岸田首相は、まだ日韓関係が「良い方向に変化する」と信じているのか(写真は現地時間11月17日に行われた日韓首脳討論会でのツーショット(首相官邸HPより)

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 尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権が分解し始めた。来年4月の総選挙で大敗し、一気にレームダック化すると見る向きが増える。「大統領弾劾の可能性さえ出てきた」と韓国観察者の鈴置高史氏は言う。というのに、岸田文雄政権は尹錫悦頼みの「日韓友好」にしがみついたままだ。

【写真】日経新聞にリークしたと目される“日韓の協力拡大”報道

前例のない赦免復権

鈴置:尹錫悦政権がピンチです。10月11日投開票のソウル特別市江西(カンソ)区の区長補欠選挙で、大統領が無理押しした候補が落選しました。

 2024年4月の総選挙の前哨戦と位置付けられていただけに、敗戦の責任を巡り与党「国民の力」が分裂。大統領派と反大統領派が抗争を繰り広げ、収拾のメドが立たなくなったのです。

岸田首相は、まだ日韓関係が「良い方向に変化する」と信じているのか(写真は現地時間11月17日に行われた日韓首脳討論会でのツーショット(首相官邸HPより)

 検察事務官の金泰佑(キム・テウ)氏は青瓦台(大統領府)特別監査班に派遣されていた2018年11月、ゴルフ接待を受けたとして摘発されました。金泰佑氏は翌12月、政府の多数の不正を告発。この結果、環境部長官が有罪となるなど当時の文在寅(ムン・ジェイン)政権に打撃を与えました。

 2019年1月に解任された後は、政府の不正を暴くユーチューバーとして人気を集めました。2022年6月には「国民の力」から江西区長選に出馬し当選。しかし2023年5月、大法院(最高裁)で公務上秘密漏洩罪の有罪が確定したため、江西区長の職を解かれました。

 そこで江西区長の補欠選挙が実施されることになったのですが、何と被選挙権を失ったはずの金泰佑氏が出馬することになりました。金泰佑氏を押す尹錫悦大統領が、前例のない赦免復権を命じて可能になったのです。

保守の不満が噴出

 金泰佑氏の出馬に対しては与党内からも批判の火の手が上がりました。もともと江西区は左派の強い地域。そのうえ無理筋の赦免復権候補に首を傾げる国民も多かった。当選の可能性が低い以上、大統領の意向を無視しても「勝てる候補」を立てるべきだ、との意見でした。

 予想通り、区長選では野党第1党「共に民主党」の候補に負けました。それも得票率が39・37%対56・52%と、17・15ポイントもの大差をつけられての惨敗でした。

 半年後の総選挙を控えての惨敗ですから「国民の力」の議員、ことに反尹錫悦派の議員が大統領の独走に反発したのも無理はありません。

 保守系紙、朝鮮日報も社説「大統領が変化すれば『災い転じて福』、そうでなければ『弱り目に祟り目』」(10月12日、韓国語版)で、尹錫悦大統領に対する不満を一気に吐き出しました。

・[選挙結果を]これまでの過ちを正す信号として受け入れれば、国民は機会を与えるだろう。何よりも就任以降の尹大統領の国政スタイルへの疲労と反感が積りに積もっている。これは進歩、保守を通じて同じだ。国民の前で謙虚でなければならぬ。

せっかく得た若者の支持を失う

――「疲労と反感」とは?

鈴置:大統領の狭量さに対してです。「国民の力」は尹錫悦大統領の当選に大きな功績のあった李俊錫(イ・ジュンソク)代表を「性接待疑惑」に絡む証拠隠滅教唆を理由に、党員権6カ月停止の懲戒処分にしました。2022年7月のことです。

 今回の大統領選前の2021年6月、李俊錫氏は36歳の若さで「国民の力」代表に就任しました。左派の強いソウルの選挙区で敢えて3度も国会議員に挑戦して敗れるなど、保守陣営の期待の星と見られていたからです。もっとも、「若造の代表」には一部のベテラン議員が強く反発、尹錫悦氏周辺と摩擦も起きました。

 結局、尹錫悦氏を担ぐ勢力は「若い代表」のイメージを利用して20―30歳代の票をかき集め、2022年3月の大統領選挙で何とか勝ちました。ところが4カ月後にはあやふやな理由で代表の座から追い落とした。余りの露骨な掌返しに、保守政党の支持に回っていた若者は反旗を翻しました。
 
 韓国ギャラップによると、就任直後の2022年5月第2週の世論調査では18―29歳の45%が「大統領はよくやっている」と答え、「よくやっていない」の41%を上回りました。30歳代は54%対38%です。「若者は左派を支持する」という通例を打ち破ったのです。

 ところが約1年半後の2023年11月第3週の調査では、18−29歳が18%対60%、30歳代が22%対62%と激変。尹錫悦政権は貴重な若者の支持を失いました。

 「狭量さ」という意味では「国民の力」の大統領候補を争った洪準杓(ホン・ジュンピョ)大邱(テグ)広域市長に対する姿勢も同様です。

 2023年7月26日、「国民の力」は洪準杓市長に対し、豪雨注意報が出ている最中にゴルフをしたとして、党員権停止10カ月の懲戒処分を決めました。「警報」ではなく「注意報」しか出ていなかったことから、反尹錫悦派の大物を潰すのが狙いとも見られました。

 韓国ギャラップの2023年8月第1週の世論調査では、大邱とその周辺の慶尚北道(キョンサンプクド)で「大統領はよくやっている」の45%に対し「よくやっていない」が46%と上回りました。たった1%ポイントの差ですが、この地域は保守の牙城。極めて珍しい事態です。地元のエース、洪準杓氏への懲戒に対する反発であるのは間違いありません。

政策はいいが、政治が下手

――尹錫悦大統領は自分の首を絞めていますね。

鈴置:モラロジー研究所の西岡力教授によると保守の長老ジャーナリスト、趙甲済(チョ・カプチェ)氏が「政策はいいが、政治が下手だ」と嘆いているそうです。

 尹錫悦大統領は文在寅政権下で崩壊の危機に瀕した米韓同盟を復元。日本との関係も改善して第2次朝鮮戦争に備えました。安全保障に危機感を高めていた人々からは一斉に安堵のため息が漏れました。世論調査で政権を評価する理由の1位に常に「外交」があがるのを見ても、それが分かります。

 ところが「政治が下手」でして、自分を支持してくれた若者や保守の牙城を敵に回すようなことを平気でやるのです。世論調査では評価しない理由の上位に「独断的」や「対話不足」が並びます。

――なぜ、「政治が下手」なのでしょう。

鈴置:大統領選挙に出馬するまで、政治経験が全くなかったからでしょう。検事のノリで物事を「正邪」で判断する。清濁併せ呑んで多数派を形成し、政策を実現するという現実策がとれない。

 政界に同志も腹心の部下が全くいなかったため、大統領選挙で自分を担いだ人の意見に引っ張られてしまう。保守政党を支えてきた洪準杓氏や李俊錫氏への異様な仕打ちも、にわか造りの側近による陰謀劇と見る向きが多いのです。

攻守逆転で地滑り的敗北

――それでは保守層の支持も固められませんね。

鈴置:韓国ギャラップの調査では2022年7月第1週以降、「よくやっている」を「よくやっていない」が上回るようになり、今に至るまでそれが続いています。前者は20―30%台を推移する一方、後者は50%台を続けています。時に60%台に乗ることもあります。常にダブルスコアに近いのです。

 ただ、尹錫悦政権は内部抗争の危険をはらみながらも、左派の「共に民主党」を攻撃することで何とか求心力を維持してきた。ところが2023年秋になってその作戦が蹉跌したのです。

「韓国の“持病”内輪もめが始まった ハンストで抗った野党代表、『監獄送り』を狙う尹錫悦」で解説したように、尹錫悦政権は疑惑のデパートたる李在明(イ・ジェミョン)「共に民主党」代表の収監を図ったのですが、左派の牙城である裁判所が認めなかった。

 それに江西区長の補欠選敗北が追い打ちをかけました。尹錫悦派の党指導部に対し、反尹錫悦派が敗北の責任を取るよう求めたものの無視され、党を割る姿勢を打ち出したからです。分裂の危機に直面した「国民の力」は、一気に劣勢に追い込まれました。

 韓国の選挙はとにかくムードに左右されます。無党派層は勝ち馬に乗る傾向が強い。保守の分裂状態が続けば、総選挙で地滑り的大敗を被る可能性が高いのです。

通貨危機なら弾劾

――総選挙で保守が負けるとどうなるのでしょうか。

鈴置:尹錫悦政権は一気に弱体化します。岸田政権との約束も反古になるでしょう。すでに怪しくなっていますが。韓国は大統領制の国ですが、与党の議席が国会で3分の1を下回ると大統領権限は急速に弱まります。

 野党は憲法を変えられるようになります。大統領の拒否権も事実上、消滅します。何よりも注目すべきは大統領弾劾ができるようになることです。

――弾劾って簡単にできるものですか?

鈴置:朴槿恵(パク・クネ)大統領への弾劾が成功して以降、韓国では異例な政治手法ではなくなった。日本で言えば「内閣不信任案」くらいの軽い感じになりました。現に尹錫悦政権が揺れ始めると、野党や左派系紙は弾劾を言い出しました。

 仮に韓国が通貨危機に陥れば即、弾劾ということになるでしょう。「韓国にまたも通貨危機の足音 『世界が羨む我が国の経済が…』日韓スワップは発動できるのか」で詳しく説明したように、韓国は一歩間違えればドル不足に陥って経済が破綻する瀬戸際にあります。

 現在、与党「国民の力」の議席数は全300議席中、112議席と過半数に達していない。一方、野党第1党の「共に民主党」は168議席ありますから与党側の法案を容易に否決できますし、与党が反対しても自分の提出した法案を通せます。

 ただ、左派系の政党や無所属を合わせても3分の2には及ばないため、憲法改正や大統領の弾劾はできません。大統領に法案への拒否権を発動されても、押し返せません。韓国国会で与野党は微妙なバランスに乗っているのです。

 「国民の力」は李在明拘束をテコに、来年4月の総選挙で最低でも過半数の議席を獲得するつもりでした。それが一転、左派のやりたい放題を許す3分の1以下の議席に落ち込みかねなくなったのです。

保守新党と左派が共闘

――「国民の力」の支持率も落ちているのですか?

鈴置:韓国ギャラップの世論調査によると、この政権下で「国民の力」と「共に民主党」の支持率は拮抗してきました。2023年11月第3週の調査では35%対33%で「国民の力」の支持率がわずかに上回っています。与党も困ったものだけど、野党もだらしない――のです。

 保守の最大の懸念は李俊錫氏ら反尹錫悦派が「国民の力」から出て、新党を結成する構えを見せていることにあります。保守分裂選挙となれば当然、「国民の力」の議席は食いとられます。「共に民主党」が3分の2を取れなくても、新党と力を合わせて弾劾に動く手もあります。反尹錫悦という点では共闘できますからね。

「韓国の“持病”内輪もめが始まった ハンストで抗った野党代表、『監獄送り』を狙う尹錫悦」では反李在明派が「共に民主党」から分離する可能性を指摘しましたが、今度は「国民の力」が分裂の危機に瀕したのです。

 保守系紙は声をからして団結を呼び掛けています。朝鮮日報は区長補選の敗北以降、先に紹介した「大統領が変化すれば『災い転じて福』、そうでなければ『弱り目に祟り目』」(10月12日、韓国語版)を皮切りに、連日のように社説で「国民の力」を叱咤しています。以下は社説の日付と見出し、ポイントです。

・10月13日「大統領と与党が変わらねば重大な国政改革もできない」=尹政権は日本式の「失われた20年」を避けるための改革を公約した。実現には議席が必要だ。政策の方向は正しいが、方式と態度が問題と思う国民が多い。

・10月14日「選挙に惨敗した政党が刷新案も出さず、内輪もめ」=尹錫悦系の党幹部は総辞職すべきだとの声があがったが、無視された。自ら責任を取る人は1人もいないのだ。

・10月17日「『ひょっとして』と思ったが『やっぱり』の『国民の力』」=選挙惨敗を受け「国民の力」代表は「首都圏などの人材を党幹部に起用する」と語っていた。ところが党の3大要職に任命されたのは嶺南出身者ばかりだった。

・10月19日「『国民が常に正しい』と言う尹大統領、人事もそうしているのか」=「国民の力」は嶺南中心の偏狭な政党と指摘されてきた。区長補選の敗北もこれと無関係でない。ところが、刷新した党3役が皆、嶺南出身者だ。

 なお、嶺南とは韓国南東部の釜山(プサン)広域市、大邱広域市、蔚山(ウルサン)広域市、慶尚南道(キョンサンナムド)、慶尚北道を指します。嶺南は伝統的に保守の地盤ですが、ソウルを含む首都圏でも勝てないと総選挙で過半数を取れません。

三木武吉、出でよ

 左派系紙、ハンギョレは「保守系メディアの社説やコラムは連日、大統領に『スタイルを変えろ』と述べ、焦燥感を隠さない」と冷笑しました。「大邱・慶尚北道と『70代以上』が守る『落ち着いた』大統領」(10月19日、日本語版)です。

 保守メディアには「三木武吉、出でよ」と訴える記事まで登場しました。筆者は1980年代末に東京特派員を務めた朝鮮日報の姜天錫(カン・チョンソク)顧問。

「[姜天錫コラム]尹大統領の時間」(10月30日、韓国語版)で1950年代半ば、左派全盛の日本で保守合同を成し遂げた三木武吉を紹介したのです。ポイントを訳します。

・保守の執権党たる自由党は過去の怨恨のため引き裂かれていた。この状況下で、大臣を一度もやったことのない三木が保守合同に動いた。まず取り込んだのは自分の夢を壊した政敵だった。手を組む相手は共産党と社会党でない限り、色を問わなかった。
・自分が担いだ総理や党総裁でも、合同の邪魔になれば引きずり降ろそうとした。合同に賭けた当時の三木の姿には鬼気迫るものがあったという。1955年末、保守合同は成り、末期癌だった三木は数カ月後に息を引き取った。

――血を吐くような原稿ですね。

鈴置:左派政権に戻れば、韓国は再び米国離れし安保危機に直面する。というのに、保守は内部抗争に明け暮れ、左派に政権を奪われそうになっている。「今が国運の分かれ道」と、元老記者がまなじりを決した観があります。こうも呼びかけています。

・100人を超える「国民の力」の議員の中で、日本の三木のように合同に狂奔する議員が1人でもいるのか。

 これが韓国の現実です。現代の日本にも「三木武吉」がいるとは思えないのですが。

首相になっても食い逃げ

――「岸田政権との約束も反古になる」とのことでしたが。

鈴置:いわゆる徴用工問題で、尹錫悦大統領は日本企業に勝訴した韓国人とその遺族に対し、韓国政府傘下の財団が賠償金相当の金額を支払う、という「肩代わり案」を提示し、岸田首相もこれを呑みました。

 一部の原告は「肩代わり案」に反発し受け取らなかったため、政府傘下の財団は裁判所に供託しようとしました。ところが韓国の裁判所は供託手続きを認めず「解決案」は完全に宙に浮きました。

 左派の大法院長(最高裁長官)の任期が2023年9月で終るため、尹錫悦政権は「自分たちの息のかかった裁判官を大法院長に指名すれば供託手続きは可能になる」と考えていたと思われます。

 しかし、多数党の「共に民主党」は大統領が指名した候補者の就任を拒否。今に至るまで新たな大法院長が就任するメドは立っていません。総選挙で「共に民主党」が力を増して左派の大法院長が誕生すれば「肩代わり案」は司法の場で完全に葬り去られるでしょう。

――振り出しに戻ったのですね。

鈴置:それどころではありません。日本はまたも食い逃げされることになりそうです。安倍晋三、菅義偉の両政権は「1965年の請求権協定で問題は解決済み。韓国の判決は国際法違反である」として違反状態の是正を求めていました。

 しかし、岸田政権は「肩代わり案」の見返りに、この要求を降ろしてしまった。韓国に左翼政権が誕生すれば「キシダは判決の正当性を認めたではないか。日本企業に賠償金を払わせろ」と言ってくる可能性が大です。

 岸田政権の貢物はそれに留まりません。「ホワイト国」に戻したうえ、通貨スワップの締結も約束してしまった。レーダー照射事件は不問に付した。岸田氏は外相時代に続き、首相になっても韓国に騙され続けているのです。

「日韓友好」で支持率アップ?

――尹錫悦政権の弱体化に岸田氏は気付かないのでしょうか。

鈴置:全く気付いていないと思います。11月17日、岸田首相は尹錫悦大統領と共に米スタンフォード大学で開かれた討論会に出席し、日韓共同で水素など脱炭素燃料の供給網を構築すると表明。さらに量子技術の分野で共同研究体制を作るとも発表しました。

 その際、岸田首相は「科学技術分野での連携は変化する日韓関係を象徴する領域になる」と述べました。まだ「良い方向に変化する」と信じているのです。日本経済新聞の「岸田首相 米大討論会での冒頭発言全文と主なやりとり」(11月18日)で読めます。

 岸田政権のもう1つ救い難いところは「日韓友好」を演出すれば、支持率が上がると思い込んでいることです。11月11日、日経は討論会に先駆け、朝刊1面トップでこの先端技術協力を報じました。政権は「韓国との協力を進める」と宣伝すれば国民から好感を持って迎えられると計算し、日経にリークしたのでしょう。

 しかし、ネット上には「日本が勝負どころとして選び、研究を進めてきた量子技術を韓国に渡すのか」といった反発が目立ちます。尹錫悦政権が空中分解する前から、多くの日本人が「韓国は信用できない国」と見切っているのです。

 減税を掲げて支持率を落としたのと同根の失敗です。岸田政権を仕切っている人たちは、よほど政治的なセンスに乏しいのでしょう。

鈴置高史(すずおき・たかぶみ)
韓国観察者。1954年(昭和29年)愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本経済新聞社でソウル、香港特派員、経済解説部長などを歴任。95〜96年にハーバード大学国際問題研究所で研究員、2006年にイースト・ウエスト・センター(ハワイ)でジェファーソン・プログラム・フェローを務める。18年3月に退社。著書に『韓国民主政治の自壊』『米韓同盟消滅』(ともに新潮新書)、近未来小説『朝鮮半島201Z年』(日本経済新聞出版社)など。2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。

デイリー新潮編集部