ひらがなの50音の文字盤を使って意思を伝達する「ファイン・チャット」。多くの重度障害者にコミュニケーション手段を取り戻した(記者撮影)

病気や事故で脳に重い障害を負い、寝たきりで意識もないとされる状態を「遷延性(せんえんせい)意識障害」と呼ぶ。差別用語に当たるとして、用いられる頻度は減ったが、かつては「植物状態」とも表現されていた。

実は医師にそう診断された患者の中にも、自力で表出できないだけで、意識がハッキリしている人が存在する。また、本人に意識があったとしても、体を動かせず、他者に思いを伝えるすべを持たない状態を「閉じ込め症候群」という。

大阪府茨木市のベンチャー企業アクセスエールは、そんな境遇に置かれた人たちがコミュニケーション手段を取り戻すために用いる意思伝達装置「ファイン・チャット」 の製造と販売を手掛ける。

社長の松尾光晴さん(58)はパナソニックでこの装置を開発、事業化にも携わってきた。だが、2019年にパナソニックが装置の生産を終了したことを機に独立。意思疎通ができなくなった重度障害者に、機械を通じて言葉を取り戻してもらいたいーー。この事業に人生を懸ける背景には、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)で亡くした父親の無念があった。

スイッチ一つで言葉を紡げる

アクセスエールが製造するファイン・チャットの仕組みは、とてもシンプルだ。

ひらがな50音の記された文字盤が、音声ガイドと共に「あかさたな」の順に点滅する。任意の行が来た時にタイミング良くスイッチを押すと、次は「かきくけこ」というように、また順番に点滅する。

入力したい文字のタイミングで改めてスイッチを押すと、装置の画面上にその字が表示される。この繰り返しで言葉を紡いでいく。指先や頬、まぶたなど、体のどこかがほんのわずかでも動けば、症状に合わせた形状や強度のスイッチを選定し、取り付けることで、誰でも簡単に操作できる。

価格は1台40万円。自治体によって所得制限はあるものの、購入者が市町村の審査を受け、身体機能を代替する「補装具」と認められれば、約9割は公費負担となる。

ファイン・チャットの原型となったのは、かつてパナソニックが販売していた「レッツ・チャット」という装置だ。基本的な機能はほぼ同じで、旧松下電器産業の社員だった松尾社長が2003年、社内ベンチャーを立ち上げて開発した。


アクセスエールの松尾社長。パナソニック時代を含めて1000人以上の患者を支援してきた(記者撮影)

構造がシンプルな分、フリーズなどのトラブルは皆無。扱いやすさから高齢者や子供にも喜ばれ、多くの重度障害者に意思疎通の手段を取り戻してきた。松尾社長は業務の傍ら、全国の患者宅を飛び回り、装置の導入に奔走。これまでに支援したのは、会社員時代を含めて計1000人を超える。

その中には、医師に「意識は一生戻らない」と宣告され、回復のためのリハビリを打ち切られていた人もいる。「死ぬまで病院の中」と言われていたのに、装置を用いてコミュニケーションが取れることを証明し、退院につなげたケースもある。

もう一度「ありがとう」と言えるように

松尾社長はこう語る。「気持ちを他者へ伝えられるというのは、人間として生きるうえで最低限の尊厳です。意思伝達装置では、病気や障害は治せません。ただ、家族や友人にもう一度『ありがとう』と言えるようにできれば、本人も周囲も気持ちの面で楽になるのではないでしょうか」。

もともとはエアコンなどの家電を開発するエンジニアだった松尾社長。転機となったのは1998年。父親の棟吉さんがALSで亡くなったのだ。67歳だった。

ALSは全身の筋肉が徐々にやせ衰え、体が動かなくなっていく難病だ。根本的な治療法や薬はまだ存在しない。棟吉さんは1992年に発症し、やがて寝たきりとなった。

実家から車で1時間ほどの距離に住んでいた松尾社長はある日、母親に電話で「今すぐ帰ってきて」と呼ばれた。急いで向かうと、棟吉さんが廊下で倒れていた。母親が体に寄りかからせてトイレまで連れて行こうとして転倒し、ベッドまで戻せなくなっていたのだ。

棟吉さんは起き上がれず、ただ静かに泣いていた。教育熱心で厳しかったという父親が、初めて見せた弱さだった。「自分で何もできないって、本当につらいのだなと知りました。きっと言いたいことがたくさんあったと思います」(松尾社長)。

それも満足にはかなわない。声を出しにくくなり、意思疎通が徐々に難しくなったからだ。亡くなる直前も、必死に口を動かそうとしていたが、かろうじて聞き取れたのは「かあちゃんを頼む」の一言だけだった。

この時の悔しさを胸に、意思伝達装置の開発と普及活動にのめり込んだ。

患者の家族の声に押されて起業

ただ、大量に数が出る製品ではなく、収支は赤字が続いた。2010年にパナソニックの社内ベンチャーは解散。ユーザーや支援者から「商品を残してほしい」と約10万筆の署名が集まり、社会的な意義を認められて別のグループ企業で事業は続いたものの、2019年7月に改めて生産終了となった。

すると、またしても患者の家族たちから「今使っている機械が壊れたら、もう子供と話せなくなってしまう」といった声が殺到。松尾社長はそれに後押しされる形で退社し、2020年2月にアクセスエールを立ち上げた。

最初の2年は無給で働き、製品の開発資金は退職金とクラウドファンディングで集めて賄った。パナソニック時代から装置の価格を倍以上に引き上げ、さらにスイッチやリモコンなど周辺機器の商品化、ボランティアで実施していた訪問での患者支援の有償化などを実施したことで、会社の運営は軌道に乗っている。


クラウドファンディングには1000万円を超える支援が寄せられた。この装置を必要としている人々の思いが込められている(写真:松尾光晴社長)

患者が装置を使えるか否かは、入力スイッチを適合できるかで決まる。1発でうまくいく人もいれば、数年単位で練習が必要なケースもある。今年10月に松尾社長が訪問した菊池蒼磨さん(23)=兵庫県加古川市=は、後者のパターンだ。

中学1年の冬に交通事故で脳挫傷を負い、遷延性意識障害と診断された。ところが、実際には意識があることが判明。排泄の際にまばたきで合図を送ることに、母親の佳奈子さん(52)が気づいたのだ。7年ほど前には、左手の親指付近をピクッと動かせることがわかった。

「もう一度、息子と話したい」。そう考えて松尾社長を頼った。以来、蒼磨さんは約5年にわたり、スイッチを操れるようになるための地道なリハビリに取り組んでいる。


菊池蒼磨さんの左手親指にスイッチを巻き付ける松尾社長。約2時間にわたってスイッチを押すトレーニングが行われた(記者撮影)

松尾社長はこの日、蒼磨さんの手をさすって筋肉をほぐし、左手親指に板状のスイッチを巻き付けた。約25グラムの圧力で押せる軽いタイプで、コードで練習用のブザー付きライトをつないだ。

「押してみて」。松尾社長の合図に合わせ、蒼磨さんがグッと力を込める。ブーッとけたたましい音が室内に響き、止まらない。指をうまくスイッチから離せないのだ。取り付ける位置を調整しながら、何度も繰り返す。蒼磨さんはハーッ、ハーッと苦しそうに口で息をしながら、それでもやめようとはしない。トレーニングは約2時間にわたり続いた。

「会話」を取り戻し、社長になる

「頑張れよ。人生、このままで終わるわけにいかないもんな」。松尾社長の励ましに応えるかのように途中、何度かうまく押せる場面も見られた。「良い感じ!」と佳奈子さんも歓声を上げる。蒼磨さんも誇らしげな表情だ。親子が会話を取り戻す日は、きっと近いだろう。


佳奈子さんと蒼磨さんが親子の会話を取り戻す日は遠くないはずだ(記者撮影)

佳奈子さんはこう語る。「事故に遭った過去はもう受け入れるしかありません。ただ、納得のいく生涯を送ってもらいたい。松尾さんと出会い、希望が見えて息子は前向きになりました。本人にはこの道しかないので、進むだけです。でも装置が使えるようになって、『おかん、うざい』とばかり言われたらどうしよう、という心配はあります(笑)」。

佳奈子さんによると、蒼磨さんの夢は経営学を学び、社長になることだという。「それなら、ウチの会社を継いでや」。松尾社長は穏やかなまなざしで、ベッドに横たわる青年へ微笑みかけた。

(石川 陽一 : 東洋経済 記者)