クレディ・スイスのAT1債を国内で最も販売していた金融機関が三菱UFJモルガン・スタンレー証券だった(写真:ブルームバーグ)

総額は約70億円に。三菱UFJモルガン・スタンレー証券が個人投資家らから求められている損害賠償の額は、さらに膨らむことになった。

今年3月、欧州金融機関のクレディ・スイス・グループは信用不安に陥り、スイス政府の支援の下で同業のUBSグループに救済買収された。その過程で無価値(全損)になったのが、クレディ・スイスの発行していた「AT1債」という債券だ。

国内で販売されたAT1債は1400億円程度。うち約950億円を販売していた三菱UFJモルガンが今年8月、複数の投資家から集団訴訟を起こされた。東京地裁に訴えたのは個人を中心とした66人で、計52億円の損害賠償を求めている。

新たに約25人の投資家が提訴へ

第1回口頭弁論は10月下旬に開かれ、三菱UFJモルガンが年内に反論資料を提出することになった。訴訟はまさに始まったばかりだが、新たに約25人が15億〜20億円の損害賠償を求める訴えを近日中に起こす。

クレディ・スイスのAT1債には、同社が公的支援を受けた場合には価値をゼロにするという独自の規定があった。投資家からすると、文字通りその瞬間に紙くずになるという取り決めだ。

「このような規定はイギリスやアメリカなどのAT1債にはなく世界的に特殊。しかも公的支援の実施はスイス当局の主観的・裁量的な考慮にかかる。そこで考慮される要素を一般投資家が理解して評価するのは無理なことだ」

投資家たちの代理人を務める山崎大樹弁護士(山崎・丸の内法律事務所)はそう指摘する。「知見のある機関投資家が有する技術と資源がそろった場合にのみ分析は可能になると考える」という欧州の規制当局の見解などを基に、一般投資家に販売していい商品ではなかったと主張する。

対する三菱UFJモルガンは、訴訟中であることから取材にはコメントを控えているが、投資家個々の状況をみて判断すべきとのスタンスを法廷で取る。では、投資家はどのような状況で購入していたのか。当事者の声を聞いた。

「またお前らかよ」という怒り

「無価値になりました。申し訳ございません」

3月20日の朝。AT1債を購入していた男性は、9時前から会社内のトイレを掃除していた。男性が取締役を務める会社は毎週月曜日に社員総出で社内清掃をする習慣がある。

そこに突然かかってきたのが三菱UFJモルガンの営業担当者からの電話だった。「無価値」と告げられ、男性は唖然とするしかなかった。数日後、担当者が「説明」に来た。抱いたのは「またお前らかよ」という怒りだった。


三菱UFJモルガン証券が投資家に示したクレディ・スイスのAT1債に関する「外国証券情報」。集団訴訟の原告の投資家たちは、情報がきちんと提供されていなかったと主張している(記者撮影)

理由はあった。男性の会社を経営する父親が、三菱UFJモルガンから勧められた仕組み債で2億円の損を出していたからだ。仕組み債の購入当時、70歳間際だった父には、複数の金融機関がさまざまな商品を売りつけてきたと語る。

仕組み債での損を「リカバリーします」と、勧められた商品の中にクレディ・スイス発行のAT1債があった。父と男性、一家の資産管理会社で購入した額は総額250万ドルと日本円で3億円を超えた。10%前後の年利で損失を10年で回復する算段だった。

AT1債が無価値になるまでの約10日間。クレディ・スイスの信用不安が日々高まる状況で、三菱UFJモルガンの担当者から男性に複数回電話があった。

「会社としては大丈夫との判断をしており、投資適格債として今でも売買されている。顧客からの売りも出ていない。むしろ買っている人もいる」。担当者からはそう言われたという。

AT1債が持つリスクは男性も一定程度認識していた。経営破綻時には普通社債よりも弁済が後回しにされる「劣後債」であること、クレディ・スイスの中核的自己資本比率が7%を下回ったときには元本が減ることなどは意識していた。

だが、公的支援を受けた場合には価値をゼロにするという規定の説明を受けた記憶はないという。むしろ、公的支援で銀行が潰れることはないとポジティブに捉えていた。「自己責任と言われても納得できない」と男性は憤る。


UBSのケレハー会長(右)とクレディ・スイス・グループのレーマン会長は3月19日、UBSによる救済買収で合意。スイス政府は買収に伴い発生しうる損失に政府保証を与え、スイス国立銀行は流動性支援枠を設定した(写真:ロイター/アフロ)

購入に使ったのは相続した財産

AT1債が無価値となる直前、三菱UFJモルガンの担当者から説き伏せられたという投資家はほかにもいる。妻がAT1債で2000万円を損したという男性だ。AT1債と同様の債券への投資経験を持つ男性と異なり、妻は投資初心者だった。購入の際、妻の背中を押してしまい後悔している。

2000万円は妻が親から相続した財産で、今後インフレで目減りしていくならと運用に投じた。AT1債の利回りは年10%近くと高いものの、男性は為替リスクもあるので相応と考えた。結果的に妻は利払いを一度受けただけで、無価値となった。

妻がAT1債を購入してから間もない2022年10月下旬。クレディ・スイスの株価は大きく下落した。経営の抜本的な立て直しを狙ってリストラ計画を出したが、株式市場は費用増加などを嫌気した。

心配した妻は「大きな損を出すくらいなら損切りしてやめたい」と、三菱UFJモルガンに伝えた。それに対し担当者は、「自己資本比率が13%前後で推移しているので心配ない。いま売ると損になる」となだめた。

そして今年3月。クレディ・スイスの信用不安が高まる中で担当者に問い合わせると、「自己資本比率が14%もあるので大丈夫」「スイス金融当局から資金注入の発表もあり、むしろ経営は安定する可能性が高い」と言われたという。

AT1債が無価値となった後、担当者が訪れてきた。自分の顧客で20人以上、会社全体でも200ほどの顧客が損失を出したという。また、「公的支援決定の際にはクレディ・スイスの株価が上がり、喜んでいた社員がいた」ことを聞いた。


AT1債が無価値となったことを顧客に伝える三菱UFJモルガン証券の書面の一部。「お客さまにご心配をお掛けしておりますこと、大変心苦しく存じます」という言葉とともに、無価値となったAT1債4銘柄が掲載されている(記者撮影)

お金を失ったこと以上に許せないこと

男性は「2000万円を失ったこと以上に許せないことがある」と話す。それは三菱UFJモルガンから、「危ないとか、そろそろ売ったほうがいい」といったアドバイスが一言もなかったことだ。

「こちらが何度もウォーニング(警報)を出したのに受け止めてもらえなかった」。商品への深い知識、さらには顧客の資産を守るとの理念がなかったのではないか。男性はそのような疑問を拭えない。

クレディ・スイスのように、破綻すると世界の金融システムに与える影響が大きい金融機関の危機を、政府が放置することはあまり考えられない。そういう意味では担当者が投資家たちに「大丈夫」とのメッセージを発したのも理解できる。

しかしクレディ・スイスのAT1債に限っては、公的支援の可能性こそが無価値化につながるリスクだった。そのことを三菱UFJモルガンの営業現場がどこまで認識していたのか、という投資家たちの問いは的を射ているように思える。

AT1債の最低購入価格は20万ドルであり、保有資産3億円を超える富裕層が購入者の中心だったとされる。だが当事者の話を聞くと、富裕層と一くくりにできないのではないか。訴訟は長丁場になることが予想される。その分、詳細な実態が見えてくるはずだ。

(緒方 欽一 : 東洋経済 記者)