ラーメン業界がなかなか乗り越えられない「1000円の壁」。その中でもとくに遅れをとっていたのが、博多豚骨ラーメンでした(筆者撮影)

ラーメンの適正価格の話題が尽きない。

ここ数年メディアを賑わせているラーメン「1000円の壁」問題をはじめ、ラーメンの適正価格はいくらがふさわしいのかという話題は、1000円という価格に限らず常に議論されている気がする。

ここ1〜2年での水道光熱費や原材料の高騰を受けて、ラーメン店は「理想の価格」などとは言っていられなくなった。高級食材を使うお店やガスで豚骨を炊きっぱなしのお店など、価格高騰のあおりを受けて、今までの価格では同じクオリティを維持できないレベルにまで来ている。

都内の清湯系の名店を中心に1000円以上の価格をつけるお店が少しずつ増えてきていて、都心ではラーメン1000円が珍しくなくなってきた。

博多豚骨ラーメンが「1000円の壁」超えられない訳

その中で「1000円の壁」に後れをとっているラーメンの一つとして、「博多豚骨ラーメン」が挙げられるだろう。

日本の豚骨ラーメンは海外で最も注目されているラーメンの一つ。「博多一風堂」の世界進出をはじめとして、海外に一番広がっていて一番評価されているラーメンは豚骨ラーメンと言っていいだろう。国によっては3000円、5000円をつけているところもある。

その中で、国内の博多豚骨ラーメンはまだまだ安く、「1000円の壁」を超えるどころの話ではない。

「一蘭」の都心の店でもラーメンは980円、「博多一風堂」の都心の店の「赤丸新味」も980円となっている。驚いたところでは、高円寺の人気店「ラーメン 健太」がラーメン1杯1000円となったが、替え玉が無料となっているので、純粋な1000円オーバーとは言えない。

現地博多に食べに行くと、豚骨ラーメンはやはりまだまだ安い。かつての調査ではあるが、「ラーメン1杯に払える値段」は福岡県は全国45位とかなり低い。風土的にも博多豚骨ラーメンの値段が上がりにくかったと言えるだろう。


高田馬場の「博多ラーメン でぶちゃん」(筆者撮影)

そんな動きの中で、東京・高田馬場にある「博多ラーメン でぶちゃん」が今年12月1日から博多ラーメンを1100円に値上げした。

約2年で「690円」が12月から「1100円」に

「でぶちゃん」は都内でも人気の豚骨ラーメン店。店主の甲斐康太さんのX(旧Twitter)上での歯に衣着せぬ“ご意見番”的なポストでもおなじみだが、甲斐さんの紡ぐ豚骨ラーメンのクオリティは都内でもトップレベルだ。

筆者が初めて「でぶちゃん」を訪れたのが2021年3月。

このときは博多ラーメンが690円で、なんとランチタイムは替え玉が無料だった。これほどまでのクオリティの豚骨ラーメンがこの価格であることに驚いた記憶しかない。


2021年3月の写真。「博多ラーメン690円」、もちろん税込みでの表記だ(筆者撮影)

そこから2年半の時が流れ、同じラーメンが1100円になった。690円時代と比較すると、約60%の値上げである(もちろんこれは「博多ラーメン」の話であり、他の商品の値上がり率はそれぞれ異なる)。

店主の甲斐さんはこの約2年で何を思ったのか取材した。

「こんなに美味しいのになんで無名なの?」

まずこの約2年について、甲斐さんは次のように振り返る。

「20年以上博多ラーメンを作ってきていますが、2年前ぐらいまでは鎖国状態で他のラーメン店の方とはまったく交流をしていませんでした。

コロナ禍で、SNSを中心に少しずつ交流するようになり、見聞を広める意味でもこれからは積極的に人に会おうと思ったんです。そうしてよく言われるようになったのが『なんでこんなに美味しいラーメンを作っているのに無名なの?』ということです」(甲斐さん)


Xではすっかり「ご意見番」になっている店主の甲斐さん(写真は甲斐さんの提供)

確かに筆者も2021年当時、「でぶちゃん」のことはまったく知らず、店の前から漂う豚骨の熟成臭が気になり店に入ったのだった。

甲斐さんはもちろん自信を持って作ってきたつもりではあったが、外から評価を受けることで改めて豚骨ラーメンの素晴らしさを再認識したのであった。

「あるときフレンチの有名なシェフと出会い、美味しいラーメンを作ってるんだからもっとアピールしていかないとダメだと言われたんです。『俺のラーメンがNo.1だと言い続ければいつかそうなる日が来る』と言われ、考えが変わっていったんですよね」(甲斐さん)


20年以上の経験が生む味わいは、たしかに「絶品」だ(筆者撮影)

確かに自分のラーメンの作り方を客観的に見ると、簡単に教えられるものではない。20年以上作ってきたからこそ築き上げられた技術なのだ。

この技術は他のラーメンにないものだし、もっと誇ったほうがいい……。甲斐さんは、自分のラーメンを690円で提供するのでは価値に見合っていないと気付いたのだという。

そこで2022年6月のお店の5周年のタイミングで、博多ラーメンを850円に値上げした。

初めは高いと言われることもあったが、物価高騰の中、都内では850円の博多ラーメンは当たり前のものになっていった。

このラーメンは自分しか作れる人がいないという誇りを持ちながら、昨今のラーメンの「1000円の壁」問題の話題を見るたび、まだこのままではダメだという思いが続いていた。

インボイス制度がラーメン店の経営に影響する理由

そこでさらに甲斐さんの気持ちを変えたのが、今年10月に施行されたインボイス制度だ。

世の中が「税込み」「税別」の金額を強く意識する考え方に切り替わっていくこのタイミングで、甲斐さんは税抜きで「1000円の壁」を超えることが必要だと考えた。

通常のラーメン店で、価格は税込みで表示されていることがほとんどだ。例えばメニューに「ラーメン 850円」と書いてあって、お会計のときに「935円です」と言われたらどう感じるだろうか? こういうときは筆者でも正直一瞬戸惑う。同じく若干違和感を覚える人は多いはずだ。

消費税を払うことは当たり前のはずなのに、なぜかラーメン店だとお客側の消費税の感覚が抜けてしまう。

インボイス制度で世の中が消費税を強く意識するこのタイミングで、甲斐さんは税抜き1000円、つまり1100円で打ち出すことに決めた。


「博多ラーメン 1100円(税込み)」の文字(筆者撮影)

「1100円のラーメンでも、お店がいただけるのは1000円です。税込み1000円では『1000円の壁』を超えたとはいえない。それを業界全体に意識付けたいなと。

私が調べた限り、博多ラーメンで1100円をつけているお店はないと思います。いつかはそういう時代が来るとは思っていますが、他力本願ではなく、自分がプライスリーダーになることを決意したんです」(甲斐さん)

ラーメン業界全体への提案でもある

これは「でぶちゃん」の今後を考えての選択というだけではなく、ラーメン業界全体への提案でもある。

博多ラーメンが東京では1100円で出せる食べ物であることを証明するとともに、食材費だけではなく、職人の“技術”も価値であるということを伝えたいという思いが大きい。

「博多ラーメンは価格の面では清湯系にかなり後れをとってきました。店の雰囲気やしつらえなど、ラーメン以外の部分も大きかったと思います。
ですが、それを落ち度とは捉えず、食べてくれたお客さんがクオリティが価格に見合っているか納得してもらえればいいと考えています」(甲斐さん)


(写真は甲斐さんの提供)

博多ラーメンは原価をかけるのではなく、“技術”だけで美味しくできるため、安く提供すべきものだという思いが甲斐さんの中にもあった。だが、これからのラーメン業界の発展を考えたときに、技術に見合った価格をつけることが必要だと強く思ったのだという。

豚骨ラーメンの世界からの評価が高まり続ける一方で、「ラーメンは国民食」という意識が強いためか価格がついてこなかった歴史。それをひとつのお店の動きから変えようという思いだ。


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(井手隊長 : ラーメンライター/ミュージシャン)