山形・酒田市での訪問販売の様子(写真:筆者撮影)

店舗拡大を進める一方で、出店する各地域で「コミュニティ・マネジャー」を設け、地元と交流しながら「個店経営」を進めている無印良品。過去2回は、大手スーパーが去った地方の跡地や、町おこしで作ったにもかかわらず、テナントが埋まらないビルでの無印良品の取り組みをみてきた(「無印良品」あえて過疎地で大型店を出した意味、無印が過疎地のビルで「3フロア借り上げた」結果)。

今回は、正式な店舗もないのに訪問販売を始めた山形・酒田市における無印の活動を紹介する。

【2023年12月22日05時41分追記】初出時の一部表現を修正しました。

銀座の店舗から山形へ

山形県八幡町は、2005年に酒田市と合併になった日本で最も高齢化の進む地域の1つだ。2020年の人口は5500人で、2023年には5255人になっている。少子化や若者の流出も続き、高齢化率が43%を超えている。

酒田市には東北公益文科大学がある。山形県の14の市町村が協力して設置した公設民営の大学で、地方の課題を自分たちの手で解決を目指す若者を育てるのが目的だ。酒田市東北部にある日向地区のコミセンのメンバーが中心となり、皆が交流できるカフェを作ろうと活動。学生も積極的に加わった。そして、2017年に酒田市職員が良品計画本社を訪れた。

その後、社内公募で選ばれた無印の若手が日向に集結。地域のリーダーたちと合宿を行い、何ができるのか現地で計画を練った。

メンバーの中に若い松本菜乃花がいた。それまで無印良品の銀座店で働いていたが、都心の大型店舗から、酒田に移住する決意で山間地区の移動販売を提案。熱意は報われ、行政の人とも協力し、日向における地域活性化に向けて動き出した。

2020年6月、ようやく移動販売のルートができ、2023年10月には週に4日、日替わりでルートを変え軽トラで訪問している。何度か経路を見直し、今では買い物をする場所に困っている人々の大切な集いになるまでになった。

酒田市の中町は、かつて地域一の繁華街として栄えていたが、次第にシャッターを閉めたままの店が増えた。移動販売を始めて8カ月後の2021年2月、閑散とした商店街の一画に、一時的な無印良品のポップアップショップも開店した。

移動販売を求めて次々とやってくる人々

この年の7月、筆者も移動販売の様子を見に行った。この日は、東北公益文科大学を卒業し地域の復興を手伝う若い酒井惣一朗が移動販売を行っていた。 出発前に市内の豆腐屋さんに仕入れに行く。豆腐とあげは絶品で、中山間地区の方は楽しみにしているそうだ。

いよいよ出発の時間になる。いつの間にか小さなキャンピングカーのような軽トラと、白い乗用車も待機していた。両方ともNTT東日本関連で軽トラには訪問看護師も同乗。乗用車は宮城から来た女性社員の運転だ。

まずは下黒川地区の駐車場に出向くが、あいにくの雨で集まる人は少ない。しばらくすると、日焼けしたおじいさんが、何かをまとめ買いしている。手にしているのはかかとを直角に編んだ定番商品「足なり直角靴下」だ。「これ、評判いいんだ。みんなに配るんだ」。そう言って嬉しそうに代金を渡す。

続いては、花をたくさん育てている農家の前。買い物がてらに、ご近所さん同士で談話を楽しむ場所だ。


(写真:筆者撮影)

この日に同伴した宮城のNTTの女性は、農業のIT化に取り組もうとしていた。だが、どの農村に、どのような作物があり、何が課題かわからない。また、機器を設置しても、各農家を訪問して定期的にメンテナンスをしなくてはいけない。どの順番でどこを回ればよいかルート作りをするのは容易ではないという。

幸い酒田では無印良品が週に4回、異なる地域を訪問するルートを開拓している。各停留所には定期的に人々が集まる。このような活動に便乗して、農家のIT化を進めることはできないか、NTTでは検討をしているという。

誰かが何かを始めると、自然と人のつながりができるものだ。松本が地道に築いた訪問販売のルートは、中山間地域の生活のプラットホームになるかもしれない。無印良品の軽トラと共に、訪問看護や農業支援のIT技術者が定期的に村々を訪れる日も来るのだろうか。

1人暮らしのおばあさんの家も回る

雨が強まってきた。酒井は、停留所に泊まるたびに、丁寧に荷台の屋根にたまる雨をふきとる。一番の高台にある停留所に止まった。ここは山奥の一軒家で、おばあさんが1人暮らしだ。周りに集落はないので、実質はこの家だけのために停車する。

酒井は車を止めてしばらく待つ。10分経っても何も起こらない。
「こんにちは」
戸は開いており、土間が見える。
「ああ、ムジの日じゃね」
裏の畑から、おばあさんが歩いてきた。どうやら訪問販売のことを忘れていたようだ。迷わず、無印のエビせんを山ほどかごに入れた。1人でこんなに食べられるのだろうか。

「孫が、よろこぶから」
おばあさんには娘さんがいて、月に一度ほど様子を見に来るそうだ。その時に、お孫さんも連れて来る。山形では手に入りにくい、このエビせんを目当てに一緒について来るという。

「また来週、待ってる」
我々が後にした民家の前で、ずっと手を振っていた。

最終目的地に着いた。無印の音楽を聞いて常連の家族が集まる。母親らしき人は食材を確認している。子供たちは飲み物とお菓子を見ている。そこに遅れて高校生くらいの女子も現れた。

雨も上がり、のどかな農村地帯に、ちょっとした憩いの場ができる。お客さんたちが立ち去った後に、われわれも休息することにした。

「あのジュースを飲んでいた男の子が、この村の最後の小学生なんです」と、酒井が話してくれた。地域の小学校はすでに統合され、離れた学校にバスで通学している。中学校は、もっと遠い。彼が成長すると、もう村に子供はいなくなるのだろうか。

今日の売り上げを聞いてみた。このような雨の日はあまり売り上げあも上がらない。見ると、豆腐とあげが数切れずつ残っている。出発前に、何度も注文を確認していたはずなのに。「お年寄りの中には注文したのを忘れる人もいて。今日は雨だから停留所に来なかったんだと思います」。

もちろん豆腐屋への返品は利かないだろう。「これは僕が買って今晩のおかずにします。豆腐が大好きなんですよ」。酒井は、そう言って笑う。

買い物困難者の「インフラ」になる

ビジネスは、効率化を重視するものかもしれない。投資を抑え、最大の利益を上げることを目標とする。私の近所のユニクロは、とても繁盛している。多い日は従業員1人あたり、1日に50万円以上の売り上げもあるそうだ。

さて、今回の酒田市日向の訪問販売は、どうだろう。人や車を手配し、1日回っても売り上げはあまり見込めない。また、今後のお客さんの急増も望めない。

松本は、これから酒田での取り組みを説明してくれた。まずは、買い物が困難な人の必要としている商品を調べ届ける。そして、見守りの役割もまかなえるようにしたい。なんとか地域の人と協力し、商いを通じて少しでも人口を増やしたい。2023年10月には鶴岡市や庄内町まで距離を伸ばした。

無印良品が作った訪問販売のルートは、もう地元の生活の一部だ。これから、健康維持活動やIT農業も加わるプラットホームになるかもしれない。

しかし、良品計画は株式会社である。現在の経営の主流は、短期的にも利益を追求し、株価を上げ還元を求められる。これまで紹介した、無印良品の地方再生のケースは、現代の経営手法と矛盾しないのだろうか。

無印良品会長の金井政明がこんな話をしてくれたことがある。

無印良品が展開する「MUJI HOTEL」が順調に回り始めたとき、新型コロナ下で業績がよくない大手ホテルグループが提携を申し込んできた。うまくいけば、無印のホテルを一気に全国展開できる絶好の機会だ。 

ある東北の自治体が、無印に宿泊施設の進出を求めてきた。早速、提携予定のホテルグループと共同進出を協議することにした。だが、ホテルグループによると、この案件は縛りが多く、地方の業者や団体を使わなければならない、これでは、あまり儲からないという報告を受けた。

これに対して、「地元と協力するのは結構なことじゃないですか。地方が潤わないような事業はしません」と金井は告げた。結局、このホテルグループとの提携の話は、すべてなくなったが、これは無印良品の地方進出に対する姿勢をよく示している。

良品計画は、2030年には日本の津々浦々に、さらに1000店舗作ることを予定している。人が減り市場の大きくない地方は、各地で風土や歴史、成り立ちが異なる。そこに向かう無印良品の若手たちは、それぞれにふさわしい個店経営ができるのだろうか。簡単ではないだろうが、地方への「入り方」はこれまで紹介してきたとおり、方法がないわけではない。

小売業が半分になったとき、生き残るのは

バブル経済に浮かれる日本に「そぎ落とした美しさ」で時代のアンチテーゼとして登場した無印良品。そのコンセプトやデザイン性は人々を惹きつけ、1989年設立の良品計画はわずか10年で営業収益は約4倍に、営業利益は55倍近くになる。ところが、当時のセゾングループに共通のクリエイティブの追求に走りすぎ経営は迷走してしまった。

だがその後、松井忠三元会長が店舗オペレーションの効率化と、発注・在庫管理・コスト削減による利益の出るビジネスモデルの確立し、財務状況は好転。松崎元副会長が海外戦略のビジネスモデルを作り上げ、グローバルでも稼げるようになった。また、値下げによって店舗あたりの来客数が増えたと同時に、地方の消費者にとっても手に取りやすいブランドとなり、土着が可能になった。

目下、堂前社長は地方における密着化と、地元スーパーに離接する店舗のさらなる拡大に取り組んでいる。これを可能にしているのは、各地方のコミュニティ・マネジャーを中心とした「個店経営」だ。3回にわたり紹介した、土着化の取り組みのように、少しずつ地域に溶け込み、なくてはならない存在になることを狙っている。
 
金井はこう話す。「これから日本の人口は6000万人に減ります。小売業は今の半分がなくなります。その時に、生き残っているのは、どんなお店でしょうか」。

(中谷 安男 : 法政大学経済学部教授、国際ビジネスコミュニケーション学会理事)