KADOKAWAから出版される予定だった、トランスジェンダーに関する翻訳書『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』が、差別扇動的だとの批判を受けて刊行中止となった。


出版中止となった『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』は「Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters」を翻訳したものだった(画像:Amazonのサイトより)

6月の「LGBT理解増進法」の施行、8月の新宿「ジェンダーレストイレ」の廃止、直近では「ゼクシィ」の同性カップル広告起用――。

思い返すと、2023年はLGBTQをめぐって、議論を呼んだ出来事がいくつか見られた。こうした動きは、近年高まっているジェンダー問題、さらには多様性をめぐる議論が曲がり角に来ていることを示しているように見える。今回の記事では「日本におけるLGBTQに関連する議論の現在地」について考察してみたい。

沸騰するLGBTQをめぐる議論

2023年に起きた、LGBTQをめぐる出来事を下記にまとめてみた。

■2023年のLGBTQに関する出来事(日本国内)

2月  荒井総理大臣秘書官 同性婚「見るのも嫌だ」発言を撤回し謝罪

6月  「LGBT理解増進法」施行

8月  新宿の「ジェンダーレストイレ」批判を受けて廃止

11月 「心は女」と主張する男性が女湯に侵入し、物議を醸す

12月 ゼクシィ、同性カップルを起用した広告を掲出
   KADOKAWAトランスジェンダーに関する書籍の刊行を、批判を受けて中止

2022年、さらには2023年の前半頃までを見ると、政治家や企業のLGBTQに対する不適切な発言が批判にさらされるケースが目立っていた。

性的マイノリティーに対する理解を広めるための「LGBT理解増進法」が、2023年6月16日に国会で成立、23日に施行されたが、その辺から論調に変化が見られはじめた。「性的マイノリティーの権利を守る」という視点から、本法案に関して不備を指摘する声も出ていた一方で、「ジェンダーの多様性をどこまで社会として容認すべきか?」という議論も顕在化しはじめた。

8月の「ジェンダーレストイレ」の廃止が象徴的だった。このトイレは、新宿の高層複合施設「東急歌舞伎町タワー」で、多様性を認める街づくりの象徴として設置されたものだが、「性犯罪の温床になる」「(主に女性が)安心して使えない」といった批判が巻き起こり、設置して4カ月で廃止、男女別トイレと多目的トイレに変えられた。

続く11月には、三重県の温泉施設で、女性用の風呂に侵入した疑いで男性が逮捕されたが、男性は「心は女なのになぜ女子風呂に入ったらいけないのか」と発言して自身の行為を正当化した。本件に関しては、逮捕された男性に対する擁護意見は少なく、女性の権利が侵害されること、社会秩序を壊すことを懸念する意見が多く寄せられていた。

広告の世界でもさまざまな議論に

広告の世界でも、ジェンダー多様性に関する議論が起こっている。

リクルートが運営する結婚情報サービス「ゼクシィ」は12月1日、JR渋谷駅近くで同性カップルや事実婚のカップルを起用した広告を掲出した。

筆者もこの広告を現地で見たが、若者が多く、多種多様な人々が集まる渋谷の街にふさわしい広告で、その場によくなじんでいるように見られた。

しかしながら、本件がニュースで報道された際には、ネット上は賛否両論の議論が起こっていた。ただし、本広告に批判的な意見の多くは、LGBTQの存在を否定するものではない。目立ったのは、「性的指向は個人の問題であって、あえてマイノリティーの存在を強調する必要はないのではないか?」「トレンドに便乗しているだけではないのか?」といった意見だ。

広告でLGBTQを取り上げる動きは、アメリカではより一般的になっているが、その反動も大きくなっている。

6月はLGBTQの権利を啓発する「プライド月間」だが、今年も多くの企業がキャンペーンを行った。

ビールメーカー大手のアンハイザー・ブッシュは、主力商品「バドライト」の広告にトランスジェンダーである俳優のディラン・マルバニー氏を起用したが、保守層から不買運動を受けた。その影響でバドライトは売り上げが急減し、首位から陥落してしまった。

また、アディダスが女性用水着のモデルに、(生物学的に)男性と思われる人物を起用したことで波紋が広がっている。アメリカの元競泳選手の女性が「女性を排除している」とSNSに投稿、こちらも不買運動へと発展した。

上の2社ほどの問題には発展していないが、ナイキやスターバックスなども、プライド月間に行った、LGBTQに擁護的な広告活動が批判を浴びるに至っている。

日本の広告ではパンテーン、ユニクロの事例が

日本に話を戻すと、これまでもLGBTQを扱った広告は存在している。2020年にヘアケアブランドのパンテーンは、LGBTQの就活生の悩みを表現した「#PrideHair」プロジェクトを展開。本プロジェクトは「自分らしさを表現する」という点が強調されており、かならずしもLGBTQの啓発が主眼に置かれているわけでもなかった。

また、2021年にユニクロはエアリズムのCMで女性カップルの日常を表現した。このCMに対して賛否の意見はあったが、さりげなく自然な形で表現されており、政治的な主張を含むものはなかったため、自然に受容されたようだ。

日米問わず、現時点においては、LGBTQの問題を前面に出した表現を受け入れられない層も少なからずいるようだ。

現在の論点はどこにある?

KADOKAWAのトランスジェンダー関連書籍の刊行停止については、タイトルやキャッチコピーが当事者を傷つけたことが理由として説明されている。内容ではなくタイトルやキャッチコピーが不適切との理由で刊行停止をすることに対して、疑問を持つ声も少なからず出ている。

日本において、LGBTQをどう受容していくかというのは、現時点では社会的合意には至っていないと言えるだろう。

現状出ている論点を整理すると、下記のようになる。

1.LGBTQという多様性、またその権利を認めるのか否か

2. マイノリティーの権利を認めることで、マジョリティーの権利が侵害されるのではないかという懸念

3. (多様な性的指向は尊重されるべきだが)マイノリティーの存在をことさら擁護したり、クローズアップしたりする必要があるのか否か

1に関しては、2022〜2023年にかけて、LGBTQに対する不適切な発言が批判を浴びたことを鑑みると、日本では受容されてきていると言ってよいだろう。

いま問題となっているのは、2、3だ。

ジェンダーレストイレ廃止や、女湯に男性が侵入した問題は、マジョリティー、特に(生物学的分類上の)女性の権利が侵害される懸念を顕在化させるに至った。

このことは、性的多様性に対して寛容な考えを持つ人たち(筆者も含めてだが)も懸念するところだ。また、ジェンダー問題に限らず、日本では、権利を声高に主張することに対して否定的に捉える人も多い。

現時点では、ジェンダーの多様性を受容することの重要性は理解しつつも、既存の社会秩序が揺らぐことは受容しがたい――というのが、多くの日本人が共有する「空気感」のように思える。

日本は今後どう受容していくか

コロナになる直前、筆者はヨーロッパやオセアニアを長期で貧乏旅行したのだが、宿泊したドミトリーは全て男女同室だった。ニュージーランドに至っては、トイレも男女共用が主流となっていた。もちろん安宿なのでコスト上そうなっている面もあるのだろうし、リスク管理上の観点からは万全とは言えないが、我々が男女別が当然だと思っているものが、必ずしもそうではなかったり、場合によっては一緒になる可能性もあることに気付かされた。


韓国にあるだれでもトイレ(写真:YONHAP NEWS/アフロ)

また歴史を振り返ってみると、日本は海外と比べても性的タブーが比較的少ない国であったともいえる。諸説あるところだが、明治時代に入って西洋文化が取り入れられるまでは、同性愛は必ずしも特殊な思考とは見なされてこなかったとの指摘もあり、風呂も男女混浴が一般的だった。現在に至っても、文学、マンガ・アニメ、舞台芸術において、多様な性のあり方が描かれ続け、多くの人々から自然に受け入れられている。

さまざまな見方はあるだろうが、歴史的、文化的に見て、日本には性的指向の多様性を受容していく土壌はあるのではないか。社会面、制度面でも、乗り越えられる障壁もあるように思える。

【2023年12月18日追記】表記に誤りがあり修正いたしました

いまの日本は過渡期にあることと、海外のLGBTQ運動の潮流に急速に(ときに拙速に)追随しようとしていることから、思いがけぬトラブルが起きたり、かえって激しい反発を生んでいるという側面もあるかもしれない。

日本における「空気感」は明らかに変わりつつある。欧米のような、抑圧に対する抵抗、権利の主張という形ではなく、この「空気感」が変わっていくことでLGBTQの存在は、今後じわじわと社会に受け入れられていくのではないかと筆者は考えている。

このたびのKADOKAWAの書籍についても、多様な意見を参照できる状態を作ったうえで、望ましい将来像を模索したほうが建設的であったと思う。

(西山 守 : マーケティングコンサルタント、桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授)