今回の買収を「チャレンジ」と述べた日本製鉄の橋本英二社長。写真は2022年12月の会見時(撮影:梅谷秀司)

「新たな時代におけるグローバルネットワークを構築し、わが国日本の成長力を取り戻す。そのためにチャレンジをいたすことにした」

国内鉄鋼最大手の日本製鉄は12月18日夜、アメリカの老舗、USスチールを約2兆円で買収すると発表した。翌19日の会見で橋本英二社長は、日本製鉄として過去最大となる買収の意義を力を込めて語った。

100年以上の歴史と国名を冠する名門同士

USスチールは1901年、銀行家のJPモルガンや鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーがかかわる製鉄会社が合併して誕生した、アメリカ産業史を代表する企業。1960年代までは世界最大の鉄鋼会社でもあった。

その後、日本を初めとするアジアメーカーに抜かれて凋落。2022年の粗鋼生産量は世界27位(世界鉄鋼協会)。アメリカの鉄鋼メーカーではニューコア、クリーブランド・クリフス(以下、クリフス)に次ぐ3位である。

一方、日本製鉄の前身である官営八幡製鐵所が操業を開始したのも1901年。ともに100年以上の伝統を持ち、国の名前を冠する企業同士の統合となる。

もっとも19日の株式市場は「ひとまず下げ」の反応だった。

日本製鉄の株価は前日比4.3%の下落で始まり、終値も同2.8%下げた。これにはいくつかの懸念があるからだ。

第1に高値づかみの懸念。

日本製鉄の買収案はUSスチール1株当たり55ドル。発表前の株価39.33ドルに40%のプレミアムを付けた。アメリカ企業の買収で40%のプレミアムはさほど高くはない。

だがUSスチールは、今年8月に身売りを含めた「戦略的選択肢」を検討していると公表。直後、クリフスによる買収提案が公開されたことで株価は上昇した。8月以前の株価は20〜30ドルだったこと、クリフスの提案は1兆円前後だったとされることを考えると、プレミアムはかなりのものだ。

第2が買収に伴う財務への影響。

2兆円の買収資金は、国内の主要取引銀行から融資の確約を受けており、いったんは借入金で対応する。このことでDEレシオ(負債資本倍率)は0.5から0.9まで上昇する。

0.9という水準は一般に安全圏とされるが、今後、「経営・財務状況、市場動向などを勘案しながら、必要に応じて、資本構成を評価し最適な資金調達手段を検討する」としており、株式市場が嫌う増資の可能性が残る。

労働組合が非難の声明

第3がUSスチールが抱える問題。

USスチールは名門ながら業績は長く低迷していた。2021年以降は黒字を保つが、その前の10年のうち7年は最終赤字だ。名門ゆえに高コスト体質で労働組合の経営への関与も強い。

実際、全米鉄鋼労働組合(USW)は労働協約を盾にクリフスによるUSスチール買収を後押ししていた。クリフスの買収提案を拒否したのはUSスチール側だったが、USWは日本製鉄による買収を非難する声明を即座に出した。


全米鉄鋼労働組合(USW)の出した日本製鉄による買収を非難する声明。「失望したと言っても過言ではない」「献身的な労働者の懸念を脇に押しやり、外資系企業に売却することを選んだ」など感情的な言葉が並ぶ(画像はUSWのウェブサイト)

記者は8月下旬、日本製鉄の森高弘副社長に、USスチールが売りに出ていることについて見解を尋ねている。森副社長は「買わない」と答えた。水面下で進む買収案件についてメディアに正直に語るはずもないだろう。とはいえ、このときに挙げた買わない理由の中には「組合」もあった。

ただ、こうした懸念は百も承知。そのうえで日本製鉄として過去最大となる2兆円の買収に踏み切ったのは必然性がある。

日本製鉄は、長年の課題だった国内の余剰生産能力を削減、国内大口顧客との「ひも付き価格」の是正や高付加価値化に取り組むことで業績は大幅に改善。2019年度、2020年度の最終赤字から足元では評価損益などを除く実力ベースの事業利益率が2桁パーセント目前になった。

一方、国内生産とほぼ同義の単独粗鋼生産は、2014年度の4823万トンから直近見通しで3500万トンへと縮小してしまった。この先も国内の鉄鋼需要は減少していくとみられており、数量の本格的な反転は期待できない。価格もおよそ適正水準となり、高付加価値化を進めるにしても国内の鉄鋼事業で大きな利益成長は見込めない。

こうした背景から近年、日本製鉄はグローバルでの粗鋼生産能力1億トンの確保を将来ビジョンとして掲げ、海外での成長投資を強化してきた。

2019年には欧州アルセロール・ミタルとの合弁でインド5位の鉄鋼大手を7700億円で買収。2社の合弁会社は2022年にインドに約1兆円の追加投資を敢行し、生産能力や港湾設備を増強している。この年にはタイで電炉メーカーを日本製鉄単独で買収した。このほかミタルとのアメリカ合弁会社で電炉建設にも動いている。

これらによって粗鋼生産能力は足元で6600万トンに達し、USスチールの買収が完了すれば8600万トンになる。さらにインドでの増強、追加の計画まで勘案すれば1億トンを完全に射程圏にとらえている。

規模だけを拡大したところで利益につながるとは限らないが、鉄鋼業は「数量×付加価値」のビジネス。規模の経済が働くことも事実だ。

成長市場を取り込むには生産能力が必要

力を入れる市場は明確だ。インドは中国に次ぐ世界第2位の市場だが、人口当たり鋼材使用量は日本の約5分の1と成長余力が大きい。日系自動車メーカーの牙城であるタイは、自動車用の高級鋼板の需要が伸びる。

アメリカの需要は先進国で最大となる年間約1億トンあるのに対し、同国内の粗鋼生産量は8000万トン台。トランプ前大統領の時代に鋼材輸入に関税をかけたことでタイトな需給が続く。熱延鋼板を巻き取った「ホットコイル」は、中国経済の落ち込みからアジア市場はトン当たり600ドル台と低迷する中、アメリカ市場では1100ドルをつける。

人口増加も続くうえ、EVシフトを受けて日本製鉄が得意とする電磁鋼板など高付加価値鋼材の需要の伸びが期待できる。こうしたアメリカ市場の成長を享受するには生産能力が必要だ。

「外国の民間企業がグリーンフィールド(草が生えた土地から=イチから)で作るのは難しい。そこに今回の案件が出てきて条件に合った」。橋本社長はそう語る。

USスチールはアメリカ国内だけで高炉を8基(うち2基は休止中)、電炉を3基持っており、さらに2基の電炉を建設中。鋼板や鋼管に加工する下工程の設備も保有している。供給基地としては申し分ない。


アメリカ国内におけるUSスチールの生産能力には期待できる(写真:USスチール)

加えて自社鉱山で鉄鉱石を100%自給できる点も魅力だ。日本製鉄はこの11月にカナダの鋼材会社へ2000億円、20%出資を決めた。良質な資源権益を囲い込むことは収益安定に加え、脱炭素をにらんでも重要だからだ。

USスチールが2019年に買収した電炉メーカー、ビッグリバースチールの存在も大きい。スクラップや鉄鉱石を天然ガスで還元した「還元鉄」から鉄鋼製品を作る電炉はCO2(二酸化炭素)の排出量が高炉に比べて圧倒的に少ないという利点がある。

反面、電炉では自動車用の高級鋼を作るのが難しいとされる。そうした中、ビッグリバーは「無方向性電磁鋼板」のラインを今年10月に稼働させた。EVで使われる高効率モーターに不可欠な無方向性電磁鋼板では世界で先行する日本製鉄でさえ、電炉での生産は昨年から始めたばかり。

実際、8月に森副社長はUSスチールの魅力としてビッグリバーの存在を挙げていた。ビッグリバーと日本製鉄の技術・設備の相互活用はUSスチール買収のわかりやすいシナジーになるはずだ。

買収の狙いについて橋本社長は、「世界の潮流は新しい経済安全保障。その中でどのように地球規模のニーズに応えるか」とも述べている。

経済安保が重視される時代、アメリカ市場に中国から輸入鋼材が野放図になだれ込むことはない。需給バランスの大崩れがなければ、過去のようにUSスチールが赤字にまみれることはなく、プレミアムを払っても十分にペイするという計算がある。

もちろんリスクは残る。わかりやすいのはUSWの存在だ。ただ、「USスチールが労働組合との間で提携している労働協約を含む……あらゆる約束を守り、引き続き信頼関係の構築に努める」と、日本製鉄はコメントしている。管理可能なリスクと見ているのだろう。

リスクもあるが実入りもある世界へ

むしろ最大の課題は日本製鉄自身の経営力のはずだ。

日本製鉄がこれまでに海外で行った大型投資のほとんどはパートナーと組んだものだった。ただ最近のインド合弁は40%出資ながら経営上は対等。さらにタイの買収は単独で行うなど、少しずつ取るリスクを増やしてきた。

「昔は、海外事業はまずリスクをどう減らすかだった。持ち分を減らして利益が少なくなってリスクを減らす。そうではなく、これからはリスクもあるが実入りもある世界に入っていく」。1カ月ほど前の取材で森副社長はこんなことを言っていた。

しかし、USスチールは規模も歴史も異なる。「国の経済、産業を支えてきた。メンタリティも含めて近く、最適なパートナーと感じている」(森副社長)というが、アメリカを背負った伝統とプライドをコントロールできるかはやってみないとわからない。

社名どおり、本質的にはドメスティックで来た日本製鉄がグローバル企業として飛躍できるか。この買収がその分岐点になることは間違いない。

(山田 雄大 : 東洋経済 コラムニスト)