神奈川県小田原市にひとりで住んでいた山本多江さん、100歳。ツアーナースの付き添いのもと、弟や姪の住む岩手県へと移動し、県内にある民間の介護施設へと入居した。(写真はケアミックス提供)

ツアーナース(旅行看護師)と呼ばれる看護師たちの存在をご存じでしょうか?

「最期の旅行を楽しみたい」「病気の母を、近くに呼び寄せたい」など、さまざまな依頼を受け、旅行や移動に付き添うのがその仕事です。

連載第2回は、神奈川県でひとり暮らしをする100歳の女性の、姪や弟が暮らす岩手県への移動に付き添ったエピソードをお送りします(本記事は「日本ツアーナースセンター」の協力を得て制作しています)。

自宅で一人暮らしをする100歳の女性の生活

今年100歳を迎える山本多江さん(仮名)は、6月まで神奈川県相模原市の自宅で一人暮らしをしていた。年齢相応の物忘れもあるが、ご近所との交流もあり、公的な介護サービスを受けることなく、生活することができていた。

ただ、足腰はかなり弱っており、毎日買い物に行くのはつらい。ここ数年は、お弁当の宅配サービスを利用する生活だった。


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お弁当の宅配サービスは、ただ弁当を届けるだけではない。呼び鈴を鳴らし、利用者に玄関口まで出てきてもらって言葉を交わす。これも配達員の大切な役目なのである。

お弁当を手渡し、利用者の顔を見て話すことで、相手の健康状態や暮らしの様子などをチェックする。配達員は日々の見守りの役割も負っているのだ。

その日もいつもと変わらない水曜日だった。居間でお茶を飲んでいる時、「お弁当です」玄関口から配達員の声が聞こえた。もうそんな時間かと、多江さんはテーブルに手をついて立ち上がった。

玄関では、顔見知りの配達員がお弁当をぶらさげて待っていた。

「こんにちは、今日はブリの照り焼きです」

「毎日ありがとう」

「何か御用はありませんか」

そんな言葉を交わしているうちに昨日回覧板が来ていたことを思い出した。

「そうだ、回覧板、お隣に持って行ってくれる?」

「いいですよ」

「いつもごめんなさいね」

台所に置いてある回覧板を取りに行こうと振り返った時、多江さんは上り框に足先を引っ掛けて転んでしまった。

「大丈夫ですか」

慌てた様子の配達員に抱えられるように助け起こされた。立ち上がって2〜3歩、歩いてみた。うん、なんでもないみたい。多江さんは、そのまま自分で歩いて台所から回覧板を持ってきた。

診断結果は「大腿骨頸部骨折」

異変を感じたのは翌日だった。訪ねてきたご近所の茶飲み友達に「歩き方、変じゃない」と指摘されたのだ。

「そうかしらね」

「うん、どう見ても変よ、左足を引きずってる」

言われてみると足の付け根に違和感がある。すぐに地域の民生委員に連絡を取り、自宅まで来てもらった。確かに歩き方がおかしい。とりあえず病院に連れていきたいのだが、長く歩かせるのは危険だ。民生委員はその場で救急車を呼ぶことにした。

病院で診察を受けた結果、多江さんは左足の大腿骨頸部骨折と診断された。骨盤と足の骨の接続部分が骨折していたのである。手術が必要なケガだ。多江さんはそのまま緊急入院となった。

担当の医師は次のように説明したという。

「高齢になると痛みを感じる機能も衰えます。骨折してすぐは大きな違和感はなかったのかもしれませんが、このまま放っておくと、もっと大変なことになっていたと思います」

ご近所ネットワークがうまく機能したおかげで、多江さんは大事に至る前に入院できたようだ。ただ、これで万事解決したわけではない。多江さんの骨折事案はある意味、ここからが本番なのである。

山本多江さんは、関東大震災が起こった1923年(大正12年)生まれの100歳だ。下に2人の弟がいる、3人兄妹の長女として育った。生涯結婚することはなく、20代で行政書士の資格を取得し、長く相模原市に暮らした。

2つ年下の長男・山本健介さん(仮名)は現在も存命だが、その下の弟は10年前に亡くなった。

6月に多江さんが入院し、諸々の手続きを手伝ったのは遠く離れた岩手県に住む、弟の健介さんと、その娘、松本恵子(仮名)さんだった。

松本さんは入院までの経緯を次のように語る。

「一人暮らしをしてはいるものの、叔母(多江さん)は100歳ですから、年相応に弱っていたのだと思います。数年前に自宅の近所で警察官に保護されたこともありました」

買い物に出かけた先で、多江さんは車道に大きくはみ出して歩いているところをパトロール中の警察官に保護されたのだという。

「それ以来、私が叔母の自宅近所の民生委員の方とちょくちょく連絡をとるようになりました。“一人暮らしはそろそろ難しいんじゃない”と、言われていた矢先に、今回の骨折事故が起きたのです」(松本さん)

高齢者の骨折は認知機能の低下にもつながる

高齢になってくると、足腰の筋力が衰え、ちょっとした段差につまずいて転ぶことが増える。膝から上の大腿骨には、腰の骨との結合部分に細くなっている場所(頸部)がある。転んで尻もちをついたときなどに、ここを骨折することが少なくない。加齢のために骨粗鬆症気味の人などは要注意だ。

多江さんは手術後、3カ月を病院で過ごした。大腿骨頸部骨折は骨が折れたということだけでは済まない。歩けないままの状態が続けばベッドで寝ている時間が増え、床ずれ(褥瘡)などの問題も出てくる。リハビリや関節マッサージなどを行わなければ、関節が固まってしまう関節拘縮や、認知機能にも影響を与える。

もちろん病院でのリハビリは行われたが、退院する時、多江さんは自分で歩くことはできなくなっていた。骨折する前のように、自宅で一人暮らしは難しい。

姪の松本恵子さんは次のように語る。

「叔母(多江さん)は神奈川県に住んでいて、私と父(多江さんの弟)は岩手県に住んでいます。叔母の自宅復帰は難しく、かといって神奈川県の施設に入ってもらったのではお見舞いなど、なにかと不便です。父と相談した結果、思い切ってこちら(岩手県)に来てもらうことにしました」

とはいえ、車いすを使う高齢者の長距離移動は、素人の松本さんには荷が重い。病院のソーシャルワーカーと相談して、退院後の準備を整えていった。

「岩手県の施設探しは98歳の父がやりました。父にとっては子供の頃から可愛がってもらったお姉さんですから、かなり真剣に探してくれたようです」(松本さん)

その結果、リハビリに力を入れる民間の介護施設を押さえることができた。

退院後は介護保険サービスの利用が必須だ。そのため、相模原の病院では多江さんの要介護認定の手続きが進められた。3カ月の入院生活で、身体機能はもとより、認知機能もかなり低下していた。多江さんは「要介護4」と判定された。

その手続きと同時に行われたのが、神奈川県の相模原市から岩手県までの、距離にして約530キロもの長距離移動を助ける、ツアーナースの手配だった。

「病院のソーシャルワーカーさんがほうぼうに問い合わせてくれて、『日本ツアーナースセンター』を探してくれたんです」(松本さん)

ツアーナースの付き添いで岩手を目指す

病院のソーシャルワーカーを通して日本ツアーナースセンターの細山理恵看護師に搬送付き添いの依頼が来たのは2023年の9月上旬だった。細山看護師は次のように話す。

「山本多江さんはご高齢だけど、ずっと一人暮らしで、病院にもあまりかかっていないようでした。だから、かつてどんな病気をされたなどの既往歴がわからない。それでも手術の結果や予後、入院中の生活の細かなことについては病院側からそれらを記したサマリーを受け取るので、旅の行程の計画は事前に作ることができます」

神奈川県で長く暮らした多江さんは、弟の山本健介さんと姪の松本恵子さんが暮らす岩手県に縁はない。

初めての土地、初めての施設。100歳にして初めてのことばかりで、不安も大きい。ただ、施設での生活は日本全国どこにいても、大きな違いはない。生活が始まってみれば、不安も解消されるかもしれない。


岩手に向かうツアーナースの細山理恵さんと多江さん(写真はケアミックス提供)

細山看護師は、まずは不安のない旅(搬送)を実現させるべく、ツアーの当日に臨んだ。

朝の7時半に病院に到着し、初対面の多江さんに挨拶をする。

「多江さんの使う車いすはレンタルで、岩手県の施設に到着した後に、送り返してもらうことにしました。相模原の病院から新横浜駅まではタクシーです。1人で歩くことが難しいので、車いすからの移乗を手伝います」(細山看護師)

途中、高速道路の集中工事による渋滞に巻き込まれるなどしたものの、列車の出発時間には間に合った。新横浜から東京駅に向かい、10時36分発の新幹線で一路岩手県を目指した。  

本心は自宅のある相模原に暮らしたかった

岩手の施設に行くことは、姪の松本さんから聞いてはいるものの、多江さんは心の底では納得できていないようだった。本音では相模原の自宅に帰りたいと思っている様子だ。病院のソーシャルワーカーからは、岩手に行くことを口止めされていたほどだ。細山看護師は、多江さんの気持ちを別のところに向かせるように工夫した。

「窓から見える景色を指さして、お天気がよくて青空がきれいですねとか、花が咲いてて素敵ですねなど、そんなお話をしながらの旅でした」(細山看護師)

食べ物を飲み込む機能が少し低下していた多江さんのために、昼食は細山看護師が用意したゼリー食を少しだけ、世間話に花を咲かせながら、楽しい時間を過ごした。

そして13時32分。岩手県の北上駅に到着。そこから再びタクシーに乗り継ぎ、20分ほどで施設に到着した。

施設で暮らし始めた後の様子は


岩手県の施設に到着した多江さん(写真はケアミックス提供)

出迎えた松本恵子さんはこう語る。

「ずっと自宅のある相模原に帰りたいって言っていたのですが、こちらまでの旅が快適だったらしく、到着当日はすごくご機嫌でした。弟である私の父とも久しぶりに会えて、それも心強かったのだろうと思います」

今年100歳を迎えた多江さんは、その後リハビリにも励み、現在では平行棒につかまって歩けるほどに回復しているという。

「今でも時々相模原のことを口にしますが、近くに住んでいる分、私や父がちょくちょくお見舞いに行けるようになり、叔母も今の施設を気に入ってくれているようです」(松本さん)

多江さんのように、身寄りの少ない高齢者は今後もっと増えるだろう。病院から介護施設への搬送など、ツアーナースの活躍の場も、同時に増えてくるはずだ。

旅の安心を担うナースたちの姿をこれからも追っていきたい。(編集:國友公司)

(末並 俊司 : ライター)