地方公務員の男性が、ベトナム人の女性と結婚するに至った経緯とは?(イラスト:堀江篤史)

オーストラリア、イギリス、インド、そしてトルコ。250回を超える本連載の中で、いくつかの国の人との国際結婚カップルを見てきた。いずれも外国人男性と日本人女性の組み合わせだ。今回は日本人男性と外国人女性の夫婦が初めて登場する。

地方公務員の日本人男性とエリート外国人女性の夫婦

名古屋駅前の喫茶店で入店待ちの行列に並んで待っていてくれたのは、地方公務員の平沢健二さん(仮名、52歳)。長袖のポロシャツをチノパンにインしたメガネ姿、やせ型の男性だ。筆者も約束の10分前には到着したのだが、平沢さんは店の混雑を予想してその前に着いたらしい。行動からも外見からも真面目な人柄がうかがえる。

隣でちょっと恥ずかしそうにしているジーパン姿の小柄な女性は、ロングの黒髪と黒い瞳のベトナム人、トラン・ウェン・マイさん(仮名、39歳)。ベトナムの名門国立大学を卒業した後、「化学を学ぶなら日本がいい」と尊敬する人から勧められて来日したのが今から11年前。関西地方の日本語学校を経て、やはり関西にある国立大学大学院で化学を専攻した。現在は東海地方にある小規模の化粧品メーカーで研究開発から製造までを手掛けている。かなりのエリート女性である。

健二さんも関東地方にある国立大学の卒業生で、20代は思うところあってアルバイトや資格試験の勉強をして過ごした。30歳目前で地元の地方自治体に就職してからは苦労が多かったようだ。うつ病などで休職せざるをえなかった時期が4回ほどあったのだ。発症の原因は同僚からの嫌がらせだったらしい。

「自分が目立つために他人を蹴落とすような人はどこの職場でもいると思います。世渡り上手ではない私はやられる立場になってしまいました」

自分の家庭を持ちたいという気持ちはつねにあったと振り返る健二さん。メンタルをやられてしまい、恋愛も婚活もできないままに40代半ばに。職歴が長くなるにつれて職場での居心地はかなり改善したが、病気が完治したわけではない。

病気のことは伏せずに結婚相談所へ登録

「45歳のときに親が探してきた結婚相談所に登録しました。カウンセラーの方からは病気のことはプロフィールでは伏せるように言われたのですが、それは違うかなと思ったのです」

健二さんの生真面目さがわかるようなエピソードである。その後はマッチングアプリを使い、4歳年下の女性と交際することができた。1年後には結婚式を挙げたが、同居もせず婚姻届も提出しないままで関係が終わってしまった。「徐々に考え方がズレていった」としか言いようがないという。

「ややきつい性格の女性で、意見がぶつかったりすると3週間も音信不通になることがありました。相手をよく知らないまま結婚に向かって突っ走ってしまったのが良くなかったのだと思います」

その別れに納得してくれた両親には、「私たちもいつまでも生きているわけではないから」と結婚を勧められ続けた。ちなみに健二さんは2人兄弟の次男で、兄は結婚していて子どもがいる。持病もある末っ子の将来が心配だったに違いない。

今度は自分で結婚相談所を見つけることにした健二さん。その基準は、1人ひとりの意見と状況を尊重して丁寧に対応してくれそうなこと、だ。ネット記事などを読んで検討し、愛知県内の結婚相談所に登録した。

現在は発達障害で障害者手帳も持っている健二さん。病歴に加えて「精神障害者」であることもプロフィールに書くと、「100人に申し込んでもお見合いに応じてくれるのは1人いるかいないか」だったという。それでも今回の結婚相談所のカウンセラーは辛抱強くマッチングを続けてくれた。

健二さん自身は国籍や民族の違いにこだわりはないが、古い世代である両親は「日本人女性と結婚してほしい」が本音。しかし、婚活の厳しさに直面し、大切なのはお互いの人間性を認め合うことだと感じていた健二さんは「50歳を過ぎたので自分の好きなようにやらせてもらう」と親に伝えた。そして優しそうなマイさんにお見合いを申し込んだ。

マイさんも来日してからは苦労を重ねた。ベトナムで付き合っていた男性もいたが、自分は日本で学んで生活していきたいので別れを決意。飲食店などのアルバイトを3つかけ持ちしながら生活費と学費を稼いで日本語と化学を学んだ。

「勉強もアルバイトも忙しくて、(男性との)出会いはありませんでした」

母親から結婚へのアドバイス

愛知県内の専門商社に就職したのは34歳のとき。しかし、毎日23時過ぎまで働くような職場で、飲み会への半強制参加もあってマイさんは疲弊してしまった。

「社長のお伴でベトナム出張をしたこともあります。社長は『ベトナムの料理は口に合わない』と日本食レストランばかりに行っていました。悲しかったです」

その会社は2年で辞め、現在のメーカーに転職。残業も飲み会もない労働環境が大いに気に入っている。日本での暮らしにもすっかり慣れたマイさんは、1人で料理して1人で食べるのは寂しいと思うようになった。

結婚相談所に入ったきっかけは、ベトナムにいる母親がコロナにかかった弱った声で「あなたも結婚してほしい」と電話で口にしたことだ。相手は自分で決めていいけれど、日本人ならばとにかく優しい人を選びなさいと言われた。そして、健二さんからのお見合い申し込みがあった。

「プロフィールに病気と障害のことを正直に書いてあって誠実な人だと思いました。私は精神的に弱って仕事を辞めたことがありますが、健二さんは頑張って仕事を続けているので尊敬しています」

ただし、真剣交際から結婚に進むことには迷いがあったとマイさんは明かす。妹気質でおっちょこちょいな自分が健二さんをちゃんとサポートできるのだろうか、と。

迷いを抱えたまま、健二さんを連れてベトナムに戻り、母親に会わせた。マイさんの父親は10年前に他界していて、姉と上の弟はすでに結婚して子どもがいる。

「母は健二さんを『いい人だ!』と何度も言っていました。彼がベトナム料理を何でも美味しそうに全部食べてくれたからです。食を大切にする人はいい人、というのが母の考えです」

違いがあることを前提に、共有できる価値観を探す

マイさんは姉にも結婚のことを相談した。しかし、結婚相談所の担当カウンセラーが「自分の生活のことだから自分で決めたほうがいい」と言っていたことを思い出し、最終的には自分で決断した。健二さんと一緒になる、と。

「完璧にサポートできるかはわかりませんが、深刻になり過ぎずに気楽に生活していこうと思いました。いま、毎日が楽しいです。私が作った料理を健二さんはいつも『美味しい!』と食べてくれます。インスタグラムを見て、煮込みとか牛スキなどの日本の料理も勉強中です」

共働きの2人。家賃と光熱費は健二さんの負担だが、その他の生活費は共通の財布から出している。健二さんが確実にできる家事は食器洗いとゴミ出しぐらいだ。それに関しても当初はマイさんから指導が入った。

「洗い方が優しすぎるんです。もっと強く洗ってちゃんと汚れを落としてほしい。食器のついでにシンクもキレイにすることも覚えてほしい」


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ベトナム人男性は家事もレディファーストもできると主張するマイさん。健二さんは気が利くとはいえないが、「お願いしたことはやってくれる。ワガママではない」とマイさんは評価している。優しいけれど不器用な兄と、賢くて目端の利く妹のような組み合わせの夫婦である。

国際結婚はお互いにさまざまな違いがあることを前提としている。だからこそ、共有できる価値観を探しつつ、相手の良い面を見ようとするのだろう。それはあらゆる結婚に必要な態度だと言える。

(取材協力:結婚相談所 ビーベリー)

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(大宮 冬洋 : ライター)