科学技術は政治的成功の証しであると広くみなされていたことから、近代科学はヨーロッパで発明されたという作り話が都合良く利用されました(Gilmanshin/PIXTA)

コペルニクスやガリレイ、ニュートン、ダーウィン、アインシュタインといった科学者の名前は、誰もが知っている。そして近代科学は16世紀から18世紀までにヨーロッパで誕生し、19世紀の進化論や20世紀の宇宙物理学も、ヨーロッパだけで築かれたとされている。
しかし、科学技術史が専門のウォーリック大学准教授、ジェイムズ・ポスケット氏によれば、このストーリーは「でっち上げ」であり、近代科学の発展にはアメリカやアジア、アフリカなど、世界中の人々が著しい貢献を果たしたという。
今回、日本語版が12月に刊行された『科学文明の起源』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。

ヨーロッパ以外からの科学への貢献


今日の科学者なら、自分の研究は国際的な性格を帯びていると進んで認めるものだ。しかしその一方で、それは比較的最近の傾向であると考えがちである。

20世紀の「ビッグサイエンス」の成果であって、500年以上さかのぼる科学の歴史とは無関係だと思い込んでいる。ヨーロッパ以外からも科学への貢献があったことは認めるものの、その多くは遠い過去に追いやって、科学革命や近代科学の台頭に関するストーリーの一部とはみなさない。

中世イスラム科学の「黄金時代」についての話はよく耳にする。それは9世紀から10世紀頃、バグダッドの科学思索家が世界で初めて代数学などの新たな数学的手法を数多く編み出した時代のことだ。また、1000年を優に超えてさかのぼる古代中国の科学的成果、たとえば方位磁針や火薬の発明も同じく盛んに取り上げられている。

しかしそのようなストーリーは、中国や中東などの地域が近代科学の歴史とほとんど無関係であるとする説明を増長させることにしかならない。

多くの人は忘れてしまっているが、「黄金時代」という概念自体、そもそも19世紀にヨーロッパの各帝国の勢力拡大を正当化するために考え出されたものである。

イギリスやフランスの帝国主義者が広めた、アジアや中東の文明は中世以降衰退しているのだから近代化が必要である、という考え方は間違っているのだ。

中国やトルコが誇る近代以前の科学的偉業

驚かれるかもしれないが、このようなストーリーはヨーロッパだけでなくアジアにもいまだに広まっている。

2008年の北京オリンピックを思い返してほしい。開会式の冒頭で巨大な巻物が広げられ、紙が古代中国の発明品であることが表現された。10億人を超すテレビ視聴者が見つめる中、開会式ではそのほかにも方位磁針など古代中国のさまざまな科学的偉業が披露された。

そして中国のもう一つの成果とともに式は華々しく幕を閉じた。宋時代の火薬の発明を讃えて、鳥の巣スタジアムの上空に花火が上がったのだ。

しかしこの開会式では、中国が貢献したそれ以降の数々の科学的ブレークスルー、たとえば18世紀の博物学や20世紀の量子力学の発展についてはほとんど取り上げられなかった。

中東にも同じことが当てはまる。2016年にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が、イスタンブールで開催されたトルコ・アラブ高等教育会議で講演をおこなった。その中で、「イスラム文明の黄金時代といえるのは、イスラムの各都市が科学の中心地だった中世である」と唱えた。

しかしどうやらエルドアンは、今日のトルコに暮らしている人を含め、大勢のイスラム教徒が近代科学の発展にも同じくらい貢献していることを知らなかったらしい。16世紀のイスタンブールにおける天文学から20世紀のカイロにおけるヒト遺伝学まで、イスラム世界の科学の進歩は中世の「黄金時代」よりずっと後まで続いているのだ。

このようなストーリーがこれほど広く信じられているのはなぜだろう? 多くの作り話と同じく、近代科学がヨーロッパで発明されたという考え方も、偶然に生まれたものではない。

20世紀半ばにイギリスやアメリカ合衆国の歴史家たちが、『近代科学の起源』といったようなタイトルの本を世に出しはじめた。彼らはほぼ例外なく、近代科学と近代文明は16世紀頃にヨーロッパで生まれたと信じ切っていた。

ケンブリッジ大学の著名な歴史家ハーバート・バターフィールドも1949年に、「科学革命は西洋の創造的産物とみなすべきである」と述べている。

同様の見方は大西洋の対岸でも示された。1950年代にイェール大学の学生たちは、「西洋は自然科学を生み出したが東洋は生み出さなかった」と教えられたし、世界一の権威を持つ科学雑誌『サイエンス』は「西ヨーロッパの少数の国々が近代科学の生家となった」と論じた。

冷戦期に利用された作り話

このような主張の政治的意図はこの上なく明らかだ。彼ら歴史家が生きたのは、資本主義と共産主義の対立が世界政治を支配していた冷戦初期である。彼らは東洋と西洋をはっきりと区別した上で現代の世界を見つめ、意図的かどうかは別としてその区別を過去にまで延長した。

当時、とりわけ1957年10月にソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げて以降、科学技術は政治的成功の証しであると広くみなされていた。

そのため、近代科学はヨーロッパで発明されたという作り話は、西ヨーロッパやアメリカ合衆国の指導者にとって都合が良かった。市民たちが、歴史の正しい側にいるのは自分たちで、自分たちが科学技術の進歩を担っているのだと思い込んでくれることが何よりも大事だった。

このような科学史はまた、植民地から独立した世界中の国々に資本主義の道を歩ませて、共産主義を排除させるようにもできていた。

冷戦期、アメリカ合衆国は対外援助に何百億ドルも費やして、アジアやアフリカ、ラテンアメリカの国々に自由市場経済と科学の発展をセットで売り込んだ。ソ連の進める対外援助計画に対抗するためだった。

「西洋科学」と「市場経済」の組み合わせがまさしく経済的な「奇跡」を約束する、とアメリカの政策立案者は説いたのだ。

皮肉なことにソ連の歴史家も、近代科学の起源に関してこれとほぼ同じストーリーを後押しする結果となった。

ロシア皇帝のもとで活躍したかつてのロシア人科学者の功績を無視して、共産主義政権下での科学の華々しい発展を売り込もうとしたのだ。

1933年にソビエト科学アカデミーの会長は、「20世紀までロシアに物理学はいっさい存在していなかった」と述べた。のちほど見ていくとおり、それは間違っている。

18世紀初頭にはピョートル大帝のもとで重要な天文観測が何度もおこなわれたし、19世紀にはロシア人物理学者が電波技術の発展において鍵となる役割を果たした。

確かにのちのソ連の歴史家の中には、ロシア人によるかつての科学的成果に光を当てようとする人もいた。

しかし少なくとも20世紀前半には、旧体制下で成し遂げられたことよりも、共産主義政権下でおこなわれた革命的進歩を重視するほうがはるかに重要だった。

中世や古代の功績だけに注目する理由

アジアや中東では少々違った経緯をたどったものの、最終的には似たような結果に至った。

冷戦期は脱植民地化の時代でもあり、数多くの国がヨーロッパの宗主国からの独立を果たした。インドやエジプトなどの政治指導者は、国家の新たなアイデンティティを是が非でも築きたかった。

そこで古代に目を向けた。中世や古代の科学思索家の功績を称え、植民地時代の出来事はおおかた無視したのだ。

イスラムやヒンドゥーの「黄金時代」という考え方が、19世紀のヨーロッパと同じように中東やアジアに広まりはじめたのは、実はこの1950年代のことである。インドやエジプトの歴史家は、輝かしい過去の科学が再発見されるのが待たれていたという考え方に飛びついた。

そうして、ヨーロッパやアメリカの歴史家が押しつける作り話を図らずも後押しすることとなった。近代科学は西洋のもので、古代の科学は東洋のものである。そう人々は聞かされたのだ。

冷戦は終わったものの、科学の歴史はいまだに過去にとらわれている。近代科学はヨーロッパで発明されたという考え方は、現代史の中でももっとも広く流布する神話の一つとして、一般向けの歴史書から専門の教科書にまで残されている。しかしそれを裏付ける証拠はほとんどない。

(翻訳:水谷淳)

(ジェイムズ・ポスケット : ウォーリック大学准教授)