2023年9月、インドネシアで行われたASEAN首脳会議に出席した岸田文雄首相夫妻。隣はインドネシアのジョコ・ウィド大統領夫妻(写真・ロイター=共同)

日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)が1973年に友好協力関係を結んでから今年で50年になる。これを記念して12月17日、ミャンマーをのぞく加盟9カ国のトップを東京に招いて特別首脳会議が催される。

2023年9月に双方の関係を「包括的戦略的パートナーシップ」に格上げしたことを受け、今回の会議では次の50年へ向けて経済協力や安全保障協力のさらなる深化について話し合い、「人的交流」「経済・社会の共創」「平和と安定」を3本柱とする共同ビジョン声明を発表する。

しかしながら首脳が集うセレモニー以上の具体的な成果を示すことができるのか、日本人やASEANの人々の関心を引き付けることができるか、甚だ心もとない。

今や昔、日本の経済プレゼンス

日本はアジア太平洋戦争後、東南アジアの経済成長に密接にかかわってきた。1951年のサンフランシスコ講和条約締結を受けて、フィリピン、ベトナム、ビルマ(ミャンマー)、インドネシアの4カ国に戦時賠償を支払った。

その後の日本の経済発展からすれば少額であり、日本に還流する役務賠償も多かったことなどから、日本政府は政府開発援助(ODA)の源流となる支援を始めた。

ODAは20世紀中、約4割が東南アジアに振り向けられた。21世紀に入り、シンガポールなどが被援助国から卒業し、比率は徐々に下がっているものの、最重点地域であることに変わりはなく、近年も約2割を維持している。

1985年、ドル高是正のためにアメリカ・ニューヨークに集まった5カ国蔵相によるプラザ合意をきっかけに日本企業の多くが製造現場を海外に移転させた。受け皿となったアジア各国は「東アジアの奇跡」と呼ばれる成長を果たした。

1997年、タイ・バーツの急落に端を発したアジア通貨危機の反省から日本が主導して通貨スワップ協定「チェンマイイニシアティブ」が結ばれた。

長年にわたり投資、企業進出、援助などで東南アジアとの関係を深めてきた日本だが、この半世紀で経済的な存在感は大きく低下した。ASEANからみれば、絶対的な経済力を誇った巨人から相対的な存在に、数ある外国勢力のOne of Themになった。

世界銀行のデータによると、日本の国内総生産(GDP)は1973年、アメリカに次ぐ世界2位の4320億ドルだった。

これに対して、1967年の発足時にインドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシアの5カ国で構成されていたASEANは1973年の時点で計約465億ドル、ほぼ10分の1の経済規模に過ぎなかった。

2022年、日本のGDPは4.23兆ドルになった。2010年に中国に抜かれ、2023年にドイツに抜かれて4位に転落する見込みだ。一方、ASEAN結成メンバー5カ国の2022年のGDP合計は約3兆ドル、10カ国すべてでは約3.6兆ドル。日本の8割ほどとなり、2030年までには日本を追い抜くとみられる。

ASEANは人口6.7億人で世界の8.5%、GDPは3.6%。輸出は8%を占め日本の2倍以上だ。1人当たりのGDPではすでに日本はシンガポールやブルネイに抜かれている。

各国の首都や大都市を歩いていると、日本の経済的影響力が低下する一方で、中国や韓国の存在感が増していることを実感する。

現実に追いつかない日本人の認識

ベトナムの複数の超高層ビルは韓国資本、カンボジアやラオスの政府関係施設やスタジアムは中国の援助、マニラの目抜き通りには「Korean Town」のサインボードが軒を連ねる。巨大な看板にはK-popスターが起用され、観光地で聞こえるのは中国語か韓国語だ。

日本勢はインフラ整備や自動車などの製造業でこそ一定の存在感を示しているが、中国の援助で高速鉄道の開業にこぎつけたインドネシアや韓国・サムスン電子が経済の浮沈を握るベトナムなどを例に挙げるまでもなく、プレゼンスの相対的な低下は否定のしようがない。

かつての経済強国ニッポンはこの地域でいま、年金生活になってもなお条件の良い援助を気前よく与えてくれる「足長おじさん」的な存在と言えば言いすぎだろうか。ODAが日本の経済活動やプレゼンスにどれほど結びついているか、中韓の台頭をみるにつけ、検証の必要性を私は感じている。

シンガポールはもちろん、バンコクやジャカルタ、マニラのモールで外食をすれば、円安もあって、たいていは日本より高くつく。かつては日本人の旅行先だったこの地域の人々にとって、最近の日本は手頃な旅行先となり、訪問者数は逆転する勢いだ。

ところが東南アジアを近年訪れたことのない日本人の多くはいまだに「後進国」のイメージにとらわれているようにみえる。この認識のギャップが相互理解を阻む大きな壁になっていると感じる。

今回の特別首脳会議を前に東南アジアを歴訪した岸田文雄首相は2023年11月4日、フィリピン国会で演説した。

冒頭、1977年に福田赳夫首相(当時)がマニラで表明した「福田ドクトリン」(東南アジア外交3原則)に言及し、対等なパートナーとして「心と心のふれ合う」信頼関係構築をめざすとしたドクトリンの精神を引き継ぐことがわれわれの責任だと強調した。

続いて日本政府が現在打ち出している「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」を紹介し、「自由」と「法の支配」を守り抜くと宣言した。

FOIPの4つの柱のうち「『海』から『空』へ広がる安全保障」にからめて、日本がフィリピン沿岸警備隊に12隻の船舶を供与し、日本企業が2023年10月、フィリピン軍に警戒管制レーダーを納入したことに触れた。

ODAとは別枠で新たに創設した政府安全保障能力強化支援(OSA)による最初の協力案件として、フィリピン軍への沿岸監視レーダー供与を決めたこと、両国関係を「準同盟」に格上げする日比部隊間協力円滑化協定(RAA)の交渉を正式に始めることも明らかにした。

南シナ海の領有権問題をめぐり中国と対峙するフィリピン向けということもあり、演説の重点は安全保障面に置かれていた。一方、演説の冒頭と締めに引用された福田ドクトリンの第1の原則が「平和に徹し軍事大国にはならない」であることには触れなかった。

安全保障協力に前のめりだが

1960年から1970年代にかけて日本はベトナム戦争特需もあり、東南アジアへの経済進出を進めたが、その際、天然資源の収奪や消費財の洪水的な輸出、駐在員の横暴、買春団体観光などにより、「エコノミック・アニマル」「第2の侵略」と強く非難された。

田中角栄首相(当時)が1974年に歴訪したタイやインドネシアでは反日暴動が起きた。戦争の傷跡や記憶もまだ生々しく、日本の再軍備をアジア諸国が危惧していた。そこで福田ドクトリンは「心と心のふれあい」「対等なパートナーシップ」という他の2原則に先んじて「軍事大国にならない」との誓いを示したのだった。

半世紀を経て日本政府は防衛費を倍増させる方針を打ち出し、この地域でも安全保障という名の軍事協力に前のめりになっている。背景にはもちろん中国の台頭がある。

戦後78年間、日本が曲がりなりにも平和主義を維持したことへの信頼感もあり、ASEAN各国で大きな反発を呼んではいない。他方ASEAN全体として安全保障に関し、意思統一がなされているわけではない。

日本のFOIPに対してASEANは独自の「インド太平洋に関するASEANアウトルック(AOIP)」構想を掲げている。岸田首相は先の演説で、AOIPはFOIPと共鳴すると述べ、両構想を同期させたい考えをにじませた。

しかしASEANでは両者は似て非なるものとの受け止めが一般的だ。中国やロシアなどの覇権主義的な動きを牽制したい日本に対して、米中対立に巻き込まれたくないASEANが2019年に打ち出したのがAOIPだった。

対中対ロ関係においてASEAN内の温度差は大きい。親中派のカンボジア、ラオス。ロシアとの安保関係を頼みの綱とするミャンマーの軍事政権、ロシアに武器輸入を頼るベトナムなど事情はさまざまだ。

そこで日本政府は安全保障面ではフィリピンに肩入れし、同じく中国と南シナ海問題で対立するマレーシア、ベトナムもOSAの供与対象とするなど個別の関係強化に力を入れている。

アメリカ政府も同様だ。アジア重視を打ち出すバイデン大統領だが、2023年9月にニューデリーで開かれた20カ国地域首脳会議(G20)のあと、ジャカルタで直後に催されたASEAN主催の首脳会議を欠席し、ASEAN議長国インドネシアを失望させた。

その一方で帰途にハノイに立ち寄り、ベトナムのグエン・フー・チョン共産党書記長と会談して両国関係を「包括的戦略的パートナーシップ」へ格上げすることで合意した。

3段階あるベトナムの外交関係でアメリカはこれまで最下位の「包括的」だったが、異例の2段階の格上げで最上位となった。バイデン氏にとっては経済関係以上に、中国と向き合うベトナムの地政学的な重要性を鑑みての訪問だったとみられる。

ASEANの求心力低下

ASEAN全体を相手にするより、個別の国との取引に力をいれるのは日米に限らない。中ロも同様に動いている。

数多くの国際会議を主催し、大国を含めた域外国を呼び込むことで存在感を高めてきたASEANだが、外交や安全保障面で今後求心力が衰える可能性もある。ASEANは「全会一致」の原則を掲げているため、経済的利益の一致を超えた利害調整が難しいからだ。

貿易や投資、企業進出、人材供給といった経済面ではASEANの重要性は今後も増すことがあっても減じることはないだろう。

一方で機構としてのASEANとしては、2008年に法的枠組みとして発効したASEAN憲章でうたう人権保障や法の支配といった原則が加盟国により踏みにじられても、制裁措置や除名といった実効的な措置がとれない無力な状況が続いている。

もう1つの原則「内政不干渉」が壁となっているためだ。クーデターによって政権を奪取したミャンマー国軍との間で結んだ5項目の合意が完全に無視されている現状がその最たる例である。

日本人もASEANの人々もほとんど覚えていないであろう、日本政府の「対ASEAN5原則」なる外交方針があった。安倍晋三首相が2013年1月、第2次政権発足後初の外遊に東南アジアを選び発表した。

福田ドクトリンを継ぐ新たな原則だとして、自由、民主主義、基本的人権、法の支配など普遍的価値の実現をうたったが、地域で浸透した形跡はない。

翌2014年にタイで民選政府を駆逐する軍事クーデターがあっても日本政府は大した批判もしないなど、掲げた原則が空しく響いたこともあり日本政府関係者でさえ口にすることがなくなった。

今回発表される共同ビジョン声明がそうした過去の轍を踏まないことを期待したいが、いかがだろうか。

(柴田 直治 : ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表)