究極の集中力「ゾーン」に入る方法をご紹介(写真:NOV/PIXTA)

「ボールが止まって見えた」「考えるより先に体が反応して動けた」――。

スポーツ界では、「ゾーンに入った」という言葉で説明されることが多い現象ですが、私たちも実は多くの「ゾーン」に近い体験をしていることに、あなたは気づいていますでしょうか。

長年スポーツドクターとしても活躍し、自律神経の研究をしてきた順天堂大学医学部教授・小林弘幸氏の著書『自律神経の名医が教える集中力スイッチ』より、一部引用・再編集して、究極の集中力「ゾーン」に入る方法を紹介します。

「ボールが止まって見えた」打撃の神様

スポーツ選手から「ゾーンに入った」という言葉を耳にすることが最近増えています。

ゾーンとは、究極の集中力を発揮している短期集中力の理想形です。

最近ではサッカー日本代表の冨安健洋選手が、ABEMA「スポーツタイム」の番組インタビューで、歴史的快勝をおさめたドイツ戦での素晴らしい活躍を振り返り、「おそらくゾーンに入っていた」ということを語られていました。

古くから知られているゾーンのエピソードと言えば、プロ野球の選手で“打撃の神様”と呼ばれた川上哲治さんの「ボールが止まって見えた」ではないでしょうか。

川上さんは極度のスランプに陥ったとき、練習場で打ち込みの特訓をしていました。悩みを忘れて、無我夢中でボールを打ち返しているうちに、ボールが止まって見える感覚を得ました。

その集中力はすさまじく、気づくと時間がものすごくたっており、ヘトヘトになった打撃投手の「もう勘弁してください」の言葉でようやく我に返ったと言います。

この特訓後に川上さんはスランプを脱し、翌年にはその後35年間にわたって破られないセ・リーグの打撃記録を樹立します。

打撃の神様とは比べものにならない話ですが、じつは私にも中学野球で似たような体験があります。

私は中学2年生のときに地区大会の最終回、ランナー3塁で、私に打順が回ってきました。でも、マウンドに立っているのは、有名高校からスカウトが来ているような好投手。最初は「四球を選ぼう」と考えました。

ところが、いいピッチャーだったのでストライクしか投げてくれません。仕方なく打ちに行くのですが、球威があるので全部ファールになってしまいます。

でも、7球くらいファールで粘っていると、だんだんとタイミングがあってきました。次の球をピッチャーが投げた瞬間、「あ、これはヒットになる」となぜか私は確信しました。バットを振りぬいたら、予感どおりにセンター前。チームはサヨナラ勝ちをおさめることができました。

もう50年も前の出来事ですが、あのときのボールの軌道も、打った感触も、今でもはっきりと覚えています。

当時は「ゾーン」という言葉は知りませんでしたが、ヒットを打った一球は、相手の呼吸と自分の呼吸が一致しているのがわかりました。私が自律神経の研究を始めた原点は、この体験にあると思っています。

普通の中学生だった私が体験しているくらいですから、ゾーンは特別な人だけのものではありません。

「あきらめの境地」に至ると自律神経は究極に安定する

人がゾーンに入れるのは、自律神経が究極の安定状態になっているときです。自律神経が安定をしているので血流は良くなり感覚も鋭くなる――だからいつも以上の力を発揮できるのです。

ゾーンに入るために重要なのが「あきらめる」ことです。

目の前のことをあきらめるというネガティブな意味ではなく、目の前にあること以外のすべてを「あきらめて(忘れて)」集中するのです。

ボールが止まって見えた川上さんは、スランプに陥っている現状を忘れて、球を打ち返すことだけに集中したため、ゾーンを会得できたのだと考えられます。

かくいう私も、四球で出ることをあきらめて、投げられた球を打ち返すことだけに集中したから、ゾーンに入ることができたのでしょう。

実際の生活に置き換えてゾーンについて考えてみましょう。

たとえば、どうやっても間に合わないような量の仕事を振られることがあると思います。

大量の仕事を目の前にすると、

「締め切りに間に合わなかったらどうしよう」「量をこなせても質がともなわないだろうか」「家に帰れるかな……。家族に迷惑をかけるかもしれない」

こんな負の感情が浮かんできます。

こういった悩みや迷いを抱えたままでは、ゾーンに入ることはできません。悩みや迷いは自律神経を乱れさせるからです。

まずは「目の前の仕事をこなすだけ」と開き直ることが大切です。

コツコツと仕事を進めているうちに、時間も周囲の雑音も悩みもまったく気にならなくなる「ゾーン状態」になるでしょう。そうなったら驚異のスピードで仕事が進んでいくはずです。

ですが、一方で目の前のことに集中していくことが難しいと思う人もいるでしょう。あきらめることが大切だということをいくら理解していても、実際その通りに行動できるのかは別問題です。

そんなときには、アスリートも取り入れているアイテム、「ガム」を活用するのが手です。

スポーツ選手最高の契約を結んだドジャース・大谷翔平選手も、エンゼルス時代に長時間にわたる試合を、ガムを活用しながら乗り切っていました

大谷選手だけでなく、試合中に顔の映像がアップで流れるアスリートがガムを噛んでいるシーンを、皆さんも見かけたことがあるのではないでしょうか。

私の所属する順天堂大学の医学部とスポーツ健康科学部では、2020年度から、千葉ロッテマリーンズの選手たちが年間を通してパフォーマンスを発揮できるための環境づくりに協力をしています。

その取り組みのなかでも「噛むこと」はストレスの緩和や自律神経への影響など、体全体によい影響を与えることがわかっています。

選手たちはガムを噛むことで、試合に深く集中するためのメンタルを構築していったり、極度のプレッシャーや不安を、ガムを噛む行為に意識を向けることで、精神の安定に役立てているのです。

アメリカ・セント・ローレンス大学の心理学者チームが、大学生を対象に、ガムを噛んでから、あるいは噛まずに複数の認知テストを行った場合にどういった違いがでるのか、実験を行いました。

結果は、ガムを噛んだ学生の方がテストで高いパフォーマンスを残しました。

これはガムを噛んだことで、脳の血流がよくなり、咀嚼のリズムによって自律神経系の副交感神経が高まったため、自律神経が安定し、深く集中することができたといえるでしょう。

現在では一般のガムよりも硬さがあり、噛むことに注力したスポーツ専用のガムも発売されています。

こういったアイテムをスポーツの世界だけでなく、ビジネスシーンなどにも取り入れていくことで、私たちもゾーンに入りやすい状態を作っていくことができるはずです。

ゆっくりと呼吸して自律神経を整える

もうひとつ、大きな効果があるのが「ゆっくりと呼吸をする」ことです。


不安や、その反対に気合が入った状態だと、交感神経と心拍数が上がってしまい、自然と呼吸は浅く激しいものになっていきます。脳に酸素も行き渡りにくくなるので、集中とはほど遠い状態になってしまいます。

そんなときに、ゆっくりと深呼吸をすれば、副交感神経が優位になり、心拍数は下がっていきます

ただし、ただ深呼吸をすればいいということではありません。ポイントは「鼻から息を3〜4秒吸い、口から6〜8秒吐く」ワンツー呼吸法を行ってください。

この呼吸法は、ヨガや禅などの修行にも取り入れられています。呼吸が自律神経を整え、高い集中状態を作ってくれることを、自律神経といった概念のない時代から先人は経験則として知っていたのでしょう。

ワンツー呼吸法は次のように行ってください。


(『自律神経の名医が教える集中力スイッチ』より)

これで副交感神経が優位になり、自律神経のアンバランスさは解消されていきます。

先にすすめたガムとも併用しながら、高い集中力とその先にある「ゾーン」状態を呼び込めるように、この呼吸法も試してみてください。

(小林 弘幸 : 順天堂大学医学部教授。日本体育協会公認スポーツドクター)