ネガティブな感情も人間には必要な感情といえます(写真:ノンタン/PIXTA)

なるべくなら後悔のない人生を送りたいと思っている人は多いかもしれません。ですが、アメリカのベストセラー作家、ダニエル・ピンク氏は、「後悔の感情は人間を人間たらしめるものであり、より良い人間に成長するために活かせるものだ」と言います。後悔とどう向き合えばいいのか、ダニエル・ピンク氏の著作『THE POWER OF REGRET 振り返るからこそ、前に進める』から一部抜粋・再構成のうえ、お届けします。

人間は行動するために思考する

人間の行動をテーマにした一般向けの書籍ではほぼことごとく、ウィリアム・ジェームズという人物に言及しているように思える。ジェームズは、19世紀アメリカの博学者。ハーバード大学で教鞭を執り、史上初の心理学の教科書を執筆し、史上初の心理学の講座を担当した。心理学の開祖と位置づけられることも多い。

ジェームズが1890年に著した名著『心理学原理』の第22章では、人間に思考の能力が備わっている理由を論じている。ジェームズいわく、人がどのようにものを考えるか、さらには何を考えるかは、環境に大きく左右されるという。 

ジェームズは破壊力満点の言葉を記している。その破壊力は、今日も失われていない。「私の思考は、すべての面において私の行動のためにある」

現代の心理学者たちもこの主張を支持してきた。ただし、ある研究者は、より簡潔にこう述べている。「思考は行動のためにある」。私たちは、生き延びるために行動する。そして、行動するために思考するのである。

一方、感情はもっと複雑だ。感情には、どのような役割があるのか。とりわけ、後悔のように不快な感情は、どんな役割を担っているのか。思考が行動のためにあるとすれば、感情はなんのためにあるのか。

感情は無視すべきもの?

ひとつの考え方は、「感情は無視すべきものである」というものだ。感情はさほど重要ではなく、単に邪魔なだけで、本当に大切なことに神経を集中させる妨げにしかならない、というのである。感情を払いのけ、あるいは忘れてしまうのがいちばんだと、こうした考え方を信奉する人たちは主張する。理性に意識を集中させ、感情を無視すれば、万事うまくいくというわけだ。

しかし、残念ながら、ネガティブな感情をいわば地下室に押し込んだとしても、いずれは地下室の扉を開けて、そこに隠したものと向き合わなくてはならない日が来る。

ある心理セラピストいわく、感情にふたをすると、「心臓病や消化器系の不調、頭痛、不眠、自己免疫不全などの肉体的問題が生じかねない」という。ネガティブな感情を地中に埋めたところで、それが消えてなくなるわけではない。むしろ、その感情が増幅して染み出し、人生という土壌を汚染する。

ネガティブな感情を徹底して軽んじるのは、手堅い戦略とも言えない。そのような態度を取れば、ヴォルテールの小説『カンディード』に登場する哲学者パングロスのようになってしまう。パングロスは、立て続けに災難に見舞われても、こう言ってのける。「ありうる世界の中で最善の世界において、すべては最善である」

ネガティブな感情を最小化するためのテクニックにも意味はある。私たちには癒しが必要なときがあり、この種の手法を用いることにより、癒しが得られる場合もある。

けれども、癒しを求めることにより、誤った安心感をいだけば、厳しい現実を修正する手立てを失いかねない。その結果として、悪循環に陥り、意思決定の質が悪化し、成長が妨げられる可能性もある。

もうひとつの考え方は、「感情は感情のためにある」というものだ。この考え方によれば、感情は人間の本質にほかならない。自分がいだいている感情について語り、感情を吐き出し、感情にどっぷりつかればいい。「自分の感情をつねに信じるべし」とされる。

感情を尊重し、言ってみれば玉座に載せて崇めよ、というわけだ。真実は感情にあり。感情こそがすべてであり、それ以外のものはすべて脇役的な存在にすぎないと、この立場を取る論者は主張する。

ネガティブな感情にどっぷりつかるのは危険

ネガティブな感情、とりわけ後悔の感情に関して言えば、この考え方に沿って行動することは、現実逃避により幻想を生み出すパングロス流のアプローチに輪をかけて危険だ。

過度に後悔しすぎることには、リスクがついて回る。ときには、壊滅的なダメージが生じる場合もある。過去の経験を脳内で何度も反芻する結果、心理的幸福が著しく落ち込んだり、過去の失敗のことばかり考えて前向きの思考ができなくなったりしかねない。

過去の出来事を後悔しすぎると、さまざまなメンタルヘルス関連の問題が発生する可能性がある。とくに目につくのは抑鬱と不安だが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)が生じるケースもある。「くよくよ後悔し続ける人は、人生の満足度が低く、ネガティブな出来事への対応が難しい場合が多い」と、ある論文は指摘している。

そのような傾向は、後悔を繰り返す場合にとりわけ強まる。繰り返しの思考が後悔に拍車をかけ、後悔が繰り返しの思考に拍車をかけることにより、苦痛の悪循環が生まれかねないのだ。

反芻することを通じて思考が明晰になったり、取るべき行動がはっきりしたりする効果は期待できない。むしろ思考が混乱したり、課題に集中できなくなったりする。感情にどっぷりつかれば、私たちは言うなれば感情の反響室を築いて、そこから簡単には抜け出せなくなる。

後悔の感情に関しては、以上の2つの考え方よりも健全な考え方がある。それは「感情は思考のためにある」というものだ。この考え方によれば、私たちは感情から逃げるべきではないが、感情にどっぷりつかるべきでもない。

感情に正面から向き合うべきだとされる。重要なのは、感情を触媒にして将来の行動を変えること。思考が行動のためにあるとすれば、感情はその思考の助けになりうるのだ。

後悔の感情に正面から向き合う

このようなアプローチで後悔の感情に向き合うという発想は、ストレスに関する科学的研究成果に通じるものがある。「ストレス」というと、いかにも悪いもののように聞こえるが、今日の科学によって明らかにされつつあるように、ストレスはあらゆるケースで一様なものではない。ストレスが人にどのような影響を及ぼすか、そしてそもそもストレスとはなにかは、ひとりひとりの思考様式によって変わる。

ストレスを恒久的なもので、人の精神を激しく痛めつけるものと考えるか、それとも一時的なもので、人の能力を高めるものと考えるかによって、影響は異なる。

慢性的にあらゆる局面でストレスを感じることはきわめて有害だが、ときに一時的なストレスを感じることには、好ましい面もある。というより、それは非常に重要なことですらある。

こうした点では、後悔もストレスと似ている。たとえば、自分の人格について後悔すれば、この感情は深刻な悪影響を生みかねない。しかし、特定の局面における特定の行動について後悔するのであれば、その感情を通じて将来の行動を改められるかもしれない。

あなたが家族の誕生日をうっかり忘れていたとしよう。自分が間抜けで冷淡な人間だったことを後悔しても意味はない。家族の誕生日をスケジュール帳に記さなかったことや、日頃から家族に感謝の気持ちを伝えていなかったことを後悔するのであれば、意味がある。

多くの研究によると、過去のネガティブな経験を否定的に評価するのではなく、その経験を受け入れている人のほうがその後に好ましい成果を挙げられるという。

また、後悔を脅威ではなく、機会ととらえれば、この感情の性格を根本から変容させ、言ってみれば、鉛のように重たい毛布ではなく、鋭利な針のような機能をもたせることができる。後悔が激しい痛みをもたらしても、それがすぐに解消するのであれば、その人の問題解決能力が高まり、精神の健康も改善する。長くくすぶり続ける後悔は、その人の足を引っ張るが、一瞬の鋭い痛みをもたらす後悔は、その人を高みに押し上げるのだ。

生産的な後悔は私たちをよりよい人間にする

カギとなるのは、後悔を触媒にして好ましい連鎖反応を生み出せるかどうかだ。感情が思考にシグナルを送り、思考が行動を後押しする状況をつくることが重要なのだ。後悔はすべて、その人を苦しめる。しかし、生産的な後悔は、人を苦しめたあとで行動を促すのである。


『THE POWER OF REGRET 振り返るからこそ、前に進める』P86より

上に掲げた図は、そのプロセスをまとめたものだ。本人がどのような反応を示すかによって、結果が変わってくるという点に着目してほしい。後悔の痛みを感じたとき、人が取りうる反応は3種類ある。「感情は無視すべきものである」と判断して、それを見えない場所にしまい込んだり、軽んじたりすれば、現実が見えなくなる。「感情は感情のためにある」と考えて、それにどっぷりつかれば、絶望に襲われる。

では、「感情は思考のためにある」と考えて、思考を修正する材料にすれば? その後悔の感情は、意思決定の質を改善させ、課題に対するパフォーマンスを向上させ、人生の充実感を高めるために、有益な教訓をもたらす。

感情が思考のためにあり、思考が行動のためにあるとすれば、後悔は私たちをよりよい人間にする役割があると言えるだろう。


(ダニエル・ピンク : 経営思想家)