「ここまできたら流れに任せても…」享平さんの人生の見通しは不明だ

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前編【職場の“7歳年上”女性に狙われた新入社員 トントン拍子に交際、突然の妊娠…51歳男性が振り返る“特急列車婚”の末路】からのつづき

 浜田享平さん(51歳・仮名=以下同)は、今年初めから妻の瑠美さんと別居している。理由は彼の“不倫”だが、享平さん本人はそんな関係ではないと言い張っている。7歳年上の瑠美さんは、もともと職場の先輩で、彼女の方からのアプローチだった。当時、享平さんが交際していた学生時代からの恋人は、別れる口実を探しており、瑠美さんの存在を理由に半ば言いがかりのように破局を迫った。享平さんの略奪に成功した瑠美さんは、妊娠を経て退職、結婚することに。「まるで特急列車に乗ったかのよう」と享平さんは当時を振り返る。

「ここまできたら流れに任せても…」享平さんの人生の見通しは不明だ

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 息子が生まれて1年後、瑠美さんが再就職した。かつての瑠美さんの仕事ぶりを知っている他社の知り合いが声をかけてくれたのだという。協力体制で仕事をしていこうと言うと、「母に来てもらうことにした」という返事だった。

「どうしてと思わず言ってしまいました。夫婦で協力してやっていこうよと言うと、母に来てもらったほうが仕事に専念できるのよと。なんだか急にムカッとしました。彼女が仕事に専念したい理由は何なのか。僕ががんばってもなかなか給料は上がらないから、瑠美が働いてくれるのはありがたい。でも彼女は家計のために働くわけではない。家庭を最優先させてくれない妻に怒りがわいたんだと思う。でもどうして妻が家庭を最優先させなければいけないのか、夫は最優先していないじゃないかと言われればそれまでですよね。そのあたりは生理的な感覚の問題なのかもしれませんが……」

 うっかり「母親がいないなんて、子どもがかわいそうだろ」と言ってしまった。瑠美さんは「どうして母親だけに押しつけるの?」と冷静に、だがきっぱりと言った。瑠美さんの仕事ぶりを見ていれば、彼女が黙って家庭に入る人間ではないとわかっていたはずだが、「僕の妻になったのだから、子どもの母親なのだからという気持ちが強くて。彼女の本性をうっかり失念していた」と享平さんは言う。

 瑠美さんの母親は、ふたりの自宅と同じマンションで暮らすようになった。保育園の送り迎えから家事に至るまで、ほとんど義母が担ってくれた。享平さんが早く帰ると、なるべく義母には自分の部屋で休んでもらうようにしていたが、頼り切っているのは瑠美さんだけではなく、自分も同じだったと振り返る。息子が中学を卒業するくらいまで、その状況は続いた。

「義母と僕はつかず離れずうまくやっていましたが、瑠美と義母は本当の親子だからこそかなり激烈にやり合うこともありました。僕はとにかく間に入らないようにしてた。どちらの味方もできませんから。ただ、その諍いを見ていると瑠美の強烈さがよくわかった。80歳を越えた母親がちょっとミスをすると『ボケてるんじゃないの、おかあさん』と辛辣に言う。そんな言い方をしなくてもと思うことが多々ありました」

釈然としない妻の言葉

 義母はそれがストレスになっていたのではないかと享平さんは言う。息子が高校生になってすぐ、義母が自身の部屋で倒れているのが発見された。見つけたのは息子だった。いつもなら夕方、顔を見せる祖母が来ないので行ってみたら事切れていたのだ。

「そのとき瑠美が『めんどうがかからなくてよかった』と言ったんですよ。どういう意味と僕が言うと、『施設を探し始めていたの。だってふたりとも働いているから母を家でみるわけにはいかないでしょ』って。ずいぶん事務的なんだねと皮肉ったら、『介護はプロに任せたほうがいい』と。さんざんお世話になったのに。『母だって孫と一緒にいられて幸せだったはずよ』と断言していた。もしかしたら大変な負担だったかもしれないのに」

 釈然としなかったが、結婚生活は続いていく。家事は分担していたし、未成年の子どもがいるからどちらかは早めに帰宅できるよう調整はしていた。息子は部活に夢中だった。享平さんは部活で一緒の友人の保護者と親しくし、共働きゆえに目が届かないかもしれないのでと周りに配慮していた。息子が悪い仲間とつるんだらどうしようという不安があったのだそうだ。

「息子は流されやすい性格なんですよ。そう、僕に似て(笑)。だから10代のうちはちゃんと目を光らせておきたいと思っていました。瑠美は息子を全面的に信じているからと本人に毎日のように言ってましたね。それが彼女のやり方なんでしょう」

 そのころある日突然、息子が子犬を拾ってきた。帰り道でビルとビルの隙間に小さなダンボールが置いてあり、声が聞こえたのでダンボールを引きずり出したら痩せた子犬がいたのだと息子が涙ぐみながら話してくれた。

「息子は、この子犬に自分を重ねているのではないかと思いましたね。放り出すわけにはいかないからもちろんワンコはうちの子になりました。息子が毎朝、早起きして散歩に連れ出していたので、僕もよくつきあいました。自分自身の運動のためと息子と会話をしたいから。このワンコが、多感な息子の精神状態にいい影響を与え、家族をひとつにしてくれたような気がします」

 息子は大学を卒業すると、地方の勤務先へと旅立っていった。享平さんが48歳のころだ。寂しそうなワンコを享平さんはそれまで以上にかわいがった。もちろん瑠美さんとの間もワンコが取り持ってくれたが、当時、瑠美さんは再就職した企業でかなりの出世を果たし、多忙な日々を送っていた。

「息子が巣立ったから、妻が多忙でもまあ、いいんじゃないかと僕は思っていました。ただ、ワンコが昼間ひとりでかわいそうですよね。そんなときコロナ禍になって、僕は出社日が減った。妻は毎日出かけていましたが。それなりにひとりの時間を満喫していました」

卒業以来の麻耶子さんとの再会

 ネットサーフィンをすることも増えた。ネット上ではあるが昔の仲間ともつながった。大学時代の仲間のひとりが経営している飲食店が存続の危機 にあると知り、みんなで出かけてみた。

「まだ人数制限などがあったので4人で行ったんです。卒業以来の再会でした。当時、僕がつきあっていた彼女を裏切って浮気したなんていう噂があったことを謝られたりもして。もういいよ、ここからまたみんなでつきあっていこうということになって。うれしかったですね。するとその場にいた麻耶子が急に『ごめんなさい!』と頭を下げた。当時の恋人から、僕が浮気したと広めてほしいと依頼されたんだそうです。やはり元カノは自分から別れ話が言えなかったから、僕を悪者にしたみたい。もうそんなことはどうでもいいと言ったのですが、麻耶子は何度も頭を下げていました。彼女にとってもわだかまりになっていたんでしょうね」

 帰りがけに麻耶子さんが近づいてきて、元カノに連絡をとろうかと尋ねてきた。そんな必要はないと彼は答えた。今さら会ったところでどうにかなるものでもない。そうねと答える麻耶子さんが妙に寂しそうに見えて、もう一軒行くかと彼は声をかけた。

「ふたりで話していたら、自分の人生のあの頃と今がすんなりつながっていきました。なんだか僕は自分の人生が途切れ途切れになっているような曖昧さを抱えていたのかもしれません。学生時代、瑠美と結婚してから、義母が亡くなったときとその後。その3つがうまくリンクしないというか……。つながらない3幕の芝居みたいになっていた。それが麻耶子と話しているうちにつながっていった。人生50年たって、自分なりにがんばってきたのかなとも思えた」

 その気持ちが麻耶子さんへの親しみにつながった。一方の麻耶子さんは、結婚がうまくいかずに離婚し、ずっと母とのふたり暮らしだったが、コロナ禍で母を亡くしていた。心臓に病気を抱えていたのだが、ある日突然、発作が起こり、救急車での搬送が間に合わなかったのだという。

「コロナ禍でなければ早くに入院させたかったけどそれができなかったと、彼女は悔しそうに話してくれました。誰も恨めない、でもすっきりしない。そんな日々を送っていたそうです。僕自身はすでに妻との関係が冷えていることを実感していたし、自分の母親に対する妻の気持ちも理解できなかったので、つい瑠美と麻耶子とを比べてしまった。だから麻耶子に惹かれたというわけではありません。ただ、麻耶子とはときどき会いたいなと思いました」

またも妻の口から冷たい言葉が…

 1ヶ月に1度程度のわりで、享平さんは麻耶子さんに会うようになった。一緒に美術館へ行ったり映画を観たり、ときにはカラオケに行ったり。もちろんおいしいものを一緒に食べたり。妻とはそんな時間を過ごすことがついぞなかったと享平さんは思っていた。

「昨年の暮れからワンコの具合が悪くなって、必死に看病したんだけどとうとうお正月に死んだんです。ちょうど息子も帰ってきていて家族3人で見送ることができた。僕も息子も意気消沈して……。瑠美は息子に『しょうがないよ、寿命なんだから。さ、食べよう』と息子のために買ったちょっと高級なおせちを勧めた。でも息子はあまり食欲がない、と。そりゃそうですよね、僕もそうだった。すると瑠美は『なによ、犬ごときで大の男がふたりとも落ち込んで』って。ムッとして顔を上げると、息子が母親に詰め寄りそうになっていた。あわてて止めましたよ。そのまま息子を連れ出して、近くのファミレスでふたりでワンコを追悼しながら飲みました。『おかあさんはいつも冷たい。子どものころからそう思ってたよ』と息子が言い出して。やはり息子にとっては愛情の欠けた環境だったんだと申し訳なく思いました」

 おとうさんはいつもかわいがってくれたよと息子は言ってくれた。おかあさんは合理的ではないことに対して深い興味は抱かないとも言った。よく見ていると享平さんは感じたそうだ。母として息子に愛情はあるのだが、それを表現するのは彼女にとってあまり合理的ではなかったし、幼い息子のために時間を割くのも彼女の生活にとって合理的ではなかったのだろう。

「そういう人だと納得してからは気が楽になっていたけど、今日は久々に気持ちが乱されたと息子は苦笑していました。当然だよ、ワンコとオレらは兄弟みたいだったもんなと言いあってまた泣きそうになって。ともかく、おかあさんとは表面上だけでもいいからうまくやってほしいと息子に頼んで一緒に帰宅したんです」

「その年で浮気なんてやめてよ」

 翌日、息子と一緒にワンコを荼毘に付した。息子は小さな骨壺をリュックに入れ、そのまま赴任地へ帰っていった。享平さんが自宅に帰ると、妻はひとりで相当飲んだのか眠っていたが、ふっと目を覚まして携帯電話を彼に突きつけてきた。

「見ると、僕と麻耶子さんが一緒にいるところが写っていた。誰が撮ったのか知らないけど鮮明でしたね。『誰?』と聞かれて『学生時代の友だちのひとり』と答えました。みんなで飲みに行ったあと、たまたまふたりになったところだろ。何が問題なのと聞くと、妻は『その年で浮気なんてやめてよ、みっともないから』とまたソファに倒れ込んだ」

 彼はそのまま身の回りのものを持って家を出た。その日は会社近くのビジネスホテルに泊まった。翌日、出勤後に不動産屋を訪ねてワンルームのマンションを契約した。いきなり別居に突入したのだ。妻には何も言わないままに。

「息子に状況を電話で話したら、息子は苦笑していました。おとうさんはいいの、それでと言われたから、少し離れて考えてみると答えたんです。心配すると悪いと思って、今日から別の場所に寝泊まりすると妻に連絡したら、『わかった』って。どこにいるかも気にならないのかと驚きました」

 あれから11ヶ月。もうじき年が暮れてしまうが、妻とは数回、LINEでやりとりがあっただけだ。何度か洋服などを取りには帰った。だが妻がいる時間に行く気がしない。麻耶子さんには妻から連絡があったことを最近、知った。

「何もない、ただの友だちであること、疑われるのは心外であることを、麻耶子さんははっきり伝えたそうです。電話でそれを聞いて、恋愛関係でもないのに申し訳ないと謝ったら、麻耶子さんから『このまま友だちとしてつきあえる?』と言われたんです。友だちとしてつきあっていても疑われるのは困るということなのか、いっそ恋愛関係になりましょうと言われているのかわからないんです」

 ここは相手の出方を待つしかないと享平さんはつぶやいた。妻との関係はこのまま膠着状態が続くだろうと予想している。その間に麻耶子さんとの関係がどうなるのか、自分でもわからないが、ここまできたら流れに任せるのも楽しいかもしれませんと、彼は少しだけ不敵ともみえる笑みを浮かべた。

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亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部