親の介護と昇進・昇格のタイミングが重なったとき、あなたはどのような選択をしますか(写真:metamorworks/PIXTA)

介護をしながら働く「ビジネスケアラー」は今後ますます増えていくと予想されています。しかし現実に仕事と介護の両立には多くの時間と労力が必要で、仕事の取り組み方を見直さざるを得ない人も多いものです。

もしも親の介護と昇進のタイミングが重なったら、あなたはどのような選択をするでしょうか。酒井穣氏の著書『ビジネスケアラー 働きながら親の介護をする人たち』から一部を抜粋・編集のうえ、親の介護と仕事の向き合い方について考えてみます。

介護を理由に昇進をあきらめる人たち

介護は、基本的には、誰もが、定年までには巻き込まれるイベントになってきています。現役世代1人あたりが関わる高齢者の数が、これから、劇的としか言えない速度で増えていくからです。

介護の始まるタイミングが悪いと、中間管理職への昇進をあきらめたり、場合によっては役員のオファーを断ることになるケースもあるでしょう。あまり、表には出ませんが、そうした場面に直面した人を、私は複数人知っています。

経営者や人事は、これを問題として考えてはいます。しかし、何か本質的に有効な対策が取られているわけではありません。どんなに支援の重要性を言いたてたところで、組織のリーダーになっていくということは、その責任と報酬に見合った犠牲が強いられるのは、仕方のないことだからです。

ここ一番のトラブルで、ビジネスの現場にいられないことは、責任をまっとうできないことにもなります。そうしたことを考えると、介護が始まるタイミングによっては、どうしても受けられない昇進や昇格というのが(今はまだ)存在してしまうのです。

とはいえ、少しずつではあっても、介護をしながら働くビジネスケアラーが増えてきています。その中で、介護に対する社会全体の理解が深まっていきます。そして介護をしながら、普通に昇進や昇格をしていけるような社会になるのは、その後の話になるでしょう。

本当に先進的な企業は、正しい方向に社会を変えるために、リーダーシップをとって、こうした環境を自ら先取りできるものです。ただ、自分がそうした企業の従業員である確率は、決して高くはないと考えるべきだと思います。

現実的には、介護が始まれば、管理職への道はいったん忘れ、仕事と介護が両立できる環境の整備に集中することも検討してみる必要があります。運よく介護が安定するまでの期間が短ければ、また再び管理職を目指すことも可能になるでしょう。

ただ、そもそも先が見えないのが介護の特徴でもありますから、それほど楽観的にもなれません。

見えない未来を、自分に都合よく解釈して、それを前提にキャリア設計するのは、やはり無理があります。最悪のケースを想定するのも、ビジネスでは常に必要な態度でしょう。

「介護とは何か」伝えられる存在に

であれば、介護が相当な負担になる場合、どう介護離職を回避し、両立させていくかという具体的な戦略が求められます。

とにかく仕事だけは、なんとしても続けないと、介護も続けられなくなります。介護を理由とした退職は、よい結果にはなりません。ビジネスケアラーの道を選ぶべきです。

であれば、介護の必要があるのなら、管理職としてのキャリアではなく、むしろスペシャリストとしてのキャリアを考えていく必要もあるでしょう。

特定分野の専門家として、いざとなれば独立できるようなレベルで、特定の知識を積み上げていくことが、離職のリスクを下げます。

介護の対応で出社できないとき、細切れの時間であっても、資格の勉強などをしておきましょう。個人として、社内外の人からの信頼を得て、豊かな人脈を築いておきましょう。

そして、ここが最も重要なところですが、会社の仲間たちに、介護とは何か、伝えられる存在になっていきたいところです。

可能なら、ロールモデルとして、会社内の介護の知識(エイジング・リテラシー)を高めるために、経営者や人事部に協力できたら最高です。それによって、いつかはまた、管理職への道も開けるかもしれません。

仕事と介護の両立は、かなり大変です。ビジネスケアラーとしてうまく両立していくことは難しいことかもしれません。ただ、仕事と介護を同時にこなしているからといって、死ぬわけではありません。

仕事の専門性を高めながら、介護そのものについても学び続けていくことが、私たちが具体的にできることのすべてです。悩んでも仕方がないことなのです。

不運を嘆いても、未来は変わりません。自分でコントロールできることを、しっかりとコントロールすることで、開けてくる世界もきっとあるはずです。

ビジネスは人生のほんの一部

人工知能の世界にはフレーム問題という言葉があります。これは、人工知能は特定のフレーム(枠組み)で囲われている範囲でしか機能しないことを示したものです。

例えば人工知能は、将棋のルールを与え、勝つことを目標とさせてはじめて機能しはじめます。しかし人工知能は、計算の前提となるルールや目標を、自らの力で生み出すことはできないのです。

このフレーム問題は、何も人工知能の世界でだけ有効な概念ではありません。私たち自身も、親の介護が始まるまでは、ビジネスというフレームの中にしかいなかったのではないでしょうか。

そして人生の設計を、このフレームに沿って最適化してきたはずです。眠い目をこすって勉強をしてきたのも、似合わないリクルートスーツに身を固めたのも、すべては、このビジネスというフレームへの最適化のためでした。

親の介護は、このビジネスというフレームを、確実に無意味なものにします。長い年月をかけて最適化してきた環境も、大きく変化します。そして、過去に積み上げたことが無駄になったりもします。

しかしこのとき、私たちの内部で燃え続けていた「なんとも表現しがたい不安」の原因も明らかになるでしょう。ここで「ビジネスは、人生のほんの一部にすぎない」という当たり前の事実の認識が起こるからです。

私たちは、ただ幸せに生きたいだけなのです。そして私たちの幸せは、愛する家族が笑顔のうちに生きられることにも大きく依存しています。

そうした視点を獲得し、今一度ビジネスや介護について深く考えてみたとき、それらは(やっと)自分の幸福のために、どちらにも偏りすぎることなく最適化すべきものとして新たに立ち上がってくるのです。

介護は「重要な変化のチャンス」

ビジネスの世界で認められ、もっと偉くなりたいという価値観への過度な依存は、最も危険で、私たちから自由を奪うものです。その価値観の中では、他のすべての物事が、自分が偉くなるための手段になり下がるからです。


それは、私たちにとって最も重要な「愛」という視点を失うということと同義です。私たちにとって、偉くなることは、愛する人々と幸せに生きるための手段だったはずです。

しかしいつしかそれが目的になってはいなかったでしょうか。それこそ「なんとも表現しがたい不安」の根幹ではないでしょうか。

親の介護は、子どもの人生が親の犠牲になるという話ではなく、親が子どもに与えてくれる重要な変化のチャンスかもしれないのです。

親は自分の人生の最後の時間を使って、矮小で間違ったフレームにとらわれている自分の子どもを揺さぶり、子どもに真の自立をもたらすのだと思います。

(酒井 穣 : 株式会社リクシス 取締役副社長CSO)