フランス・マルヌ県エペルネーにあるモエ・エ・シャンドン社の地下倉庫(撮影:三宅秀道)

さまざまな消費財の分野で、日本には優れたものづくり力や、才能あるデザイナー、そして消費者の目も肥えている。そこに目を向ければ、日本からラグジュアリーブランドが輩出される要素は揃っているように見える。しかし、なぜ日本から世界的なラグジュアリーブランドは生まれないのか。

先日、コロナ危機後に、破壊と変革を繰り返し、ますます成長する世界の各ブランドの最新動向をまとめた『世界のラグジュアリーブランドはいま何をしているのか?』が邦訳出版された。

同書に関連し、日本でのラグジュアリーブランドの可能性について、ロングセラーの経営書『新しい市場のつくりかた』の著者で、日本のものづくりやラグジュアリー分野にも造詣の深い、経営学者の三宅秀道氏に論じてもらった。

ドンペリ発祥の地での体験


2018年11月に筆者は、フランスのマルヌ県・オーヴィエ村の修道院を見学させてもらった。ここはかつて、修道士ドン・ペリニヨンが世界初のスパークリングワインを生産したところだが、現在はモエヘネシー社が所有する接遇施設になっている。

ここでヴィンテージのシャンパンを試飲させてもらうと、文字どおり「官能的な美味」という言葉の意味がわかる。

筆者は美食に耽るほどの経済力を持ち合わせていないので、グルメマンガなどで、よく主人公がこの「官能的な美味」という形容を口にする場面を見て、率直に反感を抱いていた。何が官能的だ、語彙が少ないから適当なことを言いやがって、と思っていたが、あの表現は、実はリアルな裏づけがあった。

専門家が最高の状態で提供してくれるヴィンテージの芳香を鼻から吸うと、そのかぐわしさが鼻腔の奥からそのまま眼の後ろのあたりに伝わって、そこで何かむずがゆい快感が脳内に本当に広がったのである。性的能力が衰えた老人が、代わりに美食に快感を求めるという理由が実際に身体でよくわかった。

なぜシャンパンタワーにドンペリが選ばれるのか

そのときに飲んだのと同じヴィンテージのシャンパンが、歌舞伎町のホストクラブでシャンパンタワーなどに使われると、それこそ1棟(?)で何百万円にもなるという。

筆者はホストクラブに勤めた経験も、客として訪問した経験もまだないので、映像で見るだけだが、考えるまでもなく、こんな乱暴な注ぎ方と飲み方では、せっかくの芳香成分を嗅ぐどころではない。そもそも注ぐ以前の保管状態も良いとは思えない。

つまり、このタワーに使われるときのドン・ペリニヨン(ドンペリ)は、「こんな高いシャンパンをホストのために注文できる自分は超太客である」というメッセージを目撃者に伝えるための記号として購買されたということである。

このとき注意すべきは、ヴィンテージのドンペリが高価な記号として成り立つためには、仮にビンの中身の味がまったく同じであっても、名前がドンペリであり、しかも、その名前が消費される界隈でよく知られていないと成り立たない、ということである。

シャンパーニュ地方にはたくさんの葡萄畑があって、熟練した農家と醸造技師たちが腕を競って優れたシャンパンをつくっている。気候風土がほぼ同じ地域で、まさかドン・ペリニヨンだけがまったく独自の美味を実現できているはずはない。

年ごとの出来不出来も考えれば、日本ではさほど知られていなくても、ドン・ペリニヨンに遜色ない味のシャンパンが他にないと考えるのは不自然である。

しかし仮に、ドン・ペリニヨンとほぼ同じ味のシャンパンの銘柄が他にあったとしても、それがどれだけ官能的な美味であっても、シャンパンタワーには使いにくい。タワーに注がれるビンに書いてある名前を見て、「あの高価なシャンパンをこんな贅沢な飲み方で使っちゃうなんて!」というショックを目撃者に与えることができないからである。

ラグジュアリーの世界はソーシャルゲーム的

ラグジュアリーの世界は、このような美と記号の2つの現象がセットになってこそ成り立つ。ところが得てして日本社会でラグジュアリーをつくったり論じたりしようとする人たちは、どちらか片方だけで解釈しようとしたがる。説明に一貫性を持たせようとして表面的な話にしてしまう。

ちゃんとラグジュアリーブランドを構築していこうとするなら、そんな浅薄な把握でよいはずがない。ラグジュアリーは、優れた天稟と感性に恵まれたディレッタントと、自己愛に塗れた露悪的な俗物の共犯関係があって成り立つものである。

しかも人数でいえば、圧倒的多数は俗物役を演じるほうである。真ん中にいるディレッタントのつくる美が、ちょうど雪原を転がる石が雪を巻き込んで大きな雪玉になっていくように、「課金厨」的俗物たちの自己愛に包まれて大きなまとまりになっていく。ラグジュアリーの世界はそんなソーシャルゲームである。

この両面の視点からでしかラグジュアリー論は始まりえないと筆者は思っているが、先に論じたように、日本で真面目にものづくりに勤しむ職人と経営者の善男善女たちは、「真面目にいいものをつくっていれば、いつの日か世間が見つけてくれる」というイメージから、なかなか脱却することができない。

しかし、その「至誠天に通ず」的ラグジュアリー観のままでヨーロッパのステータスシンボル化に成功したラグジュアリーブランドを見ると、勘違いしてしまうのである。

自分たちの置かれている境遇とは隔絶した世界を全部、「真面目なものづくりが評価された結果のステータス」と見積もってしまう。実際には、日欧間で商品本体の品質、技巧にはそこまでの違いはなく、それを記号としてシンボライズする手法の巧拙の違いの反映であるのに、そのことをうまく認知できない。

そうすると、ものづくりに携わってきた自分たちでさえ識別できない神業のような微妙な技巧、品質の違いがモノそのものにあるように解釈して、萎縮してしまう。あるいは、その微妙な細部の差異を求めて、過剰品質に陥ってしまう。

むしろ、それに回す資源は、自社商品の広報、イメージ普及に使うほうがバランスがよい投資となるのに、モノでばかり勝負しようとしてしまう。

やさぐれたブランド観の問題

「至誠通天」の裏返しにすぎないのが、「ラグジュアリーは、しょせん記号だ」という、マーケティング専門家のかなりやさぐれたブランド観である。こちらはこちらで、記号としての商品の意味づけにばかり重点を置き、モノそのものの技巧、品質をおろそかにしてしまう。

すでに世評が高まったヨーロッパのラグジュアリーブランドの日本法人の経営者には、自分の任期中に「過去の定番商品のデザインを丸めて買いやすく身近にした廉価版」を店頭に並べて、ロゴばかり大きく表示して売ろうとする場合がある。

一時はステータスシンボルに憧れる消費者に受けて売り上げが伸びるが、ブームの後に残るのは通俗的に安っぽくなったブランドイメージである。元来そのブランドの美を評価して愛用していたコアなファンは、幻滅して去ってしまう。

ところが、当の経営者は、その頃には同業他社に転職して、また同じことをやろうとしている。いわば「ブランド焼き畑農業」である。

反対に製造現場の側は、ラグジュアリーを買う人の心の中の虚栄心をちゃんと見据えない。自分だって消費者としては、「これを買い身につける自分が社会的にどう見られるか」とか、記号としての商品の意味を気にすることもあるくせに、生産者としてはその実感を放念してしまう、「かまととラグジュアリー論」である。

流通現場の側は、ラグジュアリーの技巧と品質に立ち入る気もなく、消費者の自己愛と虚栄心ですべてを説明しようとするあまり、短期的視野の施策しか打つことができなくなる(しかも、それを合理的だと自認する)。

結果として、自分から移ろいやすい記号の印象操作に巻き込まれていき、長期的信任を疎かにし、コモディティに近づいていくことになる。いわば「やさぐれラグジュアリー論」である。

日欧のクラフト評価の違い

「かまとと」と「やさぐれ」が併存して統合されないまま、どちらも偏頗になってしまう、日本でのラグジュアリーブランド議論は、なぜこうなってしまうのか。筆者はその原因を、近代化の過程で一度、日本でクラフト、手仕事のものづくりの地位が下落してしまったことにあると思っている。

LVMH本社のスタッフの人々と交流して実感したことだが、彼らの社会では、熟練技巧を持つ職人が手仕事でつくりあげるクラフトは、量産品よりも優れているという確信をずっと持ち続けてきている。

ところが日本では、和装の世界が最もわかりやすいが、手仕事、クラフトに対していったん、「古めかしい和風のデザインが多い冠婚葬祭向けの特殊ニッチ商品」というイメージがついてしまった。

伝統文化とつながって衣食住を支える生活消費財の分野が、「工業化に乗り遅れがちな在来産業」と見なされると、それと近代以後の洋風ファッションへの憧れが相まって、ますます辺鄙な「時代物」としてのニッチに甘んじることが当たり前になる。

冷静に自らのつくる商品の価値の成り立ちを考えることが難しくなってしまうのである。

ところがヨーロッパは、さすがラグジュアリーを扱う年季が違う。この『世界のラグジュアリーブランドはいま何をしているのか?』を読むと、四方八方から手を替え品を替え、さまざまな視点でラグジュアリーを論じていて、まことに勉強になる。

そして、むしろヨーロッパでラグジュアリーのビジネスに携わる専門家のほうが、日本の持つ熟練人材、洗練された素材技術、目の肥えた消費者の層の厚みといった環境の潜在能力を高く評価し、ポテンシャルに期待するところが大きいようである。

日本のクラフトが見落としていること

LVMHの本社スタッフと対話していたときに、「三宅さん、なんで日本のクラフトはレトロなデザインばかりをつくりたがるんですか?」と不思議そうに聞かれて、こちらはあっと驚いた。

言われてみれば日本のクラフト、手仕事の成果物は、デザインをつい古めかしく考えることが無意識の先入観になっている。

ところが、ヨーロッパのクラフトは、あくまで生産手法の問題であって、それが伝統的であるからといって、意匠まで伝統的にする必然性などなにかあるはずもない。ないのだが、その先入観に拘束されていること自体、日本からだけラグジュアリーを見ていると見落としがちである。

しかし日欧、特に日仏間でラグジュアリーという現象を比較してみると、実にいろいろな気づきがある。たとえば、近代化以後150年も西洋由来の生活文化を咀嚼してきて、いよいよ日本の作り手たちは、それを自家薬籠中の物として洗練させえたように思われる。

それなら世界に打って出てよい時期だが、そのときはまず、自分たちのラグジュアリー観が、かつては対西洋コンプレックスを引きずっていた歴史を見直して、それを相対化することも有効だろう。

日本人のラグジュアリー観が「かまとと的」になった背景には、自分の劣等感を直視したくない心理があったと考えることが最も自然な解釈だろうと筆者は思う。

しかし、記号としてのラグジュアリーの価値もちゃんと認めないと、市場価格を高めることもできず、それでは結局、真面目な職人の手間に十分な報酬で報いることもできない。ラグジュアリーは美と記号の二刀流で考えてこそ、サステナブルなビジネスたりうるのである。

地元で愛される必要なんてない

そしてまた、日本発のラグジュアリーブランドを作り上げようとするなら、それは輸入ブランドを代替するような存在になると思わないほうがよい。成金の自己愛消費の対象として存在感を増すラグジュアリーブランドというのは、もともと希少感やエキゾチシズムを消費者に感じさせてなんぼである。

そんな商品が、それに手を出せない人から疎まれないわけもない。ラグジュアリーブランドがどんなにイメージアップにカッコをつけても、地元からは必ず「あそこも昔は普通の店だった」とかツッコむ声が聞かれるものだ。

日本で人気のあのブランドだって、地元の人からは必ずしも好かれていない。周囲の誰も敵に回したくないなら、ラグジュアリー商売には手を出さないほうがよい。日本でラグジュアリーブランドをつくりたいのなら、地元民に嫌われても、海外の消費者に好かれればよいと割り切るべきである。

幸い、アジア新興国の経済成長は、その追い風となる。あの地域の消費者からは日本の消費文化は適度にエキゾチックで、しかも、もともとの美意識が共鳴しやすい、絶妙な文化的距離にあると筆者は思っている。

ラグジュアリーブランドが持てはやされる背景には、世界史的なパワーの移動という現象がある。経済的には盛りを過ぎてもそれまでの文化的成熟が、洗練された消費文化として磨かれている国が一方にあり、他方には急速な経済成長で膨大な購買力を手にしても、それにどのようなライフスタイルがふさわしいのか、まだ自信を持てない新興国がある。

これは、同一国内の高所得者層と庶民大衆の間のライフスタイルとは次元が違う非対称性であり、後発新興国の高所得消費者は、とにかくロゴを見て成熟国の文化財を買って買って買いまくる時期を必ず経る。

1920年代のアメリカで、まさにギャツビーが豪邸でパーティをしたような金ピカ時代がそれであり、日本はバブル期がそれにあたる。

これからがラグジュアリー展開の好機

そして、いよいよ日本は、自国で成熟した文化財を売る側に回る時が来たのである。ここでどうやって後発新興国の消費者たちに高く文化を売りつけるか。その手本は、やはりヨーロッパに求めるべきだろう。「唐様で売り家を高く売る三代目の時代」である。


しかも、ラグジュアリーの世界では、顕示的消費の意義を、消費者の財力の誇示という古典的な目的のみならず、たとえば環境問題に関心が深いこと、マイノリティに同情的であること、などの「道徳的資質」を誇示する現代的な目的も併せて達成しようとする野心的な傾向が近年、顕著になってきている。

この動きを見ても、ラグジュアリー市場は、これからさまざまな産業分野が巻き込まれていく変化の震源地として、注目せざるをえないフィールドである。

こうした視点から見ても、大きな可能性がラグジュアリーの世界には潜在している。だからこそ、日本の側も今こそちゃんと、ラグジュアリーの世界を見つめ直し、理論も学び、その可能性を活かすべきだろう。

(三宅 秀道 : 経営学者、専修大学経営学部准教授)