(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

年の瀬に、にわかに拡大した自民党の裏金問題は、長年政治改革を論じた者にリクルート事件など30年以上前の疑獄事件を思い出させ、既視感を抱かせる。たしかに、自民党の腐敗体質は変わっていないようである。しかし、政治とカネのかかわり方自体には大きな変化がある。

リクルート事件、佐川急便事件の場合、有力政治家にわたったカネは賄賂やヤミ献金であり、そもそも汚れたものであった。他方、今回の疑惑では、カネの出所は1枚2万円のパーティ券を売り捌いて作った、一応合法的なカネである。

同じ腐敗でも、今回の事件は、疑獄事件というような性質ではなく、何とも「ショボイ」印象を持つ。政治資金規正法が強化されたことに対応して、カネの入りはある程度透明化された。それだけ改革の成果は上がっているといえる。

問題は、政治の世界では依然として支持者へのサービスや選挙対策、さらには党内で仲間との関係を強化するために、足跡のつかないソフトマネーが必要とされており、そのために政治資金収支報告書に載せない裏金が作られていたという現実である。内閣の場合、官房機密費という便利なソフトマネーがあるが、同様のカネは派閥や個々の政治家にも必要だったということであろう。

政治改革30年で起きた大変動

今回の事件が日本政治に与える衝撃を理解するためには、政治改革が始まった1990年前後からの30年余りの間に、政治に限らず日本の経済や社会で起きた大きな変動という文脈に位置づける必要がある。

かつての政治学では、民俗学や文化人類学を応用した政治文化論が盛んで、西洋起源の民主主義という建前と日本的な慣行との乖離や共存について、神島二郎や京極純一といった学者が説明を試みた。明治維新と敗戦によって政治制度の洋式化が進んだが、日本人はそれを独自な仕方で摂取した。

日本の政治、あるいは広く組織を動かすのは、イエとムラの原理だと京極は言った。イエ原理とは、家長の下で他のメンバーは服従するヒエラルヒー的秩序である。国家をイエ原理で運営すれば、官尊民卑が生まれ、組織では親分−子分関係が生まれる。

ムラ原理とは、組織のメンバーを画一主義や同調主義で拘束する秩序である。これらを基にして、経済の世界では日本的経営や企業主義が形成され、政治の世界では派閥や後援会が形成された。そして、戦後の高度成長期には日本的システムが政党、官僚組織、企業の各分野において機能を発揮した。

しかし、1990年代以降のグローバル化や情報革命の中で、洋式のルール(グローバル・スタンダード)が適用されるようになり、日本的システムは改革の対象となった。変化の過程では、従来のムラ秩序の中の「常識」や「慣行」が、洋式のルールを当てはめると犯罪になるという軋轢が起こることは避けられない。

先に変わったのは経済界であった。1990年代には、大銀行が反社会的勢力に利益を供与していたことが露見し、自殺者が出る騒ぎとなった。以後、コンプライアンスはかなり進んだ。

経済をコントロールしていた官僚組織にもその変化は波及した。今や、接待や談合はほぼなくなったと思われる。企業は競争にさらされ、生き残っていかなければならないので、ルールの変化には適応する。

日本的システムの温存が続いていた

政治の世界では、1990年前後の大疑獄事件の衝撃で制度改革が行われ、昔のような汚職は影をひそめた。しかし、政党や政治家はグローバルな競争にさらされることはないので、タテマエの陰での日本的システムの温存も続いた。今回の裏金事件は、洋式のルールと日本的システムの乖離が、ようやく政治の世界でも露見した事件と性格づけることができる。

残された問題は、ルールとホンネの二重構造が、なぜ安倍派(清和政策研究会)でかくも大規模になったのかということである。このやり口は森喜朗会長の時代に始まったという週刊誌報道もある。それにしても、栄華を極めた安倍晋三首相のもとで集金も還元も大規模になったことは疑いない。

第2次安倍政権は、史上最長を記録したが、桜を見る会や森友学園問題のように、権力の私物化やルール違反が指摘され、決して清廉潔白ではなかった。さまざまな疑惑を隠蔽できたのは、首相の権力が肥大化し、チェック機能がマヒしたためであった。

アメリカの政治学者が書いた『民主主義の死に方』という本の中に、民主的に選ばれた為政者が暴走しないために、法律という硬いガードレールと並んで柔らかいガードレールが必要だという議論がある。それは、為政者が、明示的に禁止されていなくても公平な審判者に対しては権力行使を差し控える自制心を持つという慣習のことである。

安倍首相は、検察庁法改正の試み、メディアへの威圧など、柔らかいガードレールを壊したことで、権力を持続した。公文書改竄や国会での虚偽答弁など、あらゆる手段によって権力乱用を隠蔽し、それが派閥全体の順法意識を低下させた。今ようやくその違法行為が摘発された。

ルールとホンネの二重構造は崩壊へ

これから自民党はどうなるのか。中期的に見れば、政治の世界でもルールとホンネの二重構造は崩壊するであろう。政治資金の流れに関するキャッシュレス化などの改革は不可避である。金の流れが細くなれば、派閥は求心力を失う。本来であれば、野党が政権交代を起こし、改革を進めることが理想である。

しかし、当面そのような気配はない。政治に人々の常識を取り戻すという喫緊の課題にどう取り組むか。30年前に若手改革派として躍動していた石破茂、岡田克也、岩屋毅、野田佳彦といったベテランが、政治家人生最後の務めとして、党派を超えて、議員立法で改革に取り組む、あるいは改革を実現する暫定政権をつくるという動きを起こすことを祈る。

彼らの同時代人として政治を論じてきた私自身と同じく、彼らもこのままでは死んでも死にきれないと思っているはずである。

(山口 二郎 : 法政大学教授)