう。

さらに、セマグルチドは若い女性が「やせて美しくなる」こと、つまり美容目的に使うケースが問題になっている。この薬は筋肉量の低下以外に美容面でも問題がある。それは、筋肉であろうが、脂肪であろうが、急速な減量によって皮膚のシワやたるみが増えてしまうからだ。

薬がもたらすセマグルチド顔とは?

大西医師は、「アメリカでは“セマグルチド顔”と言われ、社会問題となっている」と話す。このセマグルチド顔を治すために、ヒアルロン酸などの皮膚充填剤の注入や、レーザーや手術による皮膚引き締め術を必要とする人もいるという。せっかく美容目的にやせ薬を始めても、これでは、かえって美容を損ねてしまう。

GLP-1受容体作動薬の問題は、これだけではない。自殺企図についても懸念がある。自殺企図とは、首つりやリストカットなどの手段で、実際に自殺を企てることだ。

アイスランドからのセマグルチドの使用と自傷、あるいは自殺企図行為に関連の可能性がある3例の報告を受け、7月にヨーロッパ医薬品庁(EMA)が調査を開始した。EMAは製薬企業に情報提供を求めている。

因果関係について現時点では結論に至っていないが、関係者の関心は強く、来年4月にヨーロッパで開催されるEMAのPRAC(Pharmacovigilance Risk Assessment Committee:ファーマコビジランス リスク評価委員会)では、この問題が主要な課題として挙げられている。同委員会はEUで医薬品の安全性に関する情報を収集し、安全性を評価、措置する最高機関である。ヨーロッパがいかにこの問題を重大視しているかおわかりいただけるだろう。

この懸念について、結論がはっきりするまで筆者はうつ傾向など自殺のリスクが高い人には、GLP-1受容体作動薬の使用を控えるよう、ことあるごとに助言している。

問題は、うつ傾向が強い人の中にはやせ願望が強く、個人輸入などのかたちで主治医の精神科医に隠れてGLP-1受容体作動薬を利用する人がいる、ということだ。

自殺企図などの副作用が出ても情報を収集することができず、水面下で被害が増える可能性がある。政府はもちろん、専門家やメディアもリスクについて啓蒙する必要がある。

一部で報告、発がんとの関係は?

発がんについての懸念も報告されている。それは5月、EMAがノボ・ノルディスク社が販売する別のGLP-1受容体作動薬のリラグルチドの使用者で、甲状腺がんの増加が認められたというものだ。

一方で、5月にはアイルランドの研究者が、GLP-1受容体作動薬がナチュラル・キラー細胞などの免疫系を活性化し発がんを予防するなど、まったく逆の研究成果を『Obesity(肥満)』誌に発表している。

GLP-1受容体作動薬が免疫を活性化することについては、ほかの研究グループからも発表されている。まだ、結論は出ていないが、現時点では大きな心配はしないでいいだろう。

筆者はがん家系の肥満患者に対しては、発がんのリスクよりも減量の効果のほうが大きいと考え、GLP-1受容体作動薬の使用を勧めている。

これが現時点でわかっているGLP-1受容体作動薬の負の側面だ。今後、ますます研究が進むだろう。状況は大きく変わるはずだ。使用にあたっては、ぜひ肥満治療を専門とする医師にご相談いただきたい。


セマグルチドの体重減少を示した臨床研究が掲載された『ニューイングランドジャーナル』より

(上 昌広 : 医療ガバナンス研究所理事長)