2008年、パリで行われた学生との対話行事に出席したアントニオ・ネグリ氏(写真・Piaggesi/Fotogramma/ROPI via ZUMA PRESS/共同通信イメージズ)

『〈帝国〉―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』の著者の1人で、イタリアの思想家・政治活動家であるアントニオ・ネグリ氏が2023年12月に死去した。享年90。彼が同書で示した「マルチチュード」の存在は出版当時世界的な話題をよんだ。それから20年。世界はどう変わったか。日本を代表するマルクス研究者で哲学者の的場昭弘氏が解説する。

どんな思想家も、ある時代の中で生まれ、その名声を得、またある時代の中で、その名声を失う可能性がある。その運命から誰しも逃れることはない。

ちょうど20年前、ある本が話題になっていた。その本の名前は、『〈帝国〉』(2003年)である。帝国という名前が刺激的であったこと、そしてその括弧付きの帝国が、アメリカを意味していたこともあって、アメリカでよく売れ、話題になっていた。この本の作者は、イタリア人のアントニオ・ネグリとアメリカ人のマイケル・ハートであった。

フクヤマの『歴史の終わり』

1991年ソ連が崩壊し、グローバル化の時代がやってきた。世界が資本主義の単一市場になることで、世界がすべて資本主義市場に組み込まれることになった。そのころ売れた本が、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(1992年)であった。

この本の意図するところは、マルクスが主張したように共産主義社会などは実現せず、資本主義こそ歴史の終わりであり、もはやその後の歴史の発展などはなく、この資本主義こそ歴史の終わりそのものだというのである。

もちろん、このフクヤマの予想もすぐに外れ、世界は水平的なグローバル市場の時代になることはなく、冷戦が終わり、わずかなユーフォリア(幸福感)の後すぐに、中東戦争という宗教戦争が起きた。そうするとサミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』(1996年)という本を書き、フクヤマの楽観論はすぐに消えた。

そして2001年の9月11日火曜日に、突然ニューヨークのワールド・トレード・センター(WTC)の2棟の建物に、何者かがジェット旅客機を乗っ取ってそのまま体当たりして、建物が簡単に崩壊するという極めて衝撃的事件が起こった。

ユニラテラル(単独主義)といわれた、世界の〈帝国〉を自他ともに認めていたアメリカ合衆国の経済の中心、それもニューヨークの豊かさの象徴である2棟の建物への攻撃が、いとも簡単に起こったのである。

アメリカはこの攻撃をアルカイーダという組織の仕業であり、その背後にイラクがいるとにらんだ。その2年後にイラクへ侵攻し、フセイン政権を崩壊させる。

しかし、これは一国家の仕業ではなく、中東から中央アジアにいたる組織の仕業であるということがわかる。またハンチントンのいうような文明と文明の衝突でもなかった。

これまでの常識では、本格的な戦争や攻撃は国家が行うものだという固定観念があった。まさか名も知れぬ、得体の知れない小さな組織が巨大な帝国に攻撃をしかけてくるなどということは理解不能であった。

そんなとき、この『〈帝国〉』という書物が出現し、攻撃を仕掛けたのは「有象無象の民衆組織、マルチチュード」であるということを明確に示したのである。

テロ組織に関与し有罪判決

アントニオ・ネグリは、当時まで左翼の世界ではかなり知られていた人物であったが、世間一般では知られてはいなかった。

1970年代にイタリアで起こった「赤い旅団事件」(赤い旅団と称する過激派が要人誘拐など組織的にテロを起こした)に関連して逮捕され、その後フランスへ亡命し、そこでフランスの左翼思想家と交流し、いくつかの書物を書いていた。

ところが1997年に突然イタリアに帰国し、刑務所に収容されたが、そこで書かれたのがこの書物であった。

1970年代、日本においてもヨーロッパにおいても、革命運動の過激化は進む。爆弾事件や誘拐事件などが頻発していた。ネグリはそうした活動家の1人と見なされ、危険人物とされていた。

もっともネグリはフランスの大学で、スピノザとマルクスを講義していた。その成果が『マルクスを超えるマルクス』(1979年)、そして『野蛮な異常性』(1982年)だ。ネグリは、マルクスをヘーゲルからではなくスピノザから見ると主張し、スピノザから見たマルクス論を展開した。

これによって、ネグリは小さな国家に分かれ、対立と戦争を繰り返していたウェストファリア条約(1648年)的なヨーロッパ世界を批判し、世界がアメリカによる単独支配として動いている、グローバル化した対立のない世界を考える。

そこでは、もはや国家間の対立と戦争による社会の変化はなく、もし変化があるとすれば、内部対立からではなく、外部から突然隕石が落ちてくるような衝撃しかないと考える。

まさにこの外部の衝撃をつくるものがなんであるかということが問題で、それはグローバルな世界に認知された既存のプロレタリアートではなく、認知されていない、つかみどころのない人々の集団である「マルチチュード」だというのだ。

現在の世界の外にいて、認知されずうごめいているどこの国民でもない、グローバルな無国籍の集団、それがマルチチュードだというのである。この集団は、ウェストファリア条約によって生まれた個々人に分離した近代的市民ではなく、集合的共同体の中で断固として個人主義を拒否する共同体的人々である。

「マルチチュード」とは何だったか

こうした人々を具体的に思い浮かべるならば、グローバル化した世界で生まれた国家を移動する移民や亡命者の一団といえるかもしれない。

こうした人々は、グローバル世界の中で市民としての権利をもたない、先進国の片隅に生きている、行き場のない非市民として存在し、そこから受ける差別と矛盾をつねに蓄積しつつあるというのだ(詳しくは拙著『もうひとつの世界がやってくる―危機の時代に新しい可能性を見る』世界書院、2009年)。

こうした視点でグローバル化した〈帝国〉の世界を見ると、もはやそこでは市民として認知されたプロレタリアートによる革命などは存在せず、またそうした革命によって生まれた社会主義政権国家が、冷戦時代のように〈帝国〉を脅かすこともない。

世界はあたかもアメリカという〈帝国〉に支配され、安定を極める世界になったともいえる。

しかし、これを崩壊させるものがグローバル化した世界の外にいる人々の集団で、それが安定した〈帝国〉を崩壊させるというのである。こうした人々はマルチチュードとして、あちこちにいるゲリラのようにつかみがたい存在として、〈帝国〉の安寧を脅かし、いつかはそれを崩壊させるというのである。

こうした議論を展開したネグリとハートの『〈帝国〉』が、この時代よく読まれたというのは、よく理解できる。潔癖を誇ったかに見えたアメリカという〈帝国〉は、それに対抗する国家を外にもたず、また内部にも抵抗するプロレタリアートをもたないのだから、アメリカを崩壊させるような革命や戦争という可能性はまったくありえない。

しかし、足元に世界を転覆するものを〈帝国〉は日々つくりだしていたのである。それは彼らの個人主義的社会になじまない共同体的人々、市民社会から排除された人々であり、彼らをグローバル化の中、各地で少しずつ増大させていたというのだ。

それが、アメリカの9.11=同時多発テロという衝撃を生み出した一団でもあった。アルカイーダという組織は、国家でもなく、近代社会の外にいた人々の集団だったからである。

時代の変化とネグリの分析のズレ

しかし、〈帝国〉はマルチチュードによって衝撃は受けたが、崩壊へと進む原因となったのは2008年のリーマンショックだった。歴史は思想家を待たない。思想家以上に歴史はすばやく変化するのである。

2008年のリーマンショックは、アメリカという〈帝国〉、アメリカが象徴していた先進国の〈帝国〉の支配するグローバル世界を簡単に破壊してしまった。グローバル化から保護主義的世界、国家主義的世界への退行現象が起きたのである。

アメリカを中心とする〈帝国〉社会は次第に仲間割れと対立へと進み、諸国家の対立と抗争の世界に舞い戻ってしまった。そうなると世界では、〈帝国〉世界の市民とその外に住むマルチチュードとの対立という図式は当てはまらなくなり、諸国家の対立する世界に舞い戻ってしまったのである。

もはや『〈帝国〉』という書物で世界を理解することなどできなくなってしまったのだ。ここにネグリという思想家が、歴史に追い越されて、その思想が時代遅れになった原因がある。

2008年以後、まったく違った世界が出現した。それは〈帝国〉の弱体化であり、その支配の衰退である。

先進資本主義国の政治、経済、軍事が、総体的に勢いを失い、後進的地域であったアジアやアフリカに次第に政治、経済、軍事の優位が移りつつあることである。

もちろん、これもグローバル化によって生まれたことであり、アメリカという〈帝国〉支配が自ら生み出した現象である。今やロシアや中国、インド、トルコ、ブラジルなどといった国が、〈帝国〉に対する対抗勢力として抗争をしかけてきている。

このG7とBRICSとの対立は、ウクライナ戦争やイスラエルとガザの戦争として出現している。この対立を説明する原理として、ネグリの議論は残念ながら使えない。思想家は自らの時代を生き、その時代に追い越されて舞台を去る。

ネグリは、少なくとも今の現象を見ていたはずであるから、何かを書き残しているはずである。彼が時代の変化をどう見ていたのかは興味深い。しかし、歴史は思想家を容赦なく踏み越えていくものであることは忘れるべきではない。

(的場 昭弘 : 哲学者、経済学者)